建立者は 池田氏の子孫かな
天性寺
曼荼羅山と号する浄土宗の寺。大和国当麻寺の右大臣豊成の娘・中将姫の法徳を追慕するため、大永年間(1521~28)に建立。天正年間に大和大麻寺の住職の眼誉上人は当麻曼荼羅をひろめるため、上立売大宮東入ル・西陣曼荼羅町に天性寺を創建、中将姫を安置しました。あったが、天正15年(1587)秀吉の命によりこの地に移転した。本堂に、阿弥陀如来像を本尊とし、傍らに中将姫像を安置されている。寺宝は明兆筆「白衣観音像」
墓地には、中将姫の供養塔、江戸末期の有職画家・原在沖一族、画家・横山清暉、池田雲雄、池田桂仙、わが国真鍮の始祖の藤左衛門の墓がある。
横山清暉の墓は、左京区本妙寺・日蓮宗にもある。
中将姫は天平の時代、当麻寺に入って尼となりました。「わたしは正身の阿弥陀仏を見なければ決してこの門を出ない」と誓いをたてました。これにこたえて、初瀬観音が織姫となって現れ、阿弥陀如来のお教えにより一夜にして浄土曼荼羅を織りました。この曼荼羅を拝んだ人は三途の苦を離れ、浄土に生まれることができるといって西方に飛び去ったと伝わります。
天性寺の弁天さんは、顔の形が端正な健やかな子供を授かると言い伝えられています。もともとこの弁天さんは火除けの信仰がありましたが、いつのころかアザのない美しい子供が生まれるという信仰にかわってきました。
地蔵尊
中将姫像