先日、70歳で亡くなったフランス・ギャル(1960年代後半「夢みるシャンソン人形」でフランス国内、日本でヒットしたフレンチポップ歌手)とシャルル・アズナブールのことなど、竹下節子さんとコメントを交わした。文字通り「ギャル」、かつての可愛いフランスのアイドルが、「大人のおんな」として成長したこと。そこに人間としての成熟した女、あるいは本質的なフランス風のフェミニズムを見出すことができた。
竹下節子のおしゃべり広場⇒http://8925.teacup.com/babarder/bbs/1035
ひるがえって、日本の「可愛い女の子」にまつわる言説は、「かわいい」から「KAWAII」までワールドワイドに浸透し、その派生する概念・アイテム、関連するものは際限がないものになっている。
ところが、不思議な現象ともいえるのだが、なぜか「かわいい」のステークホルダーともいうべき日本の若い女性たちは、フランスと違って「大人のおんな」になることを拒否する、止めてしまった。大人の女への指向性、その片鱗さえ感じられない。私の思い過ごしかもしれないが・・。
竹下さんにとっては、「かわいい」は「猫」の属性のようなものであるが、現代日本における「かわいい」について、ある種の危惧を抱かれていたことは確かだと思う。
でも、人間の場合、一度、「かわいい」という評価がペイするとなれば、それをめぐって「かわいい」の演出や「かわいくなくてはならない」という洗脳や、「かわいくない子の排除」やらがエスカレートするのが問題で、しかもそれは未成年の子女にも及ぶので深刻だと思います。
「かわいい」という感情アイテムが昨今、流行現象の鉄板ネタとして使われ、ファッションの鉄壁ともいうべきジャンルを確立したかのような言説がある。「かわいい」を理解すること、身につけることが女性の必須アイテムかのように世界を覆っている(欧米が主流かも知れない)。
そもそも「かわいい」の初源は平安時代の清少納言あたりからが通説だが、そういう文化史的考察よりも、現代的意味というか、今を流通する「かわいい」を考えてみたい。
まず、その「かわいい」の本質、あるいは属性を洗いだしてみた。
●「かわいい」ものは、年齢を問わない。また、成長・成熟を拒絶したところにある。
ただし、現代の「かわいい」は、発端がアイドルとしての「女の子」がイメージ素材として存立している。その意味では、賞味期限があるらしい。だいたい25歳くらいが定年なのだろうか・・。なので一般の女性たちを念頭に、つまり年齢を問わない方たちを対象にすると、「かわいい」という概念を、未成熟だったころのワ・タ・シ」を想像してもらいたい。そんな初心(うぶ)な感情を、自分自身にとりもどすこと。或いはテクニックみたいなものを身に着ければ、四十、五十の「おばさん」も七、八十の「おばあさん」も「かわいい」を獲得できる。
現役の「かわいい」女の子に、「かわいいー」と言ってもらえれば、即・認定されるはずである。巣鴨の地蔵通りを歩くおばあさんが、孫のアドバイス通りの格好をしたら大評判になった。可愛く変身できるお店もあるらしい。
身も蓋もないことを書く。理知的になること、重厚に年を重ねること、功利的に生きること、これらは反「かわいい」宣言することにほかならない。立派な大人はすこしも可愛くないことは、常識であり誰もが認めることだ。(表現の幅が、飛躍的にひろがるということ)
●この「かわいい」には「自分」というものがない。主張する「自分」もいない。
自己主張の強さはたちまち排除される。「自分」という「我」がでると、現役女子高生(以下JKと表記)からも嫌がられる。「我」は「灰汁(アク)」のようなもので、後述するが「純粋さ」も「かわいい」の属性に含まれるので「アク」の強さは嫌われる。JKたちの仲間内でもそうだから、これがもっとも出ている「おじさん」はもっとも忌嫌われる対象である。
「自分」「自己」にこだわるインテリ女子は、受験にまい進する。あるいは、「引きこもり」や「メンヘラ」などの孤立化に進むしかない。いや、「おわらい」への活路もあった。
●「かわいい」は「笑い」や「おかしい」との相性がすこぶるいい。
「かわいい」を信奉する女性たちは、芸人のお笑いにはすこぶる敏感である。彼らの瞬間的な芸や、一発的な受けねらいのジョークにも「かわいい」で反応する。JKを中心に女性たちがお笑い界を盛り立てている。新造語も次々と生まれているようで、これも「笑い」のセンスと「かわいい」の感情が合流して、流行語になることはご承知のとおりである。
ごく内輪のネタだが、恋愛関係で悩む友だちの話をきいたJKが、そのあまりにも激しい浮き沈みの男女関係に対して、とっさに「そりゃ可哀想な『ヤマタニエン』だわ」と返した。そのときの哀しいムードが一気に和んだという。
「笑い・おかしさ」に関連する新造語もあるが、日常語の省略・言い換えあるいはラップ調の早口など「言葉のセンス」の良さも「かわいい」の属性のひとつと数えていいかもしれない。
●「かわいい」は、なによりも見た目が重視される。
ただ、綺麗&清潔&癒し&純粋&慈しみ&?(時代の変化に応じて、その見た目の良さのアイテムが増殖するから厄介)もちろん、アイドルタレント並みの「かわいい」は、本来の美貌を兼ね備えたものであることは間違いない。
そんな見た目は「鉄壁」であるが、一般的には、一点豪華主義的な「かわいい」を演出することでも、仲間うちからの評価を得られるらしい。たとえば、指先のネイルアートが評判のプロにやってもらうとか、独自の芸術センスでほどこしたものには惜しみない賛辞がおくられるという。
見た目を重視するあまり、JKの制服が「性産業」のアイコンになってしまった。いかがわしい風俗店が、「制服」をアイキャッチャーとして使用することは、「条例」(?)で禁止されたのは、つい最近のことだった。
竹下さんへのコメントにも書いたが、多くの男たちが「かわいい」に対して性ホルモンを発動させた。これは私もふくめて、男の節操のなさ、倫理観のなさ、高潔な魂の欠如を証明するものだ。アニメ・ゲームに多くの時間を費やした結果、性衝動を「かわいい」に短絡させた。ヴァーチャルな対象で欲望を解消するのは、あまりのも男の志が乏しいと言いたいところだが・・。
●「かわいい」は、退行するもの、縮減するものと相性がいい。
成長、成熟しないことが「かわいい」の属性であったが、その逆をいく「反・成長」つまり「退行するもの」や、成長をある時点でストップしたものに「かわいい」が見出される。たとえば、いい歳をした人間が、少年・少女のような「しぐさ」や格好をする時、「かわいい」の発露となる。
セーラー服を着た初老の男性など、私からみれば悪趣味で気持ち悪い何ものでもないが、JKから見ると「かわいい」に見えるらしい。また、最近では「失われた20年」と関係するのか、それとも成長できなくなった日本を象徴するのか、バブル崩壊時に流行したイケイケ・ファッションがJKのなかで再び見直されつつある。
さて、私のような「老い」の段階に達しているものは、それに抗して「アンチ・エイジング」というものがある。健康志向であるし、「若さ」への対抗ならぬ退行ともいえるか・・。これは「かわいい」ことか? 私の知見からは「かわいい」とは言えない、なぜなら「あきらめ」がないからだ。あきらめつつ思わず「若かりし頃のしぐさ」こそが、「かわいい」のだと考える。
●「かわいい」は、平等や分かち合いと相性がいい。しかし陥穽とリスクは大きい。
「かわいい」を自分だけで独占することは許されない。「かわいい」ものはみんなでシェアし、楽しい情報として共有するものだ。だから、仲間との絆、つながりは密になる。
一方で、「かわいい」は商品価値がますます高まるアイテム・概念であり、そのみちのプロのターゲットになる。「かわいい」を独占することで生まれる商品価値は、女性たちの利害をうみ、人間の関係性の崩壊をうながす。
「性商品」として囲い込まれると、「MeToo」さえも言えなくなる。大きな罠と危険が口を開けて待っている。
しかし、「かわいい」の平等性、等価性はきわめて未来を志向している。大切に育むべきアイテムである「かわいい」は、社会的に構築していくべきだ、私は思っている。(なぜなら、日本王朝文化の正統性のなかに、「かわいい」と「優しさ」を見出し、また感じるからだ。この類の論文とか論評ないかな・・)
▲一人芝居「土佐源氏」を50年間演じ続ける、坂本長利(88歳)。私が「かわいい」と思う、数少ない老人である。
以上
3,4年ぶりぐらいか、橋本治の「いつまでも若いと思うなよ」という新書を読んだ。彼はバブル時代に高額のマンションを買って、もの凄い借金の返済のために著述に打ちこんだ。身体がおかしくなって、血管の難病やら数種の病を患った。今は歩くのもしんどいという。どこから見ても病気をかかえた老人にしか見えない、と自分で書いていた。
私が少女マンガを読んだのも、「かわいい」という概念を知り、小林秀雄の凄さを教えてもらったのも、橋本治(おさむちゃん)のお蔭である。病気や老いに向かう、おさむちゃん流の気概に力をもらった。で、今回は「かわいい」のミニ持論を書いてみた。おさむちゃんへのオマージュでもある。
彼は最後に書いていた。孤独死がなぜ怖いのかわからない・・。飼い猫のクロが死んだ時のように、自ら進んで縁の下に土になりに行くようなことはできない・・。
結局私は、「生」の方向からでしか「死」を考えられない人間で、「死」というものは、「生」の方向から考えても「考えるのは無駄だと」という答えしかくれない、ものかと思うのでした。
(橋本治の「いつまでも若いと思うなよ」(新潮新書)より)
" How cute ! " って叫ぶ人に日本以外でも何度か出くわしました ((((;゚Д゚))))))) ちなみに、
日本の男性にありがちな「 若くて、かわいい女の子[ 日本のアイドル タレント的 ]に魅かれる... ❤️ 」感覚って欧米の男性は少なそうです。
私の知っているかぎりでは、欧米の男性って「 かわいい 」は、子供っぽく、お色気たっぷりの「 セクシー 」に どうも蹌踉めくような気がします。あくまでも、個人的な意見ですが... (笑)
これは、もう言葉の合理化というか省力化のような気がしています。これは若い人たちに顕著な特長で、もう「むずかしい」が「むずい」になってしまっています。30位の成人男性がふつうに、そう話していると「なんだかなあ」と思ったりします。
「かわいい」という発音がきっと、魔力的な響きがあるんですね。女性たちが集まって、「これ、かわいい」ときゃっきゃっ言ってるのを見ると、これまた「かわいい」と思う我ありなんです、悔しいかな。
まあ、言葉は、時代や状況におうじて変化するもの。原理主義者のようにうるさく言うつもりはありません。
原さん、これからも「かわいい」コメントくださいね。