モンゴルで亡くなった後輩の鈴木千恵さん。今日はその一周忌になります。
三期生が10人ほど集まって、先生方も3名、僕も縁あって混ぜてもらいました。
行ったお店は名古屋駅の近く、「うな善」さん。
千恵さんをしのびつつ、昔の話や、今の話をして楽しい時間が過ごせました。
彼女がなくなったことを契機として、みんな、自分のことを見つめなおした、という話が出てきました。
彼女がみんなにどれだけのものを与えてくれたのか、改めて感じました。
展示は後10日ほどです。
あっという間でしたが、多くの方に来ていただけました。ありがとうございました。
そうそう。
ひつまぶし、個人的には三杯目のお茶漬けは、なくてもいいかと。
無理にする必要は無いのでかまわないのですが、ねぎと刻み海苔とわさびを落としていただくのが一番おいしかったです。
三期生が10人ほど集まって、先生方も3名、僕も縁あって混ぜてもらいました。
行ったお店は名古屋駅の近く、「うな善」さん。
千恵さんをしのびつつ、昔の話や、今の話をして楽しい時間が過ごせました。
彼女がなくなったことを契機として、みんな、自分のことを見つめなおした、という話が出てきました。
彼女がみんなにどれだけのものを与えてくれたのか、改めて感じました。
展示は後10日ほどです。
あっという間でしたが、多くの方に来ていただけました。ありがとうございました。
そうそう。
ひつまぶし、個人的には三杯目のお茶漬けは、なくてもいいかと。
無理にする必要は無いのでかまわないのですが、ねぎと刻み海苔とわさびを落としていただくのが一番おいしかったです。
福祉の専門家は「テストを簡単にするなどという考慮はかえって受験者に失礼」としていた。
看護士免許をとrには3年以内に合格すればよいが社会福祉に関しては1年以内。日本に来日してから、実際の業務に加えあき時間に勉強を行うためが彼女らの日本語のレベルがいくら上がったとしてもテストにうかるかどうかはとっても難しい問題でいま話題になっているのだとか。私は外国人向けだけでなく、漢字にふりがなを打つこと自体は考慮するべきじゃないかな?っと。帰国子女の場合も学習障害などのバリアをもったひともそうだが、仕事に関してはその仕事ができる能力を備えていれば知識をえた分だけチャンスが与えあれryべきだとおもうし実際に人がたりていないのだから現場に入ってからもずっと学習が続いていくわけだし学びながら医療にかかわっていくことも人で不足を解消するkeyだと私は思います。どう思われますか?
振り仮名をつける、というのは確かに大切な一歩だと思います。テストだけでなく、学習用の参考書にもつけてほしいところです。振り仮名さえあれば、自分で辞書が引けるのですから。もちろん、その辞書に出てくる漢字が読めるのかと問題はどんどん進みはしますが。
この看護士・介護士さんの日本語教育の現場は見学に伺ったことがありますが、あの期間の日本語教育で現場に送り出し、3年後にテストというのは無理だと思います。日本語学習に専念したとして初級から中級へいけるのが1年、さらにその上となると分野や個人の語学学習に対するセンスなどにも寄りますが、3年は優にかかると思います。
技能的なものが必要であれば、看護士・介護士試験を受ける人の母語で受験させれば済むことです。
人と人とのかかわりの深い職種ですから、日本語が分からなければならないということもよくわかります。特にお年寄りですから、方言も出るでしょうし、発音が明瞭でない場合も多いでしょう。
3年という期限を切ったのは、日系人の労働者が定住していることに対する危惧の表れではないかと考えてしまいます。
期限を切ってテストをするのであれば、通常なら合格するというレベルの対応をするべきです。たとえば、日本語については、有給で数年の専修期間を設け、その上でテストをする。専門知識については、振り仮名つきのテスト、または母語でのテストを行うなど。
看護士、介護士の能力を求めているのか、日本語の能力を求めているのか、優先順位は当然あっていいと思うのです。
それにしても、どうしてインドネシアとフィリピンだったのでしょう?
今のお年寄りの何人かは、そこで戦争をしている可能性が高いのですよ。無神経にその話をするお年よりはいないと思いますが、ちょっと気になっています。