臆病者のための裁判入門/橘玲著(文春新書)
知人の保険のトラブルで裁判に付き合うことになり、その驚愕の世界にさまようことになった顛末記を中心に日本の法の世界を考えるという内容になっている。まったく酷いものなのだが、一般の人であっても法的にひどい扱いを受けることは当然ある訳で、しかしながら多くの人が法の世界まで踏み込んで争わないという現実があって、なかなか興味深い読み物になっている。
ある程度のトラブルなら弁護士に相談するということで、まず最初はだいたいの解決方法が分かるはずなのだが、その最初の弁護士相談というものにおいても、精神的なハードルは大きいのかもしれない。ましてや訴訟を起こすということになると、なかなかそこまで決断できる人は少ないだろう。どのようなトラブルに巻き込まれているのかという程度問題もあろうが、この本のケースのように、明らかに相手に過失があり、しかし微妙にスジ違いのような事も含まれるような事(これは後になって分かるのだが)になると、あちこちたらいまわしにされた上に、非常に時間がかかってしまうもののようだ。そのような原因を作ったのは、もちろん相手方の過失なのだが、しかし最初からウソをついて済ませようという姿勢に対して、それを覆すだけでも、実に大変な労力を必要とする。ほとんど馬鹿らしい喜劇のようなものだが、しかしその馬鹿らしさにおいても、法の世界はある意味で時間を掛けて付き合おうとしていることは理解できる。しかしながら結果的に2年以上の歳月を要する訳で、ほぼこの作家のような立場でなければ、付き合うことすら苦痛でならない時間ではなかったろうか。
少額訴訟や簡易裁判においては、弁護士を立てなくても進めることができる(金にならないので弁護士も付き合わないという現実もあるようだが)ということが分かるだけでも有意義だということも言える。また、このような裁判で国を相手取り勝訴した主婦(年金問題)という存在もいるらしくて、日本の生活の一部を変えてしまうような大きな判決を引き出した功績は本当に大きい。もちろん相手のおかしな慣習や過失があるという前提がある訳だが、世の中を動かすような正義の判決を引き出すような事も、事実上可能なのである。
もっとも、この入門書を読んで、本当に訴訟まで持ち込んで争う気になるのかというと、むしろその全貌を掴むことによって、よっぽどでなければ、やはり法の世界で解決するよりほかの道を模索した方がいいということが、分かることもある気がする。
僕自身は個人的な金銭トラブルや人間関係的な問題で、弁護士に相談するような事は過去に体験してきた訳だが、訴訟のようなものまで発展することはやったことは無い。その時いろいろ相談してみて分かった事だが、結局はそのような手段へ訴えるよりも、前段階で打てる手というものそれなりにあるということが分かったからである。さらにこの本を読んでみて、あの時弁護士が説明していた意味というものも改めて理解できたということもあった。問題は自分の抱えている問題が、法的な手段でもって解決を望んでいるものであっても、最終的には自分自身の利益と勘案して、どのようなところで納得ができるのかということの方が大きいのである。裁判の結論がそのような利益と合致するのかどうかというのがポイントであって、そのことが分かるだけでも、自分の生き方として有意義な事もたくさんあるのではあるまいか。
体験記は特に読み物として面白いので、そう肩ひじ張らずに読んでみて損は無い。法の世界の理屈がいささか変である事も含めて、日頃の鬱憤のはけ口になる場合もあるかもしれない。法の世界のハードルを下げるという意味においても、広く読まれて良い入門書なのではなかろうか。