日本人はなぜ無宗教なのか/阿満利麿著(ちくま新書)
日本人のほとんどは、無宗教であると自ら信じているのは何故か。その答えとして、創唱宗教と自然宗教との違いをまずは論じてある。その後近代史において、天皇制などを交えて宗教の在り方や捉え方についての距離感が、国民の中で生まれたという歴史的な変遷が語られる。そうして長い目で見た日本の中に根付いている(約800年という)宗教観というものを、あえておさらいしている。本の題名の通り、なぜ日本人である自分は無宗教なのだろうか、と考えている人にとっては、あるいは目からうろこが落ちるような体験ができるかもしれない。また、そうでは無いという人にとっても、ある一定の考え方を提示されていることは確かで、無宗教であるという人々を馬鹿にするにはいい本だろうと思う。
ところで僕は、日本人は無宗教であるとは最初から思っていない。思っていなかったというのが正確なところだが、この本の通り創唱宗教というものに対峙して無宗教と答えざるを得ないというのは分かるにしても、地域や社会で見聞する多くの日本人は、確かに信心深い人が多いと日頃から感じているからである。本の内容とも重複するが、初詣に行ったり占いを気にしたり墓参りをしたりする人というのは、実にごく普通の宗教的な態度である。そんなことは途中から疑いないことである。漁に出れば海に感謝する漁師は普通だし、コメがとれたら神様に感謝している農家も普通だろう。そういう人達が日本人の中核的な基礎をなしていて、それにあまり不真面目に信仰してないような人々であっても、その心情を否定的にみている人はほとんどいないだろう。日本の自然宗教や宗教観というのは、そういうものである。それは、誰でも知っていることだし、だから問題は、それでも無宗教だと考えている大衆という事になるだろう。彼らの心情は本当にミステリだが、しかしこの本のような解説を見ると、ある程度は理解は出来るだろうとは思う。ただし、やはり例えばキリスト教徒らしい西洋人から宗教は何かと問われるならば、答えに窮するに違いは無い。それが無宗教である正体でもあるだろう。無宗教ではないが、創唱宗教では無い。英語でも返答できないし、日本語でも解説が難しい。海の神や山の神は、キリストやブッダやムハンマドといったいどういう違いがあるのだろうか。
新興の宗教とは言い難い歴史が既に創唱宗教にあるために、古来の宗教との対比が難しくなっているという事はあるのかもしれない。しかしながらギリシャ神話などにみるように、古来はおそらく創唱宗教では無い歴史があったはずだろうと思う。しかしその後新興の一神教が激しく世の中を席巻をする。そういうものの枠になぜ日本は外れてしまったのかというのは、島国であるという事のみで説明できるのだろうか。そういうミステリについては、まだまだ解説を重ねていくことが出来るようにも思った。