秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

暮らしの山里 初夏 新緑と花の美しき故に

2014年05月20日 | Weblog

雑感

祖谷で暮らしているお年寄りたちは先祖代々非常に厳しい自然に向き合いながら
なんとか、折り合いを付けて生きてきている、それはぼくらがちょっと来て上辺ばかりの
自然や山歩きをして知ったかぶりをして町に帰っていくのとは大違いであって、ぼくらが
いくら足掻いても体験出来ないものである、祖谷のお年寄りには適わないし、こころ揺さぶられる
思いがして、自然と頭が下がるのである

自分の身体を動かして、生物としての体験、暮らしの生活が索漠としてと続いている
生活の糧を作る、育てる、収穫する、獲物を獲り捌くといった体験を通して暮らしを
成り立たしている
その体験をすることに付随してくるものはそれぞれのその体験の感情であり感性であり
情緒のようなものが自分の中に蓄えられる
それらは、日々の暮らしの随所に智慧として活かされて、自然、山、草木、花々に謙虚に
接することになるのであろう


生物として本来持っている身体を動かして生きていく体験をいまのぼくらは失ってしまった
その顕著なものが、食料である、ぼくらは、食べ物をお金と交換してスーパーやお店で買ってきて
生活しているわけでそこには食べるという体験しか出来ないわけである

生物としての身体を動かして生活を積み立てていく、作る、育てる、収穫する、獲物を獲り捌くという体験が
欠落してしまっているわけで、この体験を失ってしまうと、それに付随する感情も感性も欠落してしまう
付随する感情、感性をなくなると自然に対する感情、感性、情緒などが鈍くなったり、忘れたりして
判らなくなり、自然への対応さえ拙いものになってしまうのではないだろうか


西山集落のあるお年寄りから、持ち山の花が10年ほど前までは広い面積で咲き誇っていたが
登山道で無い私の山から勝手に気ままに登る人たちが出てきてそのうち多くなり山は荒れるし
花を見つけては写真を撮るために踏みつけたり、また盗掘したりで次第に少なくなった
このままだと無くなってしまう、代々守ってきた花が自分の代で無くなるのは残念だ
みなさんの手を借りて守っていきたい。

ということで、西山林道沿いの個人の持ち山を立入禁止の看板を2011年秋に設置した
また、昨年4月に花の周囲に柵の設置をした、設置後一年経つ今年4月に点検して柵のロープが
緩んだり、倒木により柵が倒れるなど傷みが出ていたので補修をしたが、そのなかでもロープを
ナイフなどで悪意を持って切り裂いたものがあった、明らかに敵意を持った犯罪であるといえる
今後もこのような行為が続くようであれば、その筋に届け出ることになろう
このような行為をするひとがぼくら山歩きのなかに居ることは悲しいことである
山歩きにはその人の「品格」が出やすい、せめて、「品格」のある山歩きを心がけたいものである























コメント
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