さて。
本日は、修士論文指導2つと出張。
出張は、虹の架け橋事業の公募説明会でした。
不就学状況にある外国人児童生徒を就学できる状況に結びつけるための事業です。
愛教大では、スタート時から応募・採択していただいており、現在4年目が終わろうとしています。
きっかけは、リーマンショックの影響で、ブラジル人学校などへの学費が払えなくなった子供たちが、言語の問題から日本の公立学校への転入をすることができず、不就学状況になっている児童生徒が多数であるという背景がありました。
大学時代の後輩の一人が、教室を運営してくれています。
各市教育委員会のご理解もあり、今では40名近い子供が通っています。
日本語教育だけでなく、教科学習に必要な言葉の教育、不就学中に進んでしまっている教科学習のフォロー、日本の学校文化への適応、保護者の不安を払しょくすることなど、やることは山ほどあります。
実際には、学校でするのが妥当だと思われることも、学校現場が手いっぱいになっている状況では、周囲の力添えが必要になってきます。それが、地域の方々のボランティア活動であったり、大学生のボランティアであったり、NPO団体のかかわりであったりするわけです。
ボランティアは、ボランティアでしかなく、経験があり、責任を持って対応できる人を当てようとすれば、結局のところは、どれだけの経費がかけられるかです。
自治体のトップに意識があるところでは、年限を限ることなく雇用するということで、知識と経験のあるプロを雇用し、非常に効率の良い、効果的な教育をしているといいます。
教育は、今の日本では、治安の維持、社会の維持に欠かせないものだと思います。
特別なことをするのではなく、外国人児童生徒と呼ばれている子供たちが、日本の子供たちと同じように、普通に過ごせればそれでいいと思います。そのために何が必要か、考えている人はたくさんいます。ありがたいことです。
社会の右傾化や、外国人の排斥などが始まると、社会は活力を失います。
多様性があってこその社会だと思うのです。
この記事を読んでくださっている方には、改めて書く必要もないかもしれませんが、「外国人児童生徒」といっても、今では、国籍でくくることはできません。
以前、日本国籍を持たない児童生徒は義務教育の対象外、といって、そういった子供たちの教育に背を向ける人もいましたが、今では、日本国籍を持って、日本語が通じない子供たちが学校にふつうに在籍しています。
また、日本で生まれ育ったからと言って、日本語が日本人のように使えるわけでもありません。家庭環境、生育環境によっては、日本語も両親と話すための母語も、どちらも身につかずコミュニケーション手段を持たない子供たちも育ってきています。
そういった子供たちが、形だけの義務教育を終え、社会に出たとき、今の日本社会は、支えきれるでしょうか。
教育を与え、人材として育てることによって、労働人口のへり始めた日本社会を何とか支えてもらわなければ、10年後、20年後、私たちは今と同じ程度の生活は営めなくなっていると思います。
その時に、行動するのではなく、今、学校教育に予算を割くことが必要だと考えます。
さて、申請書類を作らなくては。
本日は、修士論文指導2つと出張。
出張は、虹の架け橋事業の公募説明会でした。
不就学状況にある外国人児童生徒を就学できる状況に結びつけるための事業です。
愛教大では、スタート時から応募・採択していただいており、現在4年目が終わろうとしています。
きっかけは、リーマンショックの影響で、ブラジル人学校などへの学費が払えなくなった子供たちが、言語の問題から日本の公立学校への転入をすることができず、不就学状況になっている児童生徒が多数であるという背景がありました。
大学時代の後輩の一人が、教室を運営してくれています。
各市教育委員会のご理解もあり、今では40名近い子供が通っています。
日本語教育だけでなく、教科学習に必要な言葉の教育、不就学中に進んでしまっている教科学習のフォロー、日本の学校文化への適応、保護者の不安を払しょくすることなど、やることは山ほどあります。
実際には、学校でするのが妥当だと思われることも、学校現場が手いっぱいになっている状況では、周囲の力添えが必要になってきます。それが、地域の方々のボランティア活動であったり、大学生のボランティアであったり、NPO団体のかかわりであったりするわけです。
ボランティアは、ボランティアでしかなく、経験があり、責任を持って対応できる人を当てようとすれば、結局のところは、どれだけの経費がかけられるかです。
自治体のトップに意識があるところでは、年限を限ることなく雇用するということで、知識と経験のあるプロを雇用し、非常に効率の良い、効果的な教育をしているといいます。
教育は、今の日本では、治安の維持、社会の維持に欠かせないものだと思います。
特別なことをするのではなく、外国人児童生徒と呼ばれている子供たちが、日本の子供たちと同じように、普通に過ごせればそれでいいと思います。そのために何が必要か、考えている人はたくさんいます。ありがたいことです。
社会の右傾化や、外国人の排斥などが始まると、社会は活力を失います。
多様性があってこその社会だと思うのです。
この記事を読んでくださっている方には、改めて書く必要もないかもしれませんが、「外国人児童生徒」といっても、今では、国籍でくくることはできません。
以前、日本国籍を持たない児童生徒は義務教育の対象外、といって、そういった子供たちの教育に背を向ける人もいましたが、今では、日本国籍を持って、日本語が通じない子供たちが学校にふつうに在籍しています。
また、日本で生まれ育ったからと言って、日本語が日本人のように使えるわけでもありません。家庭環境、生育環境によっては、日本語も両親と話すための母語も、どちらも身につかずコミュニケーション手段を持たない子供たちも育ってきています。
そういった子供たちが、形だけの義務教育を終え、社会に出たとき、今の日本社会は、支えきれるでしょうか。
教育を与え、人材として育てることによって、労働人口のへり始めた日本社会を何とか支えてもらわなければ、10年後、20年後、私たちは今と同じ程度の生活は営めなくなっていると思います。
その時に、行動するのではなく、今、学校教育に予算を割くことが必要だと考えます。
さて、申請書類を作らなくては。