金沢に暮らし始めて40数年.。この街で「見たものは、見た」。最近は「軒端に冬の山晴れて見ゆ」って心境に。
金沢暮らしの日々 ~努力は時々 報われる~
「見たものは 見た」 といえる生き方をしたい
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このブログの旧サブタイトル「見たものは 見たと言え」は、7月8日の記事にあるとおり、シベリア抑留体験をもつ詩人石原吉郎さんの「事実」という詩からつけたものです。
僕が この詩人を知ったのはほんのつい最近のことで、古本屋で『村上スキーム』という本を買ったんです。この本は村上智彦医師(テレビにもしばしば登場する医師)に三井貴之さんがロングインタビューを試み 医療崩壊 医療再生を論じた本です。この本も面白い本です。
で、この本の裏表紙に 著者の三井貴之さんの直筆サインがありました。。そこに、この詩人の言葉が記されていて、もう本当に瞬間的に ビビッビビッときましたねえ。
深いですね。背筋が伸びます。自分自身 このように生きているのかと自省させられます。その思いをこめて タイトルとした次第です。
今日は8月6日だね。子供のころ、テレビのニュースで「原爆投下から 四半世紀が経過しました」と報じていたのを、はっきり覚えてるよ。ということは、あれから41年も過ぎたってことだね。でも、人間は、核をいまだなくせないままでいる・・。
事 実
石原吉郎
そこにあるものは
そこにそうして
あるものだ
見ろ
手がある
足がある
うすらわらいさえしている
見たものは
見たといえ
けたたましく
コップを踏みつぶし
ドアをおしあけては
足ばやに消えて行く 無数の
屈辱の背なかのうえへ
ぴったりおかれた
厚い手のひら
どこへ逃げて行くのだ
やつらが ひとりのこらず
消えてなくなっても
そこにある
そこにそうしてある
罪を忘れられた罪人のように
見ろ
足がある
手がある
そうして
うすらわらいまでしている
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