南面
左 親鸞聖人御𦾔跡 是ヨリ 東一丁
右 従是東 芭蕉庵 金福寺
左 西面 大阪御花講 佐々木仁三郎
北面 釈 正道 釈 尼妙證
東面 昭和八年四月 建之
右の道標
西面 ➡ 蕪村 呉春 景文之墓 金福寺
東面 ➡ 大正拾四年春 京都三宅安兵衛依遺志建立
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南面
左 親鸞聖人御𦾔跡 是ヨリ 東一丁
右 従是東 芭蕉庵 金福寺
左 西面 大阪御花講 佐々木仁三郎
北面 釈 正道 釈 尼妙證
東面 昭和八年四月 建之
右の道標
西面 ➡ 蕪村 呉春 景文之墓 金福寺
東面 ➡ 大正拾四年春 京都三宅安兵衛依遺志建立
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左 ひえい 山の字の上部が見える おそらく 雲母坂の道だろう
狸谷不動明王 道
この道標の 道を挟んで 反対側にある 地蔵祠 と 金福寺への道標
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当社は鎌倉時代の永仁2年(1294)3月勧請という。応仁の兵火で社殿を焼失。慶長元年(1596)に再建にされた。後水尾・霊元両法皇・光格天皇は修学院離宮御幸の途次、当社に参詣され、皇居守護神12社の1つに数えられている。
宮本武蔵が決闘前に立ち寄ったとされる神社といわれているのですが・・・
剣鉾
本殿
狛犬
正面が撮りにくいので 背面から
宮本武蔵 と 初代の松
末社
本殿 裏にある 石
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清賢院
洞明山と号する浄土宗知恩院派の寺。文禄元年(1592)、後陽成天皇に近侍した吉田局が良阿上人に帰依し、この地を寄進して一宇を創建したのが起こりとつたわる。局の法号に因んで寺名とした。
地蔵石仏が境内の西側にある。高さ2メートル。
地蔵石仏が 境内に西側にあるようだ