目に見えない恩恵とは、大きく包まれし御影(みかげ)であり、それは文字通り「御影」(おかげ)と読み表すことが
できます。
前回、天皇陛下が私たち国民を御影で護られていることを書きましたが、その陛下をさらに陰ながら護る存在がおられます。
それは皇后陛下、美智子様です。
「全身全霊」をかけて私たちをお護りになられている天皇陛下を、さらに「全身全霊」かけてお護りになられています。
そうして己を1ミリも残さずに全てをかけてこられて、いまや透明そのものとなられています。
私たちがそれを生命として感じ取るところの、我(が)の放つ実体感が何もないほどのです。
まさに天皇陛下を護られるという透き通った思いの結晶が、そのまま存在そのものとなられています。
天皇陛下も勿論よくよくご存知のことでしょう。
皇后陛下の御影あればこそ、何一つ案ずることなく陛下も自らの全てを天地や国民への祈りに向けられているのではないか
と拝察いたします。
先日のお気持ち御表明の際も、「とても大事なことだから」と、収録の場に皇后陛下をお呼びになられたそうです。
これまでも陛下お一人ではなく、両陛下お二人の心一つで、この国を護られてきたことがそこには現れています。
そのような天皇陛下と皇后陛下、お二方もの清らかな御心に、私たちは大きく包まれています。
この世にこれほど恵まれた民族は居ないのではないかと私は思います。
両陛下は世界の国々や人々にも分け隔てなく心を向けておられますが、それでも日本という国は特別手厚く護られている
のですから、ある意味ずるいくらいです。
言うなれば、それほどの有り難さということではないでしょうか。
とはいえ、皇后陛下も人の子です。
若かりし時は今のお姿からは想像もつかないほどの気の強さと行動力をお持ちだったそうです。
外務省出身バリバリのキャリアウーマンでおられた雅子さまがあまりに異なる環境に苦しまれていることは本当に胸が痛み
ますが、もしかすると皇后陛下はその雅子さま以上に自立心旺盛でリーダーシップ溢れる女学生でいらっしゃったのでは
ないかと思います。
今の皇后陛下のイメージが鮮烈ですのでなかなか想像しにくいことではありますが、宮中に入られた頃は、平安から江戸時代
と連綿と続いていた旧習を次々と改革していかれました。
まだまだ男尊女卑の時代にあって、しかも平民出身で御輿入れをされたのですから、ただ普通に過ごされるだけでも想像を
絶する圧力だったに違いありません。
そのような中にあって、単身さらに踏み進んで道を切り拓かれたのです。
むしろそのくらいの気迫や芯の強さが無ければ、何千年もの時が流れる宮中にあって潰されずに生くことなど不可能だった
でしょうし、何より、そこまでの雄々しき強さがなければ天皇陛下を護るという途轍もない役目を果たすこともできなかった
ということかもしれません。
強く逞しい男性性が裏にあってこそ、深く優しい慈しみという女性性が表へ現れます。
そして男子はその逆である、ということは過去にも書かせて頂いた通りです。
(過去記事「強さと優しさ」2015-3-29)
今の皇后陛下の御顔は観音菩薩そのものです。
若かりし頃は西洋的な美しいお顔でいらっしゃいましたが、ひたすらに人のために尽くす天地の心を現し続けているうちに
仏顔、御神顔になられていったということではないかと思います。
かたや天皇陛下もまた、即位された頃は若かりし時からの面影が残っておられましたが、いまでは神霊の御顔、それも昔話
に出てくる人徳のある村長(むらおさ)や庄屋さんの御顔のようになられました。
それはまさしく恵比寿さまの笑顔であり、能面の翁のお顔であり、花咲か爺さんのお顔であります。
昔から徳のある心優しいお爺さんというのは総じてそのようなイメージで描かれていますが、昔の人は御神顔というのが
どういうものなのか、実際そういう人が身近に居たためによくよく知っていたのかもしれません。
そしてまた、老いた長が敬われてきたわけはその一点に尽きるのだと思います。
自分のことは横に置いて村や村人のために尽くすその姿はまさしく神さまのように映ったことでしょう。
そして大なり小なり、老いるというのはそのような心が現われてくることでもあります。
年功序列や長幼の序というのは、もともと精神論などではなく自然発生的なものということです。
ただ早く生まれたから偉いなどという勘違いは、かえって我心という点においては逆向するものでしかないわけです。
古き伝統に背を向け、他国を真似て、我欲を満たす生き方はカッコよく見えるのかもしれませんが、その果ては老醜でしか
ないのではないでしょうか。
そんなものを敬う若者などあろうはずが無いのです。
といって、我執を無くすためには自らを律せねばならぬと言っているわけではありません。
そのような西洋的、宗教的アプローチは、かえって自我を肥大させていくことにしかなりません。
何故ならば「こうでなければいけない」という思いこそは我執以外の何ものでもないからです。
心を内向きに、自分だけに向けているかぎりは、あらゆる努力は逆にしかならなりません。
であるならば、外へと、自分ではなく他人へと向けてみるということではないでしょうか。
人のために生きていく、子の世代、孫の世代のことを思う、この国の行きし方を憂う…
そうしたものが自分の中に少しずつ芽生えていくにつれて、結果として、自然に我執が剝がれ落ちていくわけです。
若者が年長者を敬うというのは、つまりはそういうことです。
日本はもちろんのこと、ヨーロッパでも他の地域でも古くから語り継がれている神話には、遥かな昔、人々は神様とともに
暮らし、神様のなされることを倣って仲良く平和に過ごしていたと書かれています。
仔鴨が親ガモの姿を真似るように、私たちは親や大人の言動を模倣しながら成長していきます。
それは結局は、大好きな存在と同じ空気感になりたい、一つの心になりたいというごく自然な内的衝動であるわけです。
大好きという表現でなくても、気持ちがいいというのもそうですし、清々しいというのもそうです。
そうして、神様の言動を倣って同じようになろうとすることから「神ながらの道」と言われるようになりました。
つまり、神ながらの道とは、宗教でも教義でもなく、ただ単に普通の当たり前の日々の生活そのものなのでした。
神様が見えないこの世の中にあって、西洋諸国ではそれは伝説や神話の中の「お話」となりましたが、日本だけは神様の
振る舞いを倣おうとする思いが残りました。
その極みが天皇陛下であるわけです。
神様の振る舞いというのは何かというと、一言でいえば、清らかな心で言い表すことができます。
すべてはその結果として様々な所作や言い回しとなって現れているということで、実際のところは、その心の状態に尽きるわけです。
先ほども書きましたようにそれは、我心が無いということではなく、溢れるほどの慈愛ゆえに我心の膨らむ隙がないという
ことになります。
例えば、自分以外の多くの人たちのために、全身全霊、心の隅々や細胞の隅々にいたるまで全てを向けて祈るというのも
それであるわけです。
我心、すなわち自我の心というものは無くすことはできません。
それを抑えつけたり無視しようとするスタンスはイタチごっこにしかなりませんので、それはそれとして諦めてしまうのが
一番です。
そうではなくて、我欲が満たされる喜びに比べて、慈愛の溢れる喜びの方が遥かに幸せが深いとなれば、前者のスイッチが
入る余地が無くなるという天地の理があります。
そうしたルートを進む方が、理屈としても、遥かに現実的だと思います。
そして、それを体現されているのが両陛下であるわけです。
昔に、現人神(あらひとがみ)と言われたのはそれゆえの表現でした。
第一、当時の国民が本当の神様だなんて思っていたはずが無いのです。
でも、神様のような人だとは感じていたことでしょう。
自分の心に対してそれくらいの素直さと謙虚さは持っていたということです。
それを矮小な価値判断で捉えてしまったがために、言葉の本質が歪められてしまいました。
現人神という言葉に囚われて、洗脳されたとか可哀想だとか言って御先祖様を貶めるのは、幼稚で浅はか、傲慢と言うしか
ありません。
戦前戦後などに関係なく、その肥大した自尊心を横に置き、ごく自然に素直に、天皇陛下や皇后陛下のお姿に触れてみれば
その無私の心に何とも言えぬホワッとしたものを感じることでしょう。
頭の理屈など無用です。
ホッコリするとか、いいなぁと思うとか、そういうものが魂の発する純粋なものであるわけです。
目に見えない神様に倣うことは出来ませんが、神様のような人に倣うことは出来ます。
なされている姿を真似ることで、理屈など必要なく、中身も近づいていきます。
親方のところで修業に励むお弟子さんと同じことです。
神ながらの道を歩まれている両陛下に倣うことは、取りも直さず、神ながらの道となります。
神ながらの道という言葉に抵抗がある場合は、単に、清らかな生き方と言ってもいいですし、心地よい雰囲気と言っても
いいと思います。
禁欲的な戒律や規律、世間の価値観、己の生き方や信条なんてものに従う必要はありません。
いいなぁ、ホワッとするなぁ、と心が嬉しくなった感覚を追えばいいだけのことです。
心洗われ清々しく軽やかになる。
それは、自らを律したり抑えたりするのとは対極のものであるわけです。
(つづく)
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前回、天皇陛下が私たち国民を御影で護られていることを書きましたが、その陛下をさらに陰ながら護る存在がおられます。
それは皇后陛下、美智子様です。
「全身全霊」をかけて私たちをお護りになられている天皇陛下を、さらに「全身全霊」かけてお護りになられています。
そうして己を1ミリも残さずに全てをかけてこられて、いまや透明そのものとなられています。
私たちがそれを生命として感じ取るところの、我(が)の放つ実体感が何もないほどのです。
まさに天皇陛下を護られるという透き通った思いの結晶が、そのまま存在そのものとなられています。
天皇陛下も勿論よくよくご存知のことでしょう。
皇后陛下の御影あればこそ、何一つ案ずることなく陛下も自らの全てを天地や国民への祈りに向けられているのではないか
と拝察いたします。
先日のお気持ち御表明の際も、「とても大事なことだから」と、収録の場に皇后陛下をお呼びになられたそうです。
これまでも陛下お一人ではなく、両陛下お二人の心一つで、この国を護られてきたことがそこには現れています。
そのような天皇陛下と皇后陛下、お二方もの清らかな御心に、私たちは大きく包まれています。
この世にこれほど恵まれた民族は居ないのではないかと私は思います。
両陛下は世界の国々や人々にも分け隔てなく心を向けておられますが、それでも日本という国は特別手厚く護られている
のですから、ある意味ずるいくらいです。
言うなれば、それほどの有り難さということではないでしょうか。
とはいえ、皇后陛下も人の子です。
若かりし時は今のお姿からは想像もつかないほどの気の強さと行動力をお持ちだったそうです。
外務省出身バリバリのキャリアウーマンでおられた雅子さまがあまりに異なる環境に苦しまれていることは本当に胸が痛み
ますが、もしかすると皇后陛下はその雅子さま以上に自立心旺盛でリーダーシップ溢れる女学生でいらっしゃったのでは
ないかと思います。
今の皇后陛下のイメージが鮮烈ですのでなかなか想像しにくいことではありますが、宮中に入られた頃は、平安から江戸時代
と連綿と続いていた旧習を次々と改革していかれました。
まだまだ男尊女卑の時代にあって、しかも平民出身で御輿入れをされたのですから、ただ普通に過ごされるだけでも想像を
絶する圧力だったに違いありません。
そのような中にあって、単身さらに踏み進んで道を切り拓かれたのです。
むしろそのくらいの気迫や芯の強さが無ければ、何千年もの時が流れる宮中にあって潰されずに生くことなど不可能だった
でしょうし、何より、そこまでの雄々しき強さがなければ天皇陛下を護るという途轍もない役目を果たすこともできなかった
ということかもしれません。
強く逞しい男性性が裏にあってこそ、深く優しい慈しみという女性性が表へ現れます。
そして男子はその逆である、ということは過去にも書かせて頂いた通りです。
(過去記事「強さと優しさ」2015-3-29)
今の皇后陛下の御顔は観音菩薩そのものです。
若かりし頃は西洋的な美しいお顔でいらっしゃいましたが、ひたすらに人のために尽くす天地の心を現し続けているうちに
仏顔、御神顔になられていったということではないかと思います。
かたや天皇陛下もまた、即位された頃は若かりし時からの面影が残っておられましたが、いまでは神霊の御顔、それも昔話
に出てくる人徳のある村長(むらおさ)や庄屋さんの御顔のようになられました。
それはまさしく恵比寿さまの笑顔であり、能面の翁のお顔であり、花咲か爺さんのお顔であります。
昔から徳のある心優しいお爺さんというのは総じてそのようなイメージで描かれていますが、昔の人は御神顔というのが
どういうものなのか、実際そういう人が身近に居たためによくよく知っていたのかもしれません。
そしてまた、老いた長が敬われてきたわけはその一点に尽きるのだと思います。
自分のことは横に置いて村や村人のために尽くすその姿はまさしく神さまのように映ったことでしょう。
そして大なり小なり、老いるというのはそのような心が現われてくることでもあります。
年功序列や長幼の序というのは、もともと精神論などではなく自然発生的なものということです。
ただ早く生まれたから偉いなどという勘違いは、かえって我心という点においては逆向するものでしかないわけです。
古き伝統に背を向け、他国を真似て、我欲を満たす生き方はカッコよく見えるのかもしれませんが、その果ては老醜でしか
ないのではないでしょうか。
そんなものを敬う若者などあろうはずが無いのです。
といって、我執を無くすためには自らを律せねばならぬと言っているわけではありません。
そのような西洋的、宗教的アプローチは、かえって自我を肥大させていくことにしかなりません。
何故ならば「こうでなければいけない」という思いこそは我執以外の何ものでもないからです。
心を内向きに、自分だけに向けているかぎりは、あらゆる努力は逆にしかならなりません。
であるならば、外へと、自分ではなく他人へと向けてみるということではないでしょうか。
人のために生きていく、子の世代、孫の世代のことを思う、この国の行きし方を憂う…
そうしたものが自分の中に少しずつ芽生えていくにつれて、結果として、自然に我執が剝がれ落ちていくわけです。
若者が年長者を敬うというのは、つまりはそういうことです。
日本はもちろんのこと、ヨーロッパでも他の地域でも古くから語り継がれている神話には、遥かな昔、人々は神様とともに
暮らし、神様のなされることを倣って仲良く平和に過ごしていたと書かれています。
仔鴨が親ガモの姿を真似るように、私たちは親や大人の言動を模倣しながら成長していきます。
それは結局は、大好きな存在と同じ空気感になりたい、一つの心になりたいというごく自然な内的衝動であるわけです。
大好きという表現でなくても、気持ちがいいというのもそうですし、清々しいというのもそうです。
そうして、神様の言動を倣って同じようになろうとすることから「神ながらの道」と言われるようになりました。
つまり、神ながらの道とは、宗教でも教義でもなく、ただ単に普通の当たり前の日々の生活そのものなのでした。
神様が見えないこの世の中にあって、西洋諸国ではそれは伝説や神話の中の「お話」となりましたが、日本だけは神様の
振る舞いを倣おうとする思いが残りました。
その極みが天皇陛下であるわけです。
神様の振る舞いというのは何かというと、一言でいえば、清らかな心で言い表すことができます。
すべてはその結果として様々な所作や言い回しとなって現れているということで、実際のところは、その心の状態に尽きるわけです。
先ほども書きましたようにそれは、我心が無いということではなく、溢れるほどの慈愛ゆえに我心の膨らむ隙がないという
ことになります。
例えば、自分以外の多くの人たちのために、全身全霊、心の隅々や細胞の隅々にいたるまで全てを向けて祈るというのも
それであるわけです。
我心、すなわち自我の心というものは無くすことはできません。
それを抑えつけたり無視しようとするスタンスはイタチごっこにしかなりませんので、それはそれとして諦めてしまうのが
一番です。
そうではなくて、我欲が満たされる喜びに比べて、慈愛の溢れる喜びの方が遥かに幸せが深いとなれば、前者のスイッチが
入る余地が無くなるという天地の理があります。
そうしたルートを進む方が、理屈としても、遥かに現実的だと思います。
そして、それを体現されているのが両陛下であるわけです。
昔に、現人神(あらひとがみ)と言われたのはそれゆえの表現でした。
第一、当時の国民が本当の神様だなんて思っていたはずが無いのです。
でも、神様のような人だとは感じていたことでしょう。
自分の心に対してそれくらいの素直さと謙虚さは持っていたということです。
それを矮小な価値判断で捉えてしまったがために、言葉の本質が歪められてしまいました。
現人神という言葉に囚われて、洗脳されたとか可哀想だとか言って御先祖様を貶めるのは、幼稚で浅はか、傲慢と言うしか
ありません。
戦前戦後などに関係なく、その肥大した自尊心を横に置き、ごく自然に素直に、天皇陛下や皇后陛下のお姿に触れてみれば
その無私の心に何とも言えぬホワッとしたものを感じることでしょう。
頭の理屈など無用です。
ホッコリするとか、いいなぁと思うとか、そういうものが魂の発する純粋なものであるわけです。
目に見えない神様に倣うことは出来ませんが、神様のような人に倣うことは出来ます。
なされている姿を真似ることで、理屈など必要なく、中身も近づいていきます。
親方のところで修業に励むお弟子さんと同じことです。
神ながらの道を歩まれている両陛下に倣うことは、取りも直さず、神ながらの道となります。
神ながらの道という言葉に抵抗がある場合は、単に、清らかな生き方と言ってもいいですし、心地よい雰囲気と言っても
いいと思います。
禁欲的な戒律や規律、世間の価値観、己の生き方や信条なんてものに従う必要はありません。
いいなぁ、ホワッとするなぁ、と心が嬉しくなった感覚を追えばいいだけのことです。
心洗われ清々しく軽やかになる。
それは、自らを律したり抑えたりするのとは対極のものであるわけです。
(つづく)
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