AWA@TELL まいにち

南山大学で、日本語教育に携わる人材の養成を行っています。ホームページも是非ご覧ください。

覚えるということ

2013年11月09日 | どーでもいいこと
日本語教授法の授業。

オーディオリンガルメソッド、サイレントウェイ、TPRといろんな語学教授法の話をしているのですが、「覚える」ってなんだろうね、という話題に。

認知の研究をしているわけではないので、適当なことを言っているのかもしれませんが、結局は、思い出すきっかけをどれだけ多種多様に準備できるか、ということじゃないかと考えています。

うちのはるどんの話。

中間テストの社会で、あり得ない点数をはじき出したはるどん。

聞くと、試験範囲を間違えていたとか。

ヨーロッパと、アメリカと、アフリカ、の地理が範囲なのに、ヨーロッパしかしてなかった。

三分の二をやっていないというのはあり得ないのですが、授業ではやっているわけで、なんでこんなことに、と。

ヨーロッパは完璧なのよ、とはるどん。

妻が、

チューリップで有名な国は?

という問いをシャレで投げかけて見たら、なんとはるどん、


固まりました。

続いて、風車で有名、土地が低い、海を埋め立てて国土を広げた、自転車での交通が発達、など、教科書や資料集を見ながら妻が質問をします。

でも、はるどんは、微動だにしません。

お父ちゃんが、ターヘルアナトミアってあったよな、というとはるどんは少し気を取り戻し、

うん、解体新書、

と答えます。解体新書は江戸時代のどんな学問の中で書かれたのかな、というと、若干固まった後で

蘭学。

という答えが。そして、蘭学の蘭ってどこの国 という質問でようやくオランダという国名にたどり着きました。

彼女の記憶の中で、オランダという国は、「蘭学の蘭」というタグ、引き出しのつまみしかないんですよ。

質問が引き出しのつまみで、引き出したら覚えているものが出てくる、というのが記憶だと思うんだけど、どうなんだろう。

外国語でも、場面や会話の流れ、聞きてと自分との関係、というのが全てつまみになるんですよ。

語彙だけ覚えても使えないのは、意味でしかつまみがないからじゃないかと。


そんな話を授業中に話したのですが、その話を聞いたはるどん、機嫌が悪くなってあまり口を聞いてくれなくなりました。

寂しいです。
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