カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ある意味で密室での活劇   マリアビートル

2018-06-27 | 読書

マリアビートル/伊坂幸太郎著(角川文庫)

 東京発の東北新幹線内で繰り広げられるヤクザな人たちと、殺し合いを描いた長編小説。回想シーン以外は基本的に車内の出来事で、500数十ページが費やされている。日本人とは思えないほどの個性的な人たちがたくさん出てきて、それぞれに様々価値観を語るという事もある。活劇も多くトリックも多様だ。いろいろな悪の理屈が語られるが、不快なものとそうでないものもある。ギャグもあって、ツボに入ると笑えると思う。何しろ伊坂特有のスタイリッシュな文体もあって、読む楽しみのためのサービス満載という小説かもしれない。
 今回は出張の飛行機の中で読むために本棚から選んだ。僕は伊坂作品の熱心な読者ではないが、日本にもこのような作家がいるというのはいいことだな、と思う。今は他にもこういうタイプの文体や、凝ったプロットを構築する作家は増えている実感がある。映像的にも楽しいところがあって、多くの映画のネタにも使われている。もともと大衆小説はそうなんだという事はあるかもしれないが、特に伊坂作品などは映像化と相性がいいようにも思う。この作品だって心理面の駆け引きが激しい訳だが、映像化する派手さは十分にあると思う。そうしてやはり、二重でこの作品を楽しむことが出来る訳だ。
 内容についてはもろ手を挙げて絶賛という事では無かったのだが、ストーリーを追う楽しみは堪能できた。多少の設定の臭さのようなものがあるのだけれど、それがスタイリッシュで良い訳でもある。意外性も含めて、ちょっと超人過ぎるきらいがあるだけである。
 僕は思うのだけど、多くの人は、この小説のように他人に支配されるようなことは、そんなにある事では無いのではないか。密室での特定の短時間の関係ならあり得るが、やはりそれなりの広さがあって、逃げ出せるからである。それにいくらヤクザだからといって、そのようなことにいつまでも付き合ったりしないだろう。状況が目まぐるしく変わって、そうして生き延びる人々がいる。それはそうだけれど、やはり思うようにいかない人々の方が圧倒的に多いのだろうと思う。だからこそ自分なりに解釈を変えて、自分なりに生きるより無い。人間が哲学のようなものを必要とするのは、そういう理由だと思う。皆が納得する必要はない。皆を説得する必要も無い。そういう一貫性の無いひずみのある世界が、現実というものであろう。
コメント
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