祖谷の山々に思う 2009年07月26日 | Weblog 正岡子規「病牀六尺」の一節 余は今まで禅宗のいわゆる悟りということを誤解して居た。 悟りということはいかなる場合にも平気で死ぬことかと 思って居たのは間違いで、悟りということはいかなる場合にも 平気で生きて居ることであった。