AWA@TELL まいにち

南山大学で、日本語教育に携わる人材の養成を行っています。ホームページも是非ご覧ください。

もっと外に目を向けたい

2015年08月14日 | どーでもいいこと
戦後70年で、私たちがどれだけ成長できたかと、いろんなことを考えるのですが、

戦前の語学書を見ると、

東南アジア諸言語に関する語学書が多いということに気づきます。

それに、中国語にしても、朝鮮語にしても、ヨーロッパの諸言語にしても、

日本人が外に向けていた視線の広さに驚かされることがあります。

今の私たちは、どうだろう。

愛教大で学べるのは、英語、フランス語、ドイツ語、中国語、ポルトガル語、

語学の扱いでない科目ですが、朝鮮語が加わります。

多ければいいというものではありませんが、

地域のニーズで言えば、タガログ語やスペイン語はこれからも教員にある程度知っておいて欲しい言語ですし、

日本社会が受け入れている外国人と考えれば、ベトナム語やインドネシア語は重要です。

日本企業の進出を考えればこれにタイ語やクメール語が加わるでしょう。

でも、それらの言語が学べる環境は戦前に比べて増えているのでしょうか。

韓国や中国との関係が悪くなって、私たちは相手の言語で自分の考えを伝えたり、

相手の言う言葉を自分で解釈できる状況にないまま、

報道で流される加工された情報だけで判断するようになっていないでしょうか。

少し前、テレビ番組でとんでもない誤訳が流れたことがありましたが、

語彙の持つニュアンスの違いが適切に訳されていないことは、非常に多く、

いわゆる漢字語彙なんかだと、全然使い方が違うのに、

分かった気になって一人歩きしてることもあります。

国際関係がうまくいっていないという時ほど、対外研究は重要視されるべきで、

役にも立たない優越感で相手を見下し、研究の価値もない、と考えることほど、

思考停止しているとしか思えません。

中国語を学んだ人たちが中国からの情報について議論しているのを見るのは面白いのですが、

報道されたことだけで議論しているのは、そばで聞いていても面白くないですよ。

韓国からも情報も、韓国語でネットの記事やニュース、個人のブログなんかを見て考えるのと、

日本のニュースで紹介される情報だけ見るのとでは、深さも幅も違います。

そろそろ、英語も重要ですが、アジア諸国の言語にも目を向けて、

人材を育ててはどうでしょうか。

英語が通じるから大丈夫、という考え方は、

英語を知っている現地の人しか知り合えないということを前提にしている気がしてなりません。



加えて、

同じ日本人なのですから、

手話や点字を必修にして、日本人同士のコミュニケーションが取れるような配慮も欲しいと思います。



マスコミに踊らされて、自分で情報を取ることができなくなっている大学生が多いことを目にすることで、

そんなことを考えました。
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