秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(老いといのちと独り言)

2013年01月17日 | Weblog
土佐で暮らしていた、叔母さん(ヴヴヴ星人)が、また入院した。
食べない、飲みたくない、そして 往診の点滴。
微熱が、続く。
結果、再入院。

昼夜逆転になり、ナース達を 困らせている。
一週間の間に、状態は、一気に悪くなり、歩くことさえ、拒み始めた。
寝ていたら、1番楽だと、言う。

お見舞いに行った。
ベッドに横になったまま、ワタシに言う。

『ほど芋、掘ってもろたんじゃわ。お金払うとってくれんか。』
「誰に?」
『田中のあんにゃと、ネエサンと、かみのキクさんじゃわ』
※芋は、誰も掘っていない。鹿に食べられてから、畑には何~もない。

「わかったよ!払っとくな、なんぼ?渡したらええん?」

『二千円、あげとってくれえや』
※少な~~

『ここは、三好病院か?』
「高知よ、高知の病院」
『どこにおるんやら、わからんわ~』

『夕べ、雷さん鳴って、おぶけたわ、何回も雷さん鳴ったわ』
※夕べは晴天の夜でした

『ほんでの~真っ暗になったけんの~看護婦さん、懐中電灯つけて、灯かしてくれたわ~』
※それを 一般的に夜間の病棟の見回りという

叔母さんの娘は、毎日病院に通って、一緒に廊下を、歩かせている。
『せこいわ~寝たほうが、楽なわ~』
「歩けんようになるがで~!」
『かんまんわ~寝るわ~』

…そして娘に言う。

『明日、芋炊いて持ってきてくれえや~芋食うわ~味噌つけて食うわ~』

……
隣で 聞いていたら、
涙が こぼれそうになった。

老後に人は、何かのきっかけで、様々な道を 選択する。
ストレッチャーに運ばれて行く場所は、
いくつものまさに人生の終焉の場所へと、自分の意思とは関係なく、運ばれて行く。


『もしも…あの時…』が、自分のココロに、チクチク責める。

寿命が、分け合えられたら、どんなに素敵だろう。
幼い子供を遺して、ガンによって 逝かれた若いお母さんがいる。
彼女を愛する人達が、自分の寿命を一年ずつ、分け合ってあげられたら
彼女は明日も、一年、十年と生きられる。

家族が、家族でいつまでも平凡に、在りつづけますように、
子供達から、親を奪わないように
医学の研究に、国の予算を存分に遣ってほしい。

幼い頃に、親を亡くした子供は、未来のカタチさえ、変わってしまう。
家族は 永い月日を共にして、お互いが飽きるまで、家族をやっていけたら
それ以上の幸福はないのかも しれない。

『親父よ~たいがいに生きいや~』
『おかあよ~おらは、もうあくばったわ~コラエテくれえや~』
永い介護生活に、家族が悲鳴を上げる

それは もしかしたら、幸福なのかも知れない。

介護を社会が、支える。手厚い保障。
世界中で、起きている内戦に比べたら、問題外だと言われるだろうけど
人は幸福度を比べる為に 生きているのでは ない。
人は、世界にたった一人の 自分の『いのち』を生きているんだから。

芋を掘って 二千円
安くないか…?
せめて 三千円にしてよ……

ガンバレ 地球っ!
ガンバレ にんげん

1月17日

合掌
















コメント (2)
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