今朝の東京新聞。物騒な記事が二つも一面を飾った。
まず、南スーダンでのPKO活動を展開予定という記事。安保関連法案をなんだかんだと成立させた、そのことを誇りたい安倍首相の、肝いりというべき自衛隊派遣なのか。武器使用を前提とした「駈け付け警護」の任務を拡大したもの。かつてカンボジアでの小規模なPKO活動において、自衛隊員とボランティアが犠牲になったこともあったのだが・・。
もう一つが、総事業費四兆数千億円といわれるオーストラリアへの潜水艦製造セールスの話。こちらは武器輸出の要となる防衛装備庁がリーダーシップを取るだろうが、豪州新政権の要望にこたえ現地での4万人の雇用創出のため、三菱と川崎の各重工業会社が現地製造するとのこと。
潜水艦は溶接や鋳物技術などすべてが「機密の塊」といわれる。金になるのなら独自のハイテクノロジーをも売って、武器製造大国をめざすとでもいうのだろうか。これらは契約を含めて未定ではある。しかし、これも安保関連法成立の一環として、日本が「戦争できる国」ということを内外に強く打ち出したものだ。
二日前か、ご無沙汰していたブログ「内田樹の研究室」を覗いたら、彼の記事ではなく元駐日英国大使コルタッチ氏がジャパンタイムスに寄稿した記事の全文紹介だった。
正鵠を射た安倍首相批判論である。興味のある方は直にブログをお読みいただきたいのだが、大いに首肯すべき幾つかの卓見を自分用としてここに転載することにする。
●日本における改憲についての国民投票はつよい情動的反応を引き起こすはずである。デモやカウンターデモが繰り返され、それが市民たちの衝突と社会不安を結果する可能性が高い。
日本経済はそれによって影響をこうむり、国民は疲弊するだろう。アジアにおける安定的で平和なデモクラシーの国という日本のイメージが傷つけられることは避けられない。
●日本は人口問題の危機に直面している。人口は高齢化し、かつ減少している。労働人口比率のこの減少は日本の成長と将来の繁栄にとって深刻な問題である。人口減から生じる経済社会的脅威をどう抑制するか、そのことの方が、瑕疵があると批判されてはいるけれど、現に70年近くにわたって日本の繁栄に資してきた憲法の条文をいじり回すことよりもはるかに重要なことではないのか。
●中国経済は年初から好材料がない。中国政府が経済を成長軌道に再び載せる手だてを持っているのかどうかはまったく不透明。
習近平主席は汚職摘発と分離派への弾圧を同時的に行っている。中国政府はこのような時期に日本から仮想的ではあれ脅威がもたらされるということになれば、それを利用して、国内のナショナリズムを煽り、中国の国内問題から国民の目を逸らそうとするだろう。
●日本は英国と同じように、21世紀の世界の中で、その国力の漸減という状況と折り合ってゆかなければならないのである。たしかに日本は今ならまだ世界に対して何ごとかをなしうる余力がある。けれども、その影響力と人口を絶えず失い続けているという事実を直視しなければならない。
●日本はなぜ今そんなことのために時間と努力を浪費するのか? なぜ日本はこれほど多くの問題を抱えているにもかかわらず、それを後回しにするというリスクを冒すのか? 安倍は想像上の過去の中に暮らしているのだろうか?
以上。
日本は確実に過去を向いていて、なんら反省のないまま新たな軍事国家への途を歩んでいる。そういう評価を国際政治のプロフェッショナルな外国の要人が指摘している。謙虚に耳をかたむけるという姿勢を、私たちの政治家はもっているとしたら、どのように受けとめ行動に移すであろうか・・。
一昨日満を持して、「秦の始皇帝と大兵馬俑」展を見に行った。期待に違わず、二千三百年以上前のものと思われない、技術と芸術性に優れた文物の数々に圧倒された。
中国を最初に統一した始皇帝は、まさに軍事力を筆頭に言語から日用品、生活のインフラに至るすべてに権力を行き渡らせた。それが東洋のピラミッドというべき、秦始皇帝の墳墓陵に温存されていたのである。
↑ 記念撮影用に設けられたブース内。これらはすべてレプリカである。ほかのものは撮影できない。
兵馬俑にある8000体もの軍人たちの彫像技術はアートの域に達している(今回は将軍、軍吏、騎兵、歩兵など各階級の代表するものが一体ずつ十点以上展覧。また軍馬もあり、それぞれが生き生きとした彫像である)
↑参考までに絵葉書を添付。左の立像は「立射俑」である。弓を射るときのフォルムが美しい。360度どこから鑑賞しても惚れ惚れする。他のものは大たいが正面立ちだ。紀元前三世紀、兵馬俑のすべてに彩色がほどこされていた。そのイメージ映像も場内にあり、目もくらむほどの鮮やかさであった。8000体はどれもが実際の兵をモデルとして作られているので、表情や体型がすべて異なっている。西安市にある皇帝陵の発掘はいまだに続けられてる。
金銀を惜しみなく使った武具や装具などに瞠ったが、その製造技術の高さにこそ、中国悠久の歴史を感じざるを得なかった。びっくりしたのはT字型の水道管で、ほとんど現代にも通用するインフラ技術であろう。
これらすべてが始皇帝の墳墓の周囲に、そっくりと地下に埋められていたという事実に驚かざるをえない。権力者の夢、統一を果たしたという権力の威容を永遠にとどめること。それは現代の私たちにまで知らしめたといえよう。始皇帝の野望は、二千年を経っても持続しているのだ。とはいえ、秦という統一国家は、始皇帝が死んでまもなくしてあっという間に瓦解した。
歴史を鑑みるに、軍事で培われた知と技術は、生活を豊かにしたという実績は確かにある。しかし、権力者がいだく統治・支配欲はまことに儚く、継続性のないものだ。その変遷と顛末を考えるとほんとに虚しくおもえる。
戦争で使われたあらゆる英知と労力が、もし別のものに注がれていたとしたら、それはどんなものになったのか? それがどんな形、思想として現在の私たちの前に現出しただろうか。
たんに「胡蝶の夢」として消え入るのみなのか・・。
追記:国立博物館本館にも足を伸ばした。外国人観光客が多く、がんがん写真を撮っていた。よく見ればほとんどが撮影可能である。やっと日本も外国なみになった。
記念として一つだけでもここに貼っておく。
↓ 建物内部も素晴らしい。