愛知教育大学では、日本語学の藤田保幸先生のゼミで卒業研究をしました。
藤田先生の日本語学の授業は、いつも楽しく、毎授業、自分の知らなかったことを目の前に広げてくださり、知識が広がるだけでなく、その背景にあるご研究も、折に触れてお話しくださったのは、とても面白いワクワクする時間でした。
先輩たちと、椛の湖にあった愛知教育大学の宿泊施設に行って勉強会したなあ。。先輩たちが隣でオセロをしているときに、藤田先生と将棋をして、オセロ一回の間に3回も負けたことを今急に思い出しました。
愛知教育大学に職場を移してから、家族で尋ねたりもしましたが。
感謝にお一人でお暮らしだったこともあり、銭湯にご一緒したり、年末年始、卒論指導で年を研究室でこしたり。よく考えると、修論も博士論文も、年末年始は帰省していたんですよね、卒論だけだ、帰省しなかったの。
修士課程の入試は一度失敗して、研究には向いていないのかと思ったりもしましたが(これは、今でも思うんですが)、励ましてくださったのも思い出されます。
修士課程に合格したとき、伊勢海老料理を食べに連れて行ってくださり、伊勢海老のフライを注文したら、ただのエビフライでがっかりしたことも思い出しました。
あそこは塩焼きを頼むべきだった。
富山で修士の院生生活を送っていた時も、会いにきてくださって、話を聞いてくださったなあというのも、懐かしいです。
愛知教育大学に勤め始めたときにご連絡し、土曜日にあった研究会に伺ったのが最後だったかと思います。
愛知教育大学の居心地はどうか、と尋ねられました。
その後も、土曜日の研究会にはお声掛けいただいていたのですが、土曜親子日本語教室があって、土曜日に伺うことはできませんでした。
顔だけでも見に行けばよかったなあというのは、まさしく、後の祭り、というやつです。
FACEBOOKにも書きましたが、私も50を過ぎ、いつでも会えると思っていては行けないんだなあということを痛切に感じています。
仕事が遅いのを踏まえて、できるだけ、会いたい人には会っておかなくては。
今回、藤田先生の告別式に伺うことができたのは、ほんの数ヶ月前に、FACEBOOKで再会したある先生からのご連絡でした。
その先生からのお知らせがなければ、おそらく、今日、お顔を見に伺うことができなかったと思います。
それだけに、
そのほんの数ヶ月に再会できたことも、偶然かもしれませんが、藤田先生の導きだったのかもしれないと思い、今日は出かけたのです。
顔を見せにこい、と思っていただけていたのか、と。
教えていただいた先生方が次々と鬼籍に入られ、私自身はどれだけのことを学生に残しているのか、自問自答しています。
修士でお世話になった浅井先生も、学部でお世話になった藤田先生も、私にとっては、大学教員の一つのモデルです。会うたびに知らないことを教えていただき、良くも悪くも、事務仕事に拘泥せず、研究を進めていくというのは、真似たくても真似られません。
南山大学では、祝祭日も普通に授業があります。即位の礼の日も、ゴールデンウィークも関係なかったんですよ。
でも、今日は、創立記念日ということでの大学祭、授業がなかったのも、運命のように感じています。
もう藤田先生とお酒を酌み交わすことも、思い出話をすることもありません。
寂しくもありますが、
私が向こうへ行くときに、会える人が増えたと思うことにしたいと考えています。
大学で働く、というその第一歩になる覚悟を決めさせてくださったのは間違い無く藤田先生です。
その学恩に心からお礼申し上げます。
ありがとうございました。
藤田先生の日本語学の授業は、いつも楽しく、毎授業、自分の知らなかったことを目の前に広げてくださり、知識が広がるだけでなく、その背景にあるご研究も、折に触れてお話しくださったのは、とても面白いワクワクする時間でした。
先輩たちと、椛の湖にあった愛知教育大学の宿泊施設に行って勉強会したなあ。。先輩たちが隣でオセロをしているときに、藤田先生と将棋をして、オセロ一回の間に3回も負けたことを今急に思い出しました。
愛知教育大学に職場を移してから、家族で尋ねたりもしましたが。
感謝にお一人でお暮らしだったこともあり、銭湯にご一緒したり、年末年始、卒論指導で年を研究室でこしたり。よく考えると、修論も博士論文も、年末年始は帰省していたんですよね、卒論だけだ、帰省しなかったの。
修士課程の入試は一度失敗して、研究には向いていないのかと思ったりもしましたが(これは、今でも思うんですが)、励ましてくださったのも思い出されます。
修士課程に合格したとき、伊勢海老料理を食べに連れて行ってくださり、伊勢海老のフライを注文したら、ただのエビフライでがっかりしたことも思い出しました。
あそこは塩焼きを頼むべきだった。
富山で修士の院生生活を送っていた時も、会いにきてくださって、話を聞いてくださったなあというのも、懐かしいです。
愛知教育大学に勤め始めたときにご連絡し、土曜日にあった研究会に伺ったのが最後だったかと思います。
愛知教育大学の居心地はどうか、と尋ねられました。
その後も、土曜日の研究会にはお声掛けいただいていたのですが、土曜親子日本語教室があって、土曜日に伺うことはできませんでした。
顔だけでも見に行けばよかったなあというのは、まさしく、後の祭り、というやつです。
FACEBOOKにも書きましたが、私も50を過ぎ、いつでも会えると思っていては行けないんだなあということを痛切に感じています。
仕事が遅いのを踏まえて、できるだけ、会いたい人には会っておかなくては。
今回、藤田先生の告別式に伺うことができたのは、ほんの数ヶ月前に、FACEBOOKで再会したある先生からのご連絡でした。
その先生からのお知らせがなければ、おそらく、今日、お顔を見に伺うことができなかったと思います。
それだけに、
そのほんの数ヶ月に再会できたことも、偶然かもしれませんが、藤田先生の導きだったのかもしれないと思い、今日は出かけたのです。
顔を見せにこい、と思っていただけていたのか、と。
教えていただいた先生方が次々と鬼籍に入られ、私自身はどれだけのことを学生に残しているのか、自問自答しています。
修士でお世話になった浅井先生も、学部でお世話になった藤田先生も、私にとっては、大学教員の一つのモデルです。会うたびに知らないことを教えていただき、良くも悪くも、事務仕事に拘泥せず、研究を進めていくというのは、真似たくても真似られません。
南山大学では、祝祭日も普通に授業があります。即位の礼の日も、ゴールデンウィークも関係なかったんですよ。
でも、今日は、創立記念日ということでの大学祭、授業がなかったのも、運命のように感じています。
もう藤田先生とお酒を酌み交わすことも、思い出話をすることもありません。
寂しくもありますが、
私が向こうへ行くときに、会える人が増えたと思うことにしたいと考えています。
大学で働く、というその第一歩になる覚悟を決めさせてくださったのは間違い無く藤田先生です。
その学恩に心からお礼申し上げます。
ありがとうございました。