思いだしたように鹿鳴きが微かに聞こえてくる久保集落のなかほどまで
歩いて山梨の果実が多数生っているのを確かめて、酸っぱくて食えないのに
何故かにんまりしてしまうのである。
山梨の果実を透かして仰ぎ見る天狗塚の風景は、なぜだか気に入って何時もながら
一時のあいだ眺めやるのが常となっている。
林道をくるりくるりと歩いて、天狗の具合を尋ねて、靄が懸かっているの、雲に
隠れたのとヤキモキしているうちに、集落最上部の家に何時ものようにのっそりと
たどり着いてしまうのである。
庭の片隅の小さな小屋の入り口にかまどがあり、飯釜が掛かり薪が燃えて
片隅には籠に取ってきたばかりであろう栗が入っていた。
居間から降りてきたT老婦がわたしを見つけて「久しゅう見んかったが、元気
だったかえ」と声をかけて「いまから、栗を茹でるでのうえ」とかまどのある
小屋に入って前に座り込んだ。
手際よく栗を入れて、茹で上がるまでの間、久しぶりのわたしに
最近の出来事などをぼつりぼつりと話してくれたが、その表情は穏やかであった。
以前、今年の1月に大阪に居た長男(50歳)を亡くして悲嘆にくれて慰めようが
なかったが、畑仕事と時間の経過やこの奥祖谷の風景と空気、とりわけ朝に、夕に
仰ぎ見る天狗塚が癒してくれているであろうと思うにつけ、ああ、やっぱり山は
いいものだ。






歩いて山梨の果実が多数生っているのを確かめて、酸っぱくて食えないのに
何故かにんまりしてしまうのである。
山梨の果実を透かして仰ぎ見る天狗塚の風景は、なぜだか気に入って何時もながら
一時のあいだ眺めやるのが常となっている。
林道をくるりくるりと歩いて、天狗の具合を尋ねて、靄が懸かっているの、雲に
隠れたのとヤキモキしているうちに、集落最上部の家に何時ものようにのっそりと
たどり着いてしまうのである。
庭の片隅の小さな小屋の入り口にかまどがあり、飯釜が掛かり薪が燃えて
片隅には籠に取ってきたばかりであろう栗が入っていた。
居間から降りてきたT老婦がわたしを見つけて「久しゅう見んかったが、元気
だったかえ」と声をかけて「いまから、栗を茹でるでのうえ」とかまどのある
小屋に入って前に座り込んだ。
手際よく栗を入れて、茹で上がるまでの間、久しぶりのわたしに
最近の出来事などをぼつりぼつりと話してくれたが、その表情は穏やかであった。
以前、今年の1月に大阪に居た長男(50歳)を亡くして悲嘆にくれて慰めようが
なかったが、畑仕事と時間の経過やこの奥祖谷の風景と空気、とりわけ朝に、夕に
仰ぎ見る天狗塚が癒してくれているであろうと思うにつけ、ああ、やっぱり山は
いいものだ。





