金沢に暮らし始めて40数年.。この街で「見たものは、見た」。最近は「軒端に冬の山晴れて見ゆ」って心境に。
金沢暮らしの日々 ~努力は時々 報われる~
時代を刻む「事件」にしないと、社会は動かない・・湯浅誠氏の至言
今月はじめ、反貧困ネットワークの湯浅誠さんが金沢に講演に来たので 聴きにいった。大変面白い講演で、参加者との質疑応答も活発に行われた。
そのなかで、「圧倒的多数の市民は、無関心ではないが、積極的に何かをしようともしない、いわばグレーゾーン。そこにどのように働きかけたらいいか」との質問があった。
以下が 湯浅さんの回答です。
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派遣村のとき、活動だけでは「事件」を作ることができないと思いました。日雇い派遣について、当時の舛添厚労大臣が見直しの必要性に言及したのは、秋葉原事件をきっかけにしていたともいます。
リーマンショックをきっかけに、それまでのホームレス支援の活動が表に出て派遣村という「事件」になった。今回の原発事故も同じで、それまで原発に反対する活動がずっとあったのが、事故をきっかけに反原発という「事件」になった。
事故や災害というものを、時代を画する「事件」にすることができるのか、というのが「活動」に求められていると思います。この大震災をきっかけに、コミュニティづくりや住民の意見の反映という仕組みづくりを社会システムに拡張していくという「事件」にできるかどうか。
貧困と震災の関係は二つの面で表れています。一方はこれまでの生活が壊れて貧困問題に直面する例、もう一つは災害前から貧困に直面していた例です。もともと地域での生活に困難を抱えていた人々が、おそらく仮設に最後まで残る人々になるのではないかと思います。時代を刻む「事件」にしていくことが大事です。
震災前にタイガーマスク現象がありましたが、それも時代を変える大きな力にはなりませんでした。その意味では「事件」にはならなかった。活動がなければ「事件」にすることはできないと思いますし、活動があっても大きなきっかけがないと「事件」にならないということです。
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なるほど 納得しましたあ。時代を画する「事件」にならないと社会は動かないが、では地道な社会活動が無駄か?というと決してそうではなく、さまざま事件は毎日のように起きてはいるが、活動がなければ、それは「事件」にはならない、ということでしょう。
学者でも研究者でもない、現実の社会運動にかかわっている「仕掛け人」でないと語れない、リアリティーのあるお話でした。
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