NHKで「いじめと探偵」というのをやっていた。ふと本棚を見ると新書も持ってた。学校内でのいじめ事件に関して、親が納得できないものを探偵が捜査していく過程を描いている。いじめに関しては、基本的に学校が調査をする約束をしたにもかかわらず、いじめの事実はない、というような結論が出てしまう。中にはすでに本人が自殺していて、いじめが原因としか考えられない状況であるにもかかわらず、学校の報告書は部活を(の運動を)苦にして亡くなったのではないか、と示唆される報告書が上がってくる。
いじめられた子たちのインタビューやアンケートなども上がってくる。いじめの事実はもちろんつらいことだが、学校や先生に相談したにもかかわらず、何も対応してくれないとか、冷たい言葉を投げかけられることで、あきらめて心を閉ざしてしまったり、自殺してしまう事実がどんどん明らかになっていく。
一通り調査の資料がたまったものを学校に提出して、このようないじめ調査を再度行うようお願いするが、それでも資料が無いといわれたりする。アンケートを拒否する子のものは使えないので、調査自体が無いのと同じだとはねられるのである。
基本的に明らかに見えてくるのは、教育現場の大人たちのいじめ体質である。人の命を軽く感じておられるようで、いじめのような厄介なものが存在することに嫌悪があるのではないか。本気で調べるより早く終わることに重点を置いている印象があって、形式的な手順を踏んだ事実が重なると、事実というものがどうであるにせよ、終了させるというミッションが成立するようなのだ。責任の所在が学校ではないという判断を自分たちなりに積み上げられたら、それでいいという理屈なのだろう。
いじめの問題は、問題が起きたということが分かるだけで(認識されるだけで)、6割くらいはすでに解決できるのだそうだ。いじめられている内容を先生が聞いて、そのうえで相手に謝罪させるなどすると、終わるのが普通なのだ。それ以外の厄介なものでも、基本的には学校で行われていることなので、皆が対応に向けて動く姿勢があれば、必ず解決の糸口は見つかるものである。
ところがそうはいかないのが学校という闇組織で、自殺者が繰り返し出てしまう学校があるのも、そのためである。いじめというのは暴力だから、暴力と親和性の高い組織は、いじめをなくすことができないのだ。
先生ができないのであれば、各学校は地域の探偵と契約を結ぶべきであろう。その前にやることがあるとすれば、契約を結ばなくても何とかなると考えているような先生をクビにすることくらいであろう。