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AWA@TELL まいにち

南山大学で、日本語教育に携わる人材の養成を行っています。ホームページも是非ご覧ください。

教育の恐ろしさ

2011年05月30日 | 日本語教育
教員養成課程の学生さん向けの授業を持たせていただいているのですが、自分に何が教えられるのか、担当した去年からず~っと考え続けています。

基本的に、本を読めばわかることは授業であまり扱いたくなく、集めてきた資料や経験したことを基本にお話ししています。

昨年度も今年度も、「教育の恐ろしさ」をテーマにしています。

韓国の人々が世代によって対日観が異なることをドキュメンタリー番組を見ることを通して知ってもらいます。

戦前の日本が、植民地で使用していた教科書の実物を持ってきて、どんな内容を教えていたのかを話します。

その伏線として、戦前、植民地であった朝鮮半島でどのような映画が作られていたのか、また、登場人物はどのような言語を使用していたのかを、実際に見てもらうことで知ってもらっています。

僕が1時間しゃべるよりも、1時間、当時の映画を見たほうが、正確な、そして学生さんたちの関心に沿った情報提供ができるだろうと、「楽をしているだけ」に見えるかもしれませんが、そんな授業をしています。

先週、北朝鮮の教科書に描かれている日本を紹介し、実際にコピーを渡して翻訳を付けたのを一緒に読んだのですが、授業感想には「教育の恐ろしさ」を記したものが多く出てきました。

北朝鮮の子どもたちに偏った知識を与えている、という指摘が多かったようですが、翻って、自分たちが教育された内容を普遍化できている学生さんはほんのわずかでした。

北朝鮮の教科書、翻訳といっても僕が作ったかなり意訳の混じったものになっています。

本当に何を教えているのかを知りたいと思ったら、僕が抜粋してきたものだけでなく、全体を見る必要があります。

また、可能、不可能は置いて、元文にあたって自分なりに読みこなしていく必要もあります。

それに気づいている学生さんは残念ながらいませんでした。

教員の与えている情報だけで判断するということは、北朝鮮の子どもたちと何ら変わりがないのです。

情報がたくさんあふれている日本、という考え方があるかもしれません。

でも、どんなニュースを報道するかは、取材した人、編集する人によってどんどん選択されていっているのです。

選ばれた情報しか見聞きしていない、ということにどれほどの学生さんが気付いているでしょうか。

英語を習ったのですから、英語で書かれた新聞やサイトを除くということをするだけでも、かなり客観的に問題を持る目が養えるはず。

愛教大では、中国語、フランス語、ドイツ語、ポルトガル語、朝鮮語が学べますから、少なくとも日本語を含め、3つの言語で書かれた新聞に触れることは可能なはず。

将来教壇に立とうとする学生さんであるだけに、彼らの情報収集、分析の姿勢に不安を覚えることがあります。

次の授業は、ちょっと真面目に、こんな話をしてみようかと思っています。
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