小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

個人としての意思決定、AIを見据えて考える

2021年08月28日 | エッセイ・コラム

現在ほど情報が氾濫している時代はない。情報は高きところから低きところへ流れる。あるいは権威づけられたところから無秩序な領域へと拡散する。
科学的な分析データや統計、専門家による知見、卓見など有益な情報のほとんどは、多くのどうでもいい間違った情報に紛れてしまう。あるいは改変されて届けられている、と思う。

普遍的な知の情報は、叢のなかの針をさがすようなものだ(学問の砦のなかにいる方は別ですが・・)。

ソーシャルメディア全盛のネットワークは、とうてい個人には関与できない。基本的にプラットフォーマー(フェイスブック、ツイッターなど)が裁量権をもつからだ。といっても、事実上ネットワークは自由放任主義が貫かれている(のようにみえる)。ネットのSNSなどでは、友人とか似た者同士を介して情報はさらに錯綜し、多重のバイアスを通して個人に浸潤してゆく。

これらは、希望的に語るならば、信頼を寄せる友人やオピニオンリーダーとの情報交換により、未整理の言説はフィルターにかけられる。さらに、自分なりに分析・確認するべくインディペンデントな視点をもちたいならば、しかるべく科学的知見・エビデンスを発信する研究機関にアクセスしたり、それに近い専門家に分析・評価された確度の高い報告(記述&データ)を参照できる。

ある意味でこれらは知の体系化であり、第三者に権威づけされ、集約された知見ともいえる。だからといって、この段階でまだまだ普遍性をもつ情報とはいえない。小生は猜疑心がつよく、まあ、自分自身に信を置けないヘタレでもある。

ともあれ、ソーシャルメディアを経由する、偏向したイデオロギーや歪曲した信念をもつ第三者からもたらされる情報は、かなりの確率でデマゴギーとか陰謀論的な言説として加工しやすい。誰もが容易に、そこに個人的な感情や願望を塗りこめて情報発信できる。
実際にもアメリカにおいて、大統領選やワクチン接種などで深刻な社会問題に発展した。Qアノンの扇動により多くのひと「悪魔の見えざる手」によって踊らされた。その過激な行動は、革命の正統性に基づいていると訴えても、とどのつまりは国家権力によって犯罪行為として断罪される。見るがいい、逮捕された多くの人が事の次第を理解し、認知バイアスでつくりあげた自己幻想に気付いた。その後遺症に悩んでいるではないか・・(人間関係の崩壊、不本意な移住など)。

これは無定見な人が歪んだ情報に左右され、愚行に走っただけだと、知の罠にはまった人々を簡単に切り捨ててはならない。
彼らの確信ある行動は、それなりの客観的な裏付けがあって判断した結果だった。まあ、アメリカの白人社会に見られる典型的な原理主義・福音主義に基づく、いわば妄信的な人々が大多数であったが・・。いずれにしても、かれらは結果としては烏合の衆であったと評価された。

個人的な見解をいえば、ソーシャルメディアには信頼できる鑑識システムがない。社会的な軋轢や弊害が生じないかぎり、情報は臨界に達するまで垂れ流し状態になる。バズったり、炎上したりする。
いちおうチェック機能としての見張り役はいるらしいのだが、SNSでつながる似た者同士でも、相反する同士でも、結果的にエコーチェンバー(特定の意見を増幅または強化すること)の領域に陥るといわれる。誤った情報の拡散を、さらにブースト(増幅)させることも危惧される。

両親がアルメニア人でトルコとアメリカの国籍を持つダロン・アシモグルという経済学者がこんなことを言っている。
ネットワークの目的が、エンゲージメント(関与の度合い)を最大化することにあるなら、ネットワークは内生的に、多くの似たもの同士のネットワークをつくり、たとえ間違いを自由に突き止めて防止できる環境だとしても、人々はあえてそうはしなくなる。間違いを好みさえする。そしてそのことがさらにエンゲージメントを強化する。

何気なく付き合っている似たもの同士のネットワークが、真実の情報を得る上では、かなりまずく、間違った情報を発する側にとっては好都合なのだ。とりわけ2番目の問題点は、プラットフォーマーが悪化させていると言える。

 

私たちは今や、ネット環境に身をまかせながら、適時・適正の意思決定を自ら下すことは難しい状況にあるのだ。独自の決断なぞ望むべくもない、もはや無謀なフェーズに入ったようだ。少なくとも小生のような浅学菲才の一般人、とりわけ社会とのつながりの薄くなった老人にとって、是々非々の判断を速やかに行う根拠や自信さえもない。

それは単なる能力不足と学習の怠慢のせいだと非難されるむきもあるだろう。甘んじて受け入れるしかない・・。ただし、傲慢な自己開陳、あるいは東大話法的な自己都合、立場優先主義のコミットメントを完全に封じる。迂遠であるが、自分が作用できることを一個ずつ確認し、行動への道筋をつける。それを自らに課していると理解してほしい。

 

話の視点を変えるが、最近、10秒で文章やウェブサイトを3行に要約、無償で使える人工知能ELYZA(イライザ)というものを知った。日本語の文章を自動で要約する「ELYZA DIGEST」というAIだが、文章の流ちょう性は人間には劣るものの、出力する情報の正確性は人間と同等の作文力があるとのこと。

人間だと約5分かかるところが、ELYZA DIGESTだと約10秒というスピードが凄い。手順としては、文脈を瞬時に把握し、要諦と解説ポイントを適正にまとめ、論理的な構成で作文する。とうぜん一連の作業プロセスには、編集・校正もアルゴリズムとして組み込まれているだろう。

こうしたELYZA(イライザ)のようなAIがもっと進化し、前述したネットワークのソーシャルメディアにおける膨大で淫らな言説空間を開墾してくれる。今までとは一味違う、別物のAIとして立ち現れる時代がやってくる。

強いバイアスのかかったメッセージ、陰謀論に汚染されたオピニオン、的を射る視点に欠けたデータ解析などは、瞬時に排斥される。そして、人間の恣意的なプログラミングさえも拒否する自立型のAIが、ひとりの人間の脆弱な意思決定を、より確かに強力にサポートするようになる。

課題や困難もあろうが、ちょっと光明が見えた気がする。ネット空間に耽溺することなく、その余った時間を有効につかおう。たとえば、野趣あふれる自然のフィールドに出ていくのもいい。

自分としては、その恩恵にあずかることはたぶんないだろうが、こんなお気楽で賢く生きていける未来を考えただけでも楽しかった。

 

 

 

 

 


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