秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

唐津再会 Ⅲ     SA-NE

2009年11月09日 | Weblog
施設は、海を一望できる、小高い丘の上に建っていた。
途中の道を走りながら、長女がぽつりと右の山を指指し、言った。
「この山が、うちの山、みかん畑だった場所」
後部座席の妹が、身を乗り出して、
「惜しかったねぇ、もう少しで、バイパスにかかっていたんだ~」
こんな広大な場所を、所有している、本家。私の頭に一瞬、崖っぷちに建つ、我が家が溶けかけた、ピノのアイスクリームみたいに思えた。

施設は、数年前に建てられ、清潔感が漂っていた。
脳梗塞の後遺症で、言語障害になり、理解は出来るが、返答が上手くできない。状態は、聞いて十分理解出来ていた。私の母親の、最初の病状と、全く同じだ。
花を、抱えて部屋に入った。
叔母さんが、車椅子に座ってキョトンとして、私を見た。
私は、床に座って、叔母さんに、顔を近付けた。
「まあ~、え~~」
「まあ~、そう~」
叔母さんの顔は、すぐにクシャクシャになり、片手の手の平で顔を覆って、大泣きを始めた。
私は、両手で、叔母さんの手を握りしめ、言葉より先に、涙が溢れた。暫く、二人で泣いた。
「ねっ、お母さん大泣きしたでしょう!夕べお兄ちゃんが言ってた通り!〇〇〇さんの顔みたら、泣くって!やっぱりねぇ」
妹が、赤くなった目で、私を見て小さく微笑んだ。
「私達も、来てますよお~」
おどけながら、妹が叔母さんの頬をつついた。
長女は、週に二回。
妹は、月に一回、京都から足を運んでいる。何れも、仕事と家庭を抱えての事情だ。
それが、どれ程の精神力を費やすか。心の中の葛藤は、話さなくても、理解できる。

叔母さんの爪の手入れ。足のマッサージ。
かいがいしく動く、姉妹の横で、私は眼下に広がる、海を見ていた。
唐津城から、見える碧い地平線。
そして、大島。輝る波。
父が、幼い私に、おまじないのように聞かせた光景が、何ひとつ変わる事なく、私の瞳に鮮やかに再生されている。

暫くすると、一羽の小鳥が庭の白いベランダに、留まった。
「あっ、ヤマガラ!」私は、今日一番の大声を上げた。
「何、それ?」
妹が、首を傾げた。
「ヤマガラよ、この鳥!」
「鳥の名前なんて、全然、知らない」
そう言って、母親の顔に、化粧水をつける妹。洗濯物を片付ける姉。
首を傾げたヤマガラが、一瞬、様子を監察に来た、主人に見えた。
ホッとして、嬉しくなった。
「ヤマガラ!」
と自慢げに叫んだ、私を見たら、主人はきっとこう言って、笑うんだ。
「ふう(格好)わるいぞ!」

帰る時間が、来た。
私が、
「叔母さん…帰ります」
そう、言って手を握った。
叔母さんは、また泣き出した。
私は、出来そうにない事を、軽々しく口にする事が、出来ない。
他人を守る為の嘘は付けるけど、自分の事となると、変に気負ってしまう。
泣き出した、叔母さんの手を握ったまま、黙りこんだ私の隣で、長女が小声で言った。
「また、来るからって…」
私は、立ち上がった。「叔母さん、また来ます!」
叔母さんは、小さく頷いて、涙を拭いていた。
写真は、一枚も撮らなかった。今の叔母さんにカメラを向けるのは、絶対に失礼な行為だから。誰もが、自尊心を持っている。それは、絶対に侵されたくない、領域だ。10年前に我が家を訪ねて来て下さった頃とは、明らかに容姿の変わった、叔母さんの姿。しっかり者で、働き者で、おおらかで、せっかちな、お世話好き。
私は、握った手の平のシャッターで、心の奥のフイルムに、焼き付けた。
私と叔母さんのツーショット。背景は海と唐津城と、ヤマガラと?

地平線を左に見ながら施設を後にした。
「家に帰ったら、オクンチねっ」
長女が、笑った。
海風を、存分に浴びながら、助手席からの景観は、中々気分は絶好調!
前略、父上様。
あなたの故郷は、
本日も晴天なり!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする