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“ロシア的”の源流とは? @『ドストエフスキー 黒い言葉』亀山郁夫

 

 

 ロシアもウクライナもどっちもどっちではなく、国連憲章を踏みにじるものが糾弾される。これ現在のスタンダードですよね。

 

 それを平然とやってのける「ロシア」とは何者か、ロシア的なものの考え方とは?、それはどこからやってくるのか?。毎日悲惨な映像のテレビを見てると、つくづくそう思います。

 

 もしかしたらその糸口が文学にあるのではないか? それもトルストイじゃない、やっぱドストエフスキーや。、だっていかにも「ロシア文学」ってオーラが出てまくってるもん。。

 

『カラマーゾフの兄弟』は、原卓也氏の旧約版で1回、亀山郁夫氏の新約で1回、通読しました。まあようわからんかったです。この作品で言いたいことがてんこ盛り過ぎて。

 

 でも、何かヒントが欲しい、ロシア的なものの見方を探りたいと思い、この本を買って、通勤バスの中で読んだ次第。内容は、亀山氏の「深遠な文学エッセー」でしたね。

 

 やっぱりまだようわからんです。はい。

 

 

 

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