ひとの目というものは見ているようでほとんど、見えてないものだ、と
つくづく思い知って愕然としてしもうたな
同じ小道を何回となく歩いて、自然の木々や草花を眺めては楽しんでいる身でありながら
道程のすぐそばの雑木林に混じって山椒の木があろうとは知らなかった
いま、赤い実をたくさん付けているので、目に留まったのだ、最初はイヌサンショだろうと思ったが
しげしげと眺めてみると棘が対生に生えている、イヌサンショは互生だから、ほんものの山椒に間違いなかろう
と実が付いている小枝を数本頂いて実を収獲した、粉山椒でも作ってみるかな
収穫した赤い果実を日干しにすると果実のなかから、黒い種が弾けて出てくるが、
粉山椒にするのは、赤い果皮であって、黒い種は取り除く、種は味も無くて非常に硬くて不味い
乾燥した果皮をすり鉢に入れてすりこ木で潰すと、粉山椒が出来上がる
それにしても、気づき、を大切にしながら、暮らしているにも関らず
見えてないということは、こころの目の感性の至らなさなのだろうな
山椒の木の赤い実
収穫した赤い実
日に干すと黒い種が弾けて出る