誰よりも早く食うということは無いが、食べるのは早い方かもしれない。他人よりよくしゃべるのに皿の上のものは減っている。たいして噛まずに飲み込んでいるらしい。せっかちなところがあるので、噛むのがめんどくさい。じゃあ食うのが面倒か。それは腹が減るので別問題らしい。
時間が無くて急いで食うということは以前はあった。飯は食っておきたいが、手短に済ませたい。出張などに行くと、駅中などの飲食店で、まさに飯をかき込んでいる男性がけっこういるものだ。ラーメンや蕎麦なんかあっという間。あれは味わっているというより、まさに餌にありつけた獣である。ざるなら分からないではないが、熱いものでも行ける人がいる。猫舌なものでそれは驚く。いくらなんでも火傷しないものか。いや、しないから食えるのだろうが、人間の個人差というのはまさに驚くべき違いだ。
特に急いで食べている意識は無いのだが、つれあいにはよく注意される。落ち着いて食べなさい、もっと味わって食べなさい、などなど。確かに落ち着いてはいないが、意識的でないので焦ってもいない。味わえというが、喉越しも味である。うどんなどは喉で味わうというではないか。うちの愛犬などを見ていても分かるが、旨いものほど早く呑み込んでいる。もっとも次を早くもらいたいのと、たいして噛む習慣が無いらしいようだけど。
よく噛むと本来の味がするという話がある。そういうものもあるのかもしれないが、よく噛むと味が薄くなるものもあるようだ。ホルモンのようなものはなかなか噛み切れないのでいつまでもモゴモゴしてしまうことがあるが、あんまり時間を掛けると、だんだん味がしなくなってつまらなくなる。終いには吐きだしてしまいたいのを我慢して噛んでいる。豆腐なんてものもよく噛んだところで形どころでなくなるだけで、むしろ顎の運動でしかなくなるのではあるまいか。
そういうものもあるけれど、よく噛むのは消化吸収を助けるのだから体にいいのだという。あんまり身になるような吸収まではして欲しくない気もするが、しかしよく噛むことで満腹中枢が早く働いて、食べ過ぎなくなるという話はある。実際にそういうダイエットもあるようで、一口30回噛むというような指導をする医院もあるのだそうだ。やってみると分かるが、これは結構難しい。ちゃんとノートだとかメモを取るべきなんだそうだが、本格的にやる勇気が無い。どういう種類の勇気なのか分からないけど、やはり本気になれないらしい。
コメの文化というのも良く噛まない原因かもしれないと思う。ご飯はそんなによく噛まなくても呑み込む事が出来る。よく噛むに越したことは無いが、少しずつでも噛みながらのみこんでいるような感覚がある。しかしながら食べ物を詰まらせて死ぬ食材のダントツ一位は実は米である。コンニャクを心配するのはお門違いで、米はやはりよく噛んで食べるべきなのであろう。もしくは国会議員に騒いでもらって禁止でもしてもらうか。
大トロとか霜降り肉とか、口の中でとろけるような油というのは、確かに美味である。多くは食べられたもんじゃないというが、そういう心配の前に多くを食べるだけの財力も無い。めったなことじゃないから、そう問題視する必要もなさそうだ。
ジャンクな脂分というのが標的にされるべきだろうが、あんまりそういうところに立ち寄っているという意識も薄い。子供じゃないので買い食いはしないし、間食というのもあまり習慣になっていない。習慣になっているのは飲酒で、飲みだすと寝るまで飲んでいる。この長い時間にダラダラ食うので、一番の標的はこの習慣であるということなのだろう。
せっかく満腹になったと思っていても、アルコールがかさむと血中の何とか濃度というのが変わって、腹が減っていると勘違いするのだという。そうしてラーメンでも食って帰るか、ということになる。危険だが、これがまた旨かったりする。旨くて悲しくて翌日は胸が苦しい。
もっともラーメンじゃ無ければさらに深酒をしようと企んでいる人もいたりして、それが厄介だったりすることもある。時間がきたらお開きという強い意志と習慣。結局はそういう方針を守れるかどうか、という性格の問題ということになってしまうのだろうか。