会議が長くなって休憩を挟もうということになると、トイレにも列ができることがある。男性の場合比較的短時間で列は解消される場合が多い訳だが、僕より上の世代ばかりになると、そうもいかなくなる現実がある。上手く言えないが、単純に時間が長くなるのであります。
まず、出るまで時間を取られるということが起こる。出そうなんだけど、その時がなかなか来ないということである。同じくらいのタイミングで便器の前に立ったはずなんだけど、お隣の人の放尿の音は聞こえているが自分がまだというのは、スタートダッシュに遅れたようなもので、内心少し焦りが出てくる。焦るがそう思うことでよけいに遅くなるということにもなるような気がする。落ち着け、とか自分に言い聞かせて、しかし本当に落ち着くまでにはやはりそれなりに時間を要する。時折便器の前で深呼吸しているオジサンもいるわけで、お気の毒だがその気持ちはよく分かる。
やっと出たという時間は本当によろしい。後は何となく出るに任せるという安心感がある。しかしながらある程度の勢いが弱まってショボショボしてきだすと、不安も段々と増して来る。これで、本当に終わりなんだろうかという不安なのである。平たく言うとキレが悪くなるというやつで、終わったと思って安心して竿を安易にしまってはならないのである。そうやって失敗した事のある経験が頭をかするので、どうしても慎重にならざるを得ない。内腿を伝う水滴の不快感というのは、残念であるばかりか、なんだか非常に情けない思いをするのである。後悔先に立たずということわざは、この時の感覚と非常にマッチしている。しかし、今はその後悔の前兆の時なのか。その見極めというのは非常に難しい。そうして慎重に慎重を重ねて、中にはブルンブルン振り回してみたりして(別に見栄を張った表現では無い)様子を確かめるが、何となく残尿感のようなものが残っているままでは、やはりどうしても安心できない。終わっているが、しばし放置してみたりして、さらに様子を確かめて、少し体制をかがめてみたりして慎重にナニをおさめて何もなければ、本当に晴れやかに一連の儀式を閉じることができるということなのだ。
いやあ、今日は無事に治まりましたなあ、などと思いながら手を洗っていると、お隣の先輩が見透かしたように「溜まってたようで…」などと声を掛けて来た。時間がかかっている事を見逃さなかったようだ。「いやあ、キレがどうも悪くて」などと答えると、後ろで手洗いを待っていた人も交えて、前立腺の話題に花が咲くということになる。「いや、まだまだ、本当に怖いのはこれからですよ」などと脅す輩も出てくる始末で、そうなのか、などと思うと本当に気分が重たくなるのである。
今やすっかりお仲間に入ってしまったということが、やはりなんとも悲しい気分ということなのかもしれないのだった。