さようなら 海よ わたしは永遠にわすれない
おまえのたえにおごそかな美しさを。
たそがれどきの おまえの深いどよめきは
ながくながく わたしの耳にのこるだろう。
わたしはおまえの思い出に胸をみたされ
おまえの岩を おまえの入江 光と影を
はてしなきその潮騒を はるかな森へ
ことばなき 荒野のはてへたずさえてゆく。
(『プーシキン詩集』から。金子幸彦訳)
その筋の観測から外れてプーチンの演説は、単にウクライナ侵攻を正当化する平板なものであった。ロシアにおかれた現状を確認し、「戦争」の継続を国民に訴える。具体的な良い戦果はないから、殊更に報告することはしない。年中行事としての「戦勝記念日」そのものだった。
ただし、近未来を見据えれば、国が窮地に追い詰められることをうすうす感じはじめたのか、プーチンはもちろんロシア国民も・・。勝手な憶測だが、冴えない人々の沈着な表情を見て、そんな不穏な感慨をもった。少なくとも、3月18日のときのような高揚さは微塵もない。戦没者への哀悼の式典だからなのか・・。
プーチンは自分が生まれた時のソビエト連邦、そして大過去の帝政時代、その壮大なる祖国ロシアの歴史に思いをはせている。革命を成し遂げたレーニンか、それとも専制独裁のツァーリ(君主)になぞらえたか、プーチンは自ら国民に「偉大なロシア」を吹き込みたいと願っている。
2012年に再び大統領に返り咲いてから、帝政ロシアの領土に基づく歴史論文を書き、それに付随する軍事行動の正統性を実証するものだという。そういうことを進言する取り巻きもいたそうだが、プーチンは自らすすんで独善的ナショナリストになった。ひとはそれを「プーチニズム」とよぶ。
19世紀はじめの帝政時代、詩人プーシキンは、現代ロシアの教科書に採用される、国民の誰もが認める代表詩人である。国民の大半が農奴であった時代にあっても、貴族出のプーシキンの詩は誰からも愛された。なにせ文豪ドストエフスキーに、「われわれはすべてプーシキンから出発している」と言わせたほど、この詩人は、日本人にとっての松尾芭蕉のごとく、時代を超えて強い影響力をもつ存在だ。
とはいえ、プーシキンの詩は、ロシア語を解せない日本人としては、その些か古くさい美文調の言い回しで、ちょっと敷居が高い。ロシア語で読むことができるなら、耳から入る言葉の音はまったく別の印象をあたえる、格調高い韻文であるはずなのだが、どうしたものか・・。
金子幸彦という人の訳文をはじめて素読してみた。すると、言霊が通じてくる何か、プーシキンの気高さが伝わってくる感じがした。朗読は、齢をとるほど面倒くさくなる。声を出すのも声帯の筋肉をつかう。なので、使わなければ衰えるのは必定で、自分の発する音声は、残念ながらかすれて弱い。その貧弱な日本語でも、プーシキンの誇り高い詩魂が伝わってくる。
さて、冒頭にかかげた詩の一節は、プーシキンが皇帝の圧力から逃れるためにオデッサ(オデーサ)に逗留していた時に詩作した、「海に」という詩の最後の部分である。その時1824年。今から約200年前になるが、帝政時代の真盛りの中、貴族や青年将校を中心に「民主制と自由」が叫ばれる時代だった(2024年になっても、ロシア国民が「民主制なるもの」を希求する気配はない。求める人は外に出る)。
翌年の1825年には「デカブリストの反乱」というロシアの青年将校が蜂起して、帝政打倒をかかげた反乱である。ロシア革命の先駆的行動として学生時代に習ったが、フランス革命の余波ともいえるか(※注)。そうした時代のさ中にプーシキンもまた、精神の自由を主張し、苦難からの解放を言葉にした。その平明で簡素な詩は、ロシアに生きる誰もの心を震わせたという。
そう、プーシキンの詩は、皇帝の心をも動かし、ツァーリとしての野心を砕いたのである。時のニコライ一世は、プーシキンの詩が治世を揺るがすほど強度があり、恐れるあまり自ら詩の校訂に乗りだしたという。プーシキンは当然のごとく逆らったが、常に監視され、謹慎を余儀なくされる身分となった。そんな中でも、ひそかに書き続けられた詩は人々にとどき、多くの国民の心を揺さぶったのである。
生粋のナショナリストとしての顔をもつプーチン大統領は、プーシキンの詩を諳んじたことがことがあるだろうか。現代のロシアに、プーシキンのような詩人はいるだろうか・・。いたとしても、みな国外に出て行ったかもしれない。プーチンに詩を改作する文才があったとしても、かつての皇帝のように、体制に対して頑強な抵抗を示す詩人は決して許さないはずだ。いや、毒殺されるかもしれない。
プーチンという男は、国民から愛されることを決して欲しない大統領である。畏怖され、忌避され、ときに驚嘆される、そんな独裁者になりたい、と思っているのではないか。孤独であることを厭わない不屈の人、プーチン。彼は過去の亡霊とともに、ソビエト連邦の大復活を夢見ているのかもしれない。
▲黒海の真珠といわれたオデーサ。
(※注)ウィーン体制のもとで、ヨーロッパの憲兵といわれたロシア皇帝は国際的な反動勢力の中心として、自由主義やナショナリズムへの弾圧を強めていたが、青年将校たちは、ツァーリズム(専制政治)とそれを支える農奴制がロシアの後進性の根元と考えるようになっていった。
プーシキンでアレでしょう、「現代の英雄」で反骨心を。そして、
「青ざめた馬を見よ」で革命組織でのドキュメント小説を描き、やがて流刑地から戻ると赤軍に身を投じて、「鋼鉄はいかに鍛えられたか」で革命運動の大義を力強く描きながら病死した……と思ってました。
現代の英雄はレールモントルフ、
鋼鉄はいかに鍛えられたかはニコライなんとか氏。
青ざめた馬を見よ は五木寛之…でなくて本家は誰でしたっけ、SL戦闘団のテロリストですね。いずれも中学生の時に読んだので、全著者を一つの伝記みたく覚えてした。プーシキンは「スペードの女王」だったかなぁ。短編を読んだような。
しかしロシア革命史って、何であんなに退屈なのですかね?
レーニンの封印列車があって、コルチャークのシベリア独立とシベリア出兵があって、ラスプーチンがいて、消えたロマノフ黄金があって、ウオッカとロシアンルーレットがある。どう考えても三国志なみに面白くなるはずですが、ソ連共産党の歴史書翻訳を読んだ時に、眠気が5ページで襲ってきましたよ(笑)
(まあ、でも『現代の英雄』は中学3年のときに最後まで読んだ記憶がありますが、たぶん抄訳版だったかな。内容も決斗ぐらいしか覚えていない!)
「なぜ眠くなるのか」のか。構造が簡単なんです。
皇帝と「僕」、あるいは皇帝と僕の家族。社会が単線的というか、物語構造に複雑な要素が入り込む要素が少ない。
西欧とはかなり違うヨーロッパの辺境、ロシアン・アイデンティティはあるが、書いた人は「皇帝と農奴」に挟まれるインテリゲンチャの「僕」。
そんな当事者意識のない人が読んでも、たぶん眠くなりますね。もちろん、これは私だけの感想ですけど。
この記事にコメントしてくれたのは、たぶんプーシキンの魔力で、それを感じたスナフキンÀさまの慧眼ではないでしょうか。
書いた時の私のモチベーションは、プーシキンではなく「色が血になる(シキ⇒チ)」つまり「プーチン」その人を想定して書いた記事なんです。
これにコメントしてくれたスナフキンÀに励まされ、近いうちにあたらしい記事を書くヒントを与えられた感じで、感謝ですね。
そこで、このコメのリコメをしてください。
ともかく、ありがとうございました。
オデッサと言うと、私はフレドリック・フォーサイスの「オデッサファイル」が頭に浮かび、ナチス残党とかになってしまう(笑)
写真選びセンスのお陰です。
それよりも、小寄道様の慧眼に改めて驚く!
言葉は違うけれど、「自壊する帝国」でソ連崩壊を目にしたドキュメントを書いた佐藤優氏が、でもロシア文学って雄大なんだけとアレなんだよねぇ……と同じ事を言ってました。ロシア贔屓で知性を大事にする彼が、
嘆息せざるえない「退屈さ」とは、佐藤氏が「言えないズバリ」を御指摘なさっていて、「眼から鱗」でした。
私のように「ダテに読書や経験してきた駄馬」とは違います!
座布団2枚🎉🎉🎉
ジョン・リードの「世界を震撼させた10日間」が一番な気がしますね。
ロシア人の書いたものよりも。もうトロッキーだのレーニンだのの唾がかかってきそうな演説の描写とか。あれを超えるのは難しいかと。
ロシア人の書いたものなら「ピョートル伝」ですかねぇ。
啓蒙君主で、自作の松脂くさい蒸留器でウオッカを作りグビグビやりながら、妾の首を斧で跳ねて、その場で解剖学講義。吐いた家臣をまた斧で。とにかく直線が好きで、道路は全て直線にしろと地図に線を自ら引いて、その線からズレると責任者をまた斧で。
斧が大好きなんですねピョートルの殿様は🤣🤣
あの「イワンの知性」というのはロシア人でないと表現できなかった気がします。ではでは。
スナフキンÀさまの畳みかける投稿にちょっと混乱しています。多少旅疲れがあり、敏速にリコメできないと思いますが、一つひとつ書いていきます。
ピョートル大帝とプーシキンの対比はひとえにその肖像画です。
ロシアの民衆は、圧倒的にプーシキンのそれを飾っていました。
プーチンは一般大衆の家庭に生まれながら、自己像をピョートル大帝に重ね合わせた稀有な人物。近々、その記事をアップする予定です。今しばらく、お待ちください。
佐藤優氏について。彼とは同じ高校で後輩になります。このブログ内で彼の名前で検索してみてください。何本か、記事を書いたことがあります。
では。