金沢に暮らし始めて40数年.。この街で「見たものは、見た」。最近は「軒端に冬の山晴れて見ゆ」って心境に。
金沢暮らしの日々 ~努力は時々 報われる~
学生の頃通っていた寿司屋 @ 昭和の金沢

今にして思えば、なんで学生の分際で、寿司屋に行くことができたのか不思議です。当然ながら価格が安くないといけませんが、それだけではないはず。
たぶん、親のすねかじりの学生さんたちに、おいしい寿司をたくさん食べてもらいたいという何というか親心みたいな思いが、店側にあったように思います。それは寿司屋に限らず、四高以来の金沢の街の人々の心意気みたいなように感じます。
ということで、今日は「学生時代に通った寿司屋」です
第1位『香林』(野町)
なんといっても『香林』ですねえ。しかし僕らが卒業してしばらくして閉店。北溟や泉学に近かったので,寮の友人たちをよく行って、飲んで食って騒いでいましたね。さわら(=カジキ)やバイ貝の刺身のおいしさを知ったのもこの店。
第2位『はちろう寿司』(橋場町)
今も浅野川うめの橋のたもとで静かに営業されています。今は若き大将が営んでおられますが、当時は先代が、その年ごろでしたね。なんでこの店になじみがあるかというと、橋場町に当時交際していた彼女が住んでいたからです。はい。
第3位『まつ寿司』(思案橋)
店はかなり前に閉店。当時の下宿から一番近い寿司屋でした。最初に盛り合わせを食べ、続いてあれこれ食べ飲んで、もう一度「盛り合わせお願いします」と言うと、「お持ち帰りですか」と大将に聞かれてしまいました。当時って「盛り合わせ」ってのが、「安い値段でたくさん食べられる最右翼のメニュー」と思ってましたよね。
まあこうみると、ほとんど居酒屋代わりの使い方でしたが、それ以来「寿司屋のカウンターで、魚を切ってもらって飲む」のが好きになって今日に至るです。
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コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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「香林」
だったと思います。
先輩や、寮にいた事のある友人に連れられて。
2度か3度か。
別に、研究室の「追いコン」の会場だった記憶が。
安かったし。学生でにぎわっていたし。
海鮮の「太巻き」があった店でしたか?
「はちろう寿司」
一度行ったはずです。
東山、それも東の廓の近くに住んでおり、下宿していた家の隣のおばあちゃんが、親しくしてくれていて、ある日「すき焼き食べに行こうよ。」と誘ってくれました。
あいにくお店がお休みで、仕方ないね。じゃお寿司にしようかと言って連れて行ってくれたのが、恐らく。
ご馳走して頂きました。
友人たちとは、その近くの「どんぐり」というお好み焼き屋へはよく行っていました。
やっぱりお寿司屋さんは自分には敷居の高い所になっています。
「香林」は、野町の通りに面した「太巻き」があった店です。当時この店で修行されていた青年が、現在、新神田で「のり好」という寿司屋を経営されています。
隣のおばちゃんがご飯食べさせてくれるなんて「金沢」らしくていいですねえ。
東山に下宿されておられたなら、浅野川大橋の橋のたもとに高い火の見櫓があって、その近くにあった寿司屋ご存じでしょうか。
当時は(今もですが)寿司屋入っても、サバ、タコ、さわらなんて言う、安いネタばかり頼んでいたような気がします(笑)。
新入生の新入生歓迎行事の終了後、香りんへ同室の先輩につれていってもらいました。
もう40年位前のセピア色の記憶です。
入学したてのころ、先輩に連れて行ってもらった店って、懐かしいですよね。なんか急に自分が大人になったような気もして・・。
店名は「香林」ではなく、たしかに「香りん」でした。ありがとうございます。