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「見たものは 見た」 といえる生き方をしたい

 


 このブログの旧サブタイトル「見たものは 見たと言え」は、7月8日の記事にあるとおり、シベリア抑留体験をもつ詩人石原吉郎さんの「事実」という詩からつけたものです。

 僕が この詩人を知ったのはほんのつい最近のことで、古本屋で『村上スキーム』という本を買ったんです。この本は村上智彦医師(テレビにもしばしば登場する医師)に三井貴之さんがロングインタビューを試み 医療崩壊 医療再生を論じた本です。この本も面白い本です。

    
          
 で、この本の裏表紙に 著者の三井貴之さんの直筆サインがありました。。そこに、この詩人の言葉が記されていて、もう本当に瞬間的に ビビッビビッときましたねえ。

 深いですね。背筋が伸びます。自分自身 このように生きているのかと自省させられます。その思いをこめて タイトルとした次第です。

 今日は8月6日だね。子供のころ、テレビのニュースで「原爆投下から 四半世紀が経過しました」と報じていたのを、はっきり覚えてるよ。ということは、あれから41年も過ぎたってことだね。でも、人間は、核をいまだなくせないままでいる・・。 



事 実

                   石原吉郎

  そこにあるものは
  そこにそうして
  あるものだ


  見ろ
  手がある
  足がある
  うすらわらいさえしている


  見たものは
  見たといえ


  けたたましく
  コップを踏みつぶし
  ドアをおしあけては
  足ばやに消えて行く 無数の
  屈辱の背なかのうえへ
  ぴったりおかれた
  厚い手のひら


  どこへ逃げて行くのだ
  やつらが ひとりのこらず
  消えてなくなっても
  そこにある
  そこにそうしてある
  罪を忘れられた罪人のように


  見ろ
  足がある
  手がある
  そうして
  うすらわらいまでしている

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