AWA@TELL まいにち

南山大学で、日本語教育に携わる人材の養成を行っています。ホームページも是非ご覧ください。

マニュアル頼りは結局無駄。

2017年06月29日 | 研究

愚痴です。





いろんな書類があって、

研究費獲得のための申請書類なんかもあるんだけど、

業者さんがその書類をチェック、添削してより良い採択率を目指していく、という話に

ぼくは違和感を感じる一人。


結局、同じようなパターンの書類が出来上がるだけのような気がする。


ほら、ちょうど本屋さんで売っているような、穴埋めで読書感想文が書けるよ、みたいなもの。


それでいいのなら、最初から長い文章を書かせたりせずに、穴埋めで書類が出来上がればいいじゃないかと、思う。


大学の予算が削減されて、研究費を自分たちで稼いで来いという話になり、研究費の獲得まで評価されるようになったから、こんなことになる。





学生さんの指導に例えば10万円かかるとする。

これまで国が10万円負担してくれていたので、ありがたくそれをいただいて指導をしていたところに、

5万円は自分で稼いできて、とカットされてしまった状況がある。

5万円を稼ぐために書類を作るんだけど、同じことをしているのなら5万円は出せないといわれ、じゃあ学生さんの指導を海外で行うことにしますからもう5万円ください、と書類を作る。

認められて10万円になるんだけど、海外に行かなくちゃならなくなる。

翌年は、去年と同じことではお金がつけないと通知が来て、隣の大学と一緒に指導を行います、と書類を作る。

認められて10万円になるんだけど、隣の大学と一緒に指導を行うために連絡調整を始める。そして、去年やっていた海外での指導活動は、「必要だからやったんでしょう?やめてはいけません。」といわれる。

さらにその翌年、今度は指導回数を倍にするからと経費を申請。認められるけど、海外での指導も、隣の大学での指導も継続したまま。


こんなことになっていて、すみません、私はもうお金はいらないので仕事を増やしたくありません、という気持ちになってくるわけ。


周りの先生方は、5万円でいい、できることだけする、という方も結構いらっしゃって、

10万円あった時の指導の半分しかできないけど「仕方ない」と思っている人もいることは確か。


10万円あっても、どんどん増えた仕事を見て、僕は5万円分の指導もしていないことに気づいて、

自己嫌悪に陥っている状態。



もう5万円でいいじゃないか、と、思うようになりました。


だから余計に、より良い研究をするために外部の業者を入れる、よりよい指導をするために外部の業者を入れる、じゃなくて、より多くのお金を取ってくるために業者を入れるということには、正直あまり賛成できないのです。



もちろん、お金がないと教育研究が十分にできないという危惧は当然あります。

でも、上に書いたように、気が付いたら、もともとやっていた仕事はほんの一部になってしまって、「新しいこと」を次々に上に載せていってしまう始末。



先日書いたことですが、日本語教育実習のための準備、教案指導や教材作成を学生さんと一緒にやっていれば、いい授業ができるんですよ。

それを、海外研修を入れる、とか、日本語学校の見学をする、とか、根本的なところを抑えないまま上へ上へと積み上げていくから、本来とても重要なこういった活動も、学生さんの理解が不十分なままで行うから何の役にも立たなくなってしまう。


基本を固めるために何ができるか、そちらにシフトしていきたいと考えているところです。


目新しいことは増えたかもしれませんが、

基本的なことが固められていないように思います。


大学の改革は、それを求めていたとはとても考えられません。


変なたとえですが、「心臓のバイパス手術の新しい技法を開発する予算がついたけど、誰もまともに開胸手術ができない」ってありえないでしょう?

そんな感じですよ、日本語がまともに教えられないのに教材開発を求められるとか、ね。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« これ、うまい | トップ | 施設課の方はとても動きが早い »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

研究」カテゴリの最新記事