秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

山里の雑木林のなかをさまよい歩いて

2017年07月01日 | Weblog

山をあるき、山里をあるく、山は低きから高きに、頂からの展望を楽しむ
登山口から植生の判別を楽しみ、草花を愛でながら、木々の大小、種別を楽しみ
4,5、時間を要しながらもいつの間にか山頂を極めて面白きこと多々あり

徐々に、徐々に、一歩、一歩、と低きより高きを登るに、周囲の風景、自然、動物、たちが
ぼくのうちなるもの、こころに、ボデーブローのように作用してくるのを質感として
実感するのであるが、それがどのようなものなのかはぼくにも判らない

ただ、たしかなことは、長年にわたって、繰り返し、繰り返し、似たような行為をしているのに
飽きないどころか、新鮮になるばかりである

動物的な本能に近づいているのではないかと、ふと、思うことすらある、動植物が季節、季節、に変化を遂げながら
いのちを生きて、旅立つように、ぼくも、歩くことによって、旅立ち、変化しながら、ゴールを迎えるような気がしている

最近は山里を歩くことが多くなり、あるいはほとんど同じような雑木林を歩くにしても
日々、日常的な暮らしの延長ともいえるのに、退屈しないばかりか面白いことの発見ばかりが多々ある

長い人生のなかで、日常の暮らしで、また、山を歩き里を歩き、自然に触れて旅のように流されている間に
いろいろ無駄なことをし、浪費し、小突かれ、挫折し、立ち直り、転がり、佇み、悲しみを、喜びを、苦労を
味わい、やがて浮かび上がってくる「かたち」が、質感として実感しつつある、
その「かたち」に出会うために、苦闘しているのではとときどき思うことがある