秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

祖谷の山々に想う

2009年07月01日 | Weblog
うっすらと日が射す高曇りのためか山頂からの眺めは360度見渡せて山また山に
あの左の方角には愛媛の石鎚山系や赤石山系が浮んでいるのであろうが
何よりも朝もやに沈むやまなみに栗栖は美しいと云おうか崇高であるとさえ想い
何時の日かまた訪れたいものだとただひとり山頂に佇んでいた。

眼下には東祖谷の集落が眠りから覚めようと点在していたが佐野集落の辺りを
眺めやりながら、里の江や雲上寺はどの辺りであろうかと探していて、ふと、
昨日の出来事が思い起こされた。

久しく逢ってない雲上寺の宮の内和尚を訪ねて積もる話に旧交を暖めての帰り道で
前から妙齢の美しいご婦人が歩いてきたが、憂いを含んだ顔立ちに優しい恥じらいを浮かべながら
「あのう、雲上寺の方から来られたのでしょうか、宮の内和尚さまはお元気で
しょうか」と小声で遠慮がちに声を掛けられた、栗栖は慌てて返事をした
「ええ、そうですよ、和尚はお元気でしたが、またどうしてご存知なのですか」
栗栖が訝るのも尤もである、ご婦人の姿、格好からして土地の人では無いのは
すぐに判ったからである。

「はい、私、斉藤江美と申します、もうずいぶん前になりますがこの祖谷とは
ご縁があり、また雲上寺の和尚さまを存じ上げるようになりましたの」
「ほう、そうですか、わたしも和尚とは旧友でしてね、今日もちょっと昔話を
してきた帰りですが、その祖谷とのご縁とはどういうことでしょうか、差し支え
なければ、これも何かのご縁ですが、聞かせてもらえませんか」

ちょうど傍に最近廃家になったばかりの家の縁側に腰掛けて栗栖かご婦人を
促した、ご婦人も腰を下ろして躊躇いながら話しはじめた。
「行きずりの方に私事をお話しするのは憚りますが、あなた様はご紳士と
お見受けしましたのでお話ししましょう」
と栗栖に話してくれたのは、自分は徳島の勝浦が故郷だが神戸で生活していた頃
一人の男性と飲み屋で知りあったが健二は同じ徳島出身というので親しくなり
恋愛にまで発展して結婚しようとした矢先に病に倒れて亡くなってしまった
健二の故郷は東祖谷という秘境の地で集落は里の江という集落だが昔に消えて無くなっていた、
里の江や健二の幼い頃のことを知りたいと思い土地のhideさん菜菜子さんに案内して貰って
雲上寺を訊ねて宮の内和尚さんから色々の話を聞いて里の江や
健二が好きだった天女花を見に行ったことなどを話してくれた。

この悲恋物語はSA=NEさんが「秘境という名の山村」2007.5.6月に詳しく書いているが、
江美さんは恋しいひとの墓参りと好きだった天女花を見るために訪れているのだそうである。
「そうですか、そんなことがあったのですか、それはお辛かったことでしょう」
やや、間をおいて栗栖が云った。
「はい、辛うございましたが、長い時間が少しづつではありますが癒してくれます
でも、わたしは古風なのでしょうか、あのひとと何時も一緒のような想いがしまして、
未だに一人住まいでございますが寂しくはございませんし、このように
祖谷に来てはあの人と話したり、宮の内和尚さんとあの人の幼い頃の話を聞いたり
好きだった天女花と静かにお話ししたり出来ますものね。」

「そうですよ、それが一番いい過ごし方です、綺麗なあなたに相応しいことです
ただ残念な事ですが、天女花と静かにひと時を過ごして親しく会話が出来るのが
難しくなってきましたよ。
そのきっかけはある調査で、天女花がたくさん生活している場所を見つけて
ある新聞社の記者が紙上に発表してしまったため、みんなの知るところとなり
あるクラブが鹿に食わしてなるものか、畜生に食われたら我々人間が観賞出来ん
と一本一本に番号をつけて調査して状況を観察しているようです。
そんなわけで、今年などは新聞紙上でツアーを募集するものですから、
毎日のように何十人と押しかけているようです、何年かのちには土の踏み荒らしが酷くなって
天女花も樹勢が弱ってくるでしょうし、景観も損なわれてくることでしょうね
人間というのは強欲なものです、結局は鹿の所為にして、わが独り占めにしておて
挙句の果てに葬ってしまうことでしょう。
山に咲く綺麗な花も、天女花も綺麗に無垢に生まれてきたばっかりに人間に
殺されてしまうことでしょう。」

「こんなにのどかな秘境の山でもそんな事になっているのですか、
悲しいことですね。」江美は悲しげに頷いたが、憂いを含んだ表情は
いっそう物悲しく、無垢に美しく耀いていた。

栗栖ははっと目を覚まして辺りをうろうろしたが三嶺山頂にいる自分をみて
なーんだ、夢だったのか、瞑想に耽っていたがいつの間にか眠り込んで
夢を見ていたらしい、先日雲上寺の和尚から悲恋物語を聞いたのが頭の片隅に
残っていたからであろう。

栗栖は山頂から天女花の群生地を眺めながら人間の愚かさをひしひしと
感じていた。