この細い川の流れに沿って歩いています。
どうやら周辺は、お墓だらけのようです。
この案内版を見ると、峰薬師というお堂のようです。
お堂の前にも、峯薬師堂と書かれた石柱がありました。
中を覗くと、石仏が2体と倒れてしまった石柱や装飾柱がありました。さらに進むと、
また、小さな祠の中に地蔵が鎮座していました。
近くの人たちが、赤い布で地蔵をくるみ、丁寧に信仰している様子がうかがえます。さらに行くと、
閉ざされた門の前に案内版が立っています。それによると、このお寺は板碑が寺宝になっているようです。
大光山無量寿院と号し曹洞宗のお寺です。来迎寺は、藤原秀衡の守護仏だった阿弥陀三尊を源頼朝の命で鎌倉に搬送中、東京都府中市車返で動かなくなってしまい、引き返しても当地で動かなくなってしまったことから草堂を建立したといいます。榮芝願富(天正10年1582年寂)が開山、慶安年間(1648-1651)には寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。詳しい歴史はわかりませんが、鎌倉時代の初期に創立されたと考えられ、本尊は阿弥陀三尊であり、「車返しの弥陀」という伝説があります。昔、奥州平泉、藤原秀衡の守護仏であった阿弥陀三尊を源頼朝の所望により鎌倉に運ぶ途中、東京都府中市車返まで来たところ、車が急に動かなくなり、やむなく引き返してこの地まで来たが、再び車が停ったので草堂を建てて三尊を安置したと伝えられています。また、寺宝である板碑は高さ一五五センチ・幅五〇センチ・厚さ八センチあり、建長八年(一二五六)二月二十三日に武蔵七党丹党の加治左衛門尉丹治泰家が建てたものであるとあり、碑には梵字「キリク」(弥陀)のほか観無量寿経の一節、「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」の文字が刻まれています。
つづく