今日は、平林寺方面へ出かけました。黒目川沿いを歩きます。
カモが仲良く泳いでいます。
到着したところは、ここ、瀧見観音堂といいます。ここの瀧見観音は、新座市石神にある単立寺院で「浄明寺」と号しています。瀧見観音は、宝永年間(1704-1710)に、観音銅像と、瀧山浄名寺と記載された鐸とが石神村小名清水で掘り出されたことから、黄檗宗の僧を招待して庵室を草創したといいます。ここからまた出発します。
平林寺というお寺の前に来ました。バス停の前です。ちなみに、平林寺というお寺には今回は寄りませんが調べて見ました。
臨済宗妙心寺派寺院の平林寺は、金鳳山と号します。永和元年(1375)石室善玖禅師を開山として騎西郡岩附金重(現岩槻市平林寺)に創建した後、北條の役に際して浅野長政の岩槻城攻めにより天正18年(1590)焼失しました。
天正20年に駿河国臨済寺から鐵山宗鈍和尚を招聘して再建したといいます。徳川家康が御朱印状を授けようとしたものの鐵山宗鈍和尚は固辞、塔頭聯芳軒の住持謙叟和尚に御朱印状を授けたといいます。檀家の旗本大河内家から松平信綱が江戸幕府で登用され、松平信綱が野火止用水を開発するなどし一国一城主に出世して所領となっていた当地へ平林寺が寛文3年(1663)移転したといいます。境内全域が国重要天然記念物に指定、松平信綱に関わる多数の文化財を所蔵している他、臨済宗妙心寺派僧堂として臨済宗僧侶の修行道場となっています。
あの前に見える門は何なんでしょう?近くに行って見ます。
睡足軒と言うそうです。平林寺の総門から道路を挟んで向かいにあるのが『睡足軒の森』。この敷地は天然記念物・平林寺境内林の一部で、現在国登録有形文化財となっている古民家「睡足軒」が建ちます。「電力王」「電力の鬼」とも呼ばれた松永安左エ門がこの土地を購入して、昭和初期に飛騨高山の江戸後期の民家を移築、園庭を整備して、お茶を楽しむ草庵として利用していたそうです。尚、この古民家の購入を手伝ったのが横浜『三溪園』を作った原三渓という人です。また松永安左エ門の菩提寺は平林寺であり、平林寺内に墓所もあるそうです。その後「睡足軒」は平林寺に譲渡されたのち、平成年代に新座市に無償譲渡、『睡足軒の森』としてオープン。睡足軒の前には庭園も広がっています。
その少し先にあるのが、ここ、うどんで有名な「たけ山」です。ほかにもいろいろありますが、手打ちうどんが売り物、是非食べて見て下さい。
さらに先へ行くと、
ここは新座市役所です。さぁ、どんどん行くとします。
大きな通りに出ました。この道は、角に新座警察署があり左へ行くと清瀬になり志木街道とつながっています。続きは次回に、
つづく