しばらく行くと、
あれっ、フランスの国旗だ、よく見るとフランス菓子のお店でした。ここのpatesherは相当腕が立つんでしょうね。
また少し行くと、小さな池がありました。ここは
きれいだなぁ、静かな湖面と鮮やかな曼殊沙華が彩りを添えていました。
ここは広沢観音堂という場所だそうです。真言宗寺院の広沢観音堂は、朝霞市本町にある観音堂、広沢観音堂の創建年代等は不詳ながら、東圓寺の持として字広沢の堂山に祀られていたものの、天正18年戦渦に罹災、その後広沢池付近に移して再建したといいます。広沢の池の傍らに立つ堂庵で、一般的には広沢観音と呼ばれている。『風土記稿』では、かつてはもう少し南寄りの山の上にあったが、天正十八年(一五九〇)年北条氏照が合戦の際、煙を上げるために堂(あるいは伽藍とも)を焼いてしまったので、以前のそれは消滅し、今は礎石だけが残っている。そして、その山を人々は堂山といっている、とある。伝説としては、片目の魚の話が伝えられている。すなわち、昔、ある片目の僧がこの世を儚んで、広沢の池に身投げした。以来、池の魚はみな片目となったというものである。そして、その魚も池に掛かる橋より下流に入ると両目に戻る、とも伝えられている。ちなみに、広沢の池は水噴の池だが、かつて周囲は木々が鬱蒼とし、昼間でも暗いようなところで、流れだす水は農業用水としても利用され、根岸台地区から和光市新倉あたりの田畑を潤していたという。なお、本尊様のほかには白山様・地蔵様・不動様・弁天様がある。それぞれは特定の祭祀日を持たないが、なかでも白山様は歯痛のときに参り、その治癒をよく念じたものだったという。 このような説明がありました。
周囲を見て見ましょう。
お地蔵様も大事に安置されています。
やや大きな碑がありました、堂守とありますがここのお堂を長年守って来たお方の墓碑だと思われます。さて、次はどこになるのかな?
つづく