小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

無題

2016年07月27日 | エッセイ・コラム

 

相模原の障害者施設における刺殺事件での犠牲者の方々の冥福を祈りたい。ご家族に心からお悔やみを申し上げます。そして、被害に遭われた方々の回復を切に願います。

 

ほんとに痛ましい事件だ。26歳のたった一人の犯行だからこそ、この事件の凄惨さは計り知れない。犠牲者は重複障碍者やご高齢の方が多かったという。なんと犯人はその施設の元職員であり、辞めるときに「障碍者は安楽死させるべきだ」との恐るべき発言をしていたらしい。今朝の新聞に衆議院議長にあてた手紙が掲載されていた。愕き、開いた口がふさがらない。

障害者を安楽死させるべき理由は「世界経済の活性化、第3次世界大戦を未然に防ぐ」からである、と。戦略の書なるものもあり「逮捕後は心神喪失による無罪判決 美容整形による一般社会への擬態(ママ)、金銭的援助5億円」を保障せよという内容。犯人植松何某という男のなかでは一貫した論理を匂わせるのか・・。いや、とうてい理解不能だし、安楽死をもたらすことが、刃物で殺傷するという行為になぜ結びつくのか。その理屈そのものが、端(はな)から論理破綻をきたしている。

障碍者は先天、後天性を問わず、なりたくて障害者になったのではない。後天的な障害だけを考えれば、「明日は我が身」であることは誰にでも認識できることである。そこに差別・被差別の要因はまったくないのが現在の最低限の共通認識といえよう。

誰もが放射能被害以上の確率で交通事故に遭う。すこしの想像力をはたらかせれば、彼らの苦痛や悩みを分かち合うのが普通の人であろう。いや、人間の感性や想像力は幅があるから、障害者にたいして殊更の思いを馳せなくとも生きていける。もちろん、それで全く問題ない。

 以前、「超自我」が未発達な若者たちの事件についてブログに書いたことがある。「超自我」の未熟どころではない。自己を律する、コントロールする精神作用さえ感じられない。それでいて、自分に都合のよい論理、合目的な欲望感情が異様に発達している。ただただ、自己を客観視する何らかのメカニズムが存在しない。

有識者、専門家の徹底した調査、分析を願いたい。

 

 

 

犯人・植松何某へ

刃物で首を、胸を何度も突き刺し、返り血を浴びながら 君は笑っていた

五本もの刃物を準備していて、それを安楽死と嘯いた 君の凶暴なやりかた

君は自分を見失い、他人を呪詛し、弱く劣るものを冒涜し、尊厳を破壊した

君は自分を語ったか、心の裡を誰かに、友に話したことがあったのだろうか

排除と殺戮をえらんだ君は、何処で生まれ、誰が育てたのか、学んだものは何か教えてほしい

傷つきやすく、身体に障碍をもつ、隣人を排除したがるものは、君だけではない 不思議とたくさんいるらしい

しかし 邪悪さを、底知れない暴虐を、心の凄惨さを見せたのは君しかいない

君はもう、回心する道すじ、親愛の情、悼むこころの欠片さえ失った

わたしは君の何ものでもない、しかし君よりは自由な人間だ

だからこれだけは言わしてもらう 

これからの君は、生死をこえる苦痛、惨殺された方の報復を、世界の誰からもうけるだろう 永遠に 

きみに安楽はない 永遠の死がつづく 覚悟したまえ



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