AWA@TELL まいにち

南山大学で、日本語教育に携わる人材の養成を行っています。ホームページも是非ご覧ください。

日本語に訳されているということの意味

2015年09月10日 | 出張 de ごめんなさい
「日本の朝鮮統治」を検証する1910-1945
クリエーター情報なし
草思社


アメリカ人による研究だから、日韓以外の研究者の書いた研究書であることに興味は覚えましたが、

それでもなお、

日本語に訳された本、

という位置づけは考えて読むべきかとも思いました。

といっても、原書を読む気力は今はないなー。


毎日新報も研究室に影印版のものをそろえていて、暇な時にめくって記事を追っていますが、

記事になっているものは、やはり「記事にする価値のあるもの」であって、すべての事項ではないということは留意するべき点です。

今書かれているものよりも、当時書かれたものの方が価値があるということではないのですが、それでも、当時の価値観が反映しているのは確かで、日本語教育に関するものについては、「日本語を話せることが前提の社会づくり」を絶対的な善として描いているので、今の価値観で読むと閉口することも多いわけです。

話が行ったり来たりしていますが、


当時、そういう価値観のもとで進められていた政策が、朝鮮の人たち全員にとって不利益を与えたということも、私はそのまま受け入れてはいません。どんな社会でも、すべての人が不利益を被る、ということはないと思うからです。そういう社会であっても、娯楽があり、家庭生活があり、子どもが育っていたわけで、そこにはそれなりの個人の幸せはあったと思います。

かといって、日本の統治が素晴らしかった、と手放しで言うわけでもありません。


いいことも、悪かったことも、両方あって、

それは人によって受け止め方が違った、

というのが、今の私の考え方です。


留学生とおしゃべりして、

日本は治安がいいです、と言われると、必ずいうことは、



皆さんの国と同じように、日本にもいい人と、悪い人がいます。

皆さんはまだ多くの日本人と出会っていないから、たまたま、いい人に囲まれているだけです。

いいことも、悪いことも、体験してください。


ということです。

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