黒ウサギ外伝

本編『黒ウサギ的こころ』のブログです。

電話のつづき

2015-04-30 18:51:50 | Weblog
翌日の日曜日、午後から母を連れて父の見舞いに行こうと思ってた。
午前中は、少し時間があるから『御萩さん』と少し遊んでからメイトで満開の桜を少しだけ見ようと出かけました。我が家を出て数分したら妻から電話が鳴った。悪い予感がした。予想通り、父が危篤状態で血圧が50程度しかないとの事。急いで病院へ駆けつける。しばらく父を見ていたが、状態変化なし。少し長丁場になりそうなので、妻と母を一旦我が家へ帰して、私が病院に泊まり込みで見る事にします。

病院で付き添い用に布団を借り、仮眠を取ろうとしたが、全く寝られません。なにせ深夜でも一時間おきに看護士さんが来て父の状態を診るのですから、そりゃ無理だわ。不謹慎だが、現実問題として、このまま亡くならなければ、翌日の仕事をどうしよう?と、つい考えてしまう。もしくは、父が危篤だから休ませて下さいと言う手もあるが、有給は、父の介護でアップアップだから、この状態が長く続いたらどうしようとか、いろんな事を考える。

午前4時を過ぎた頃、看護士さんが「血圧が80ぐらいに上がってきました」と私に伝えた。でもね、私は大丈夫だと思えないんです。 そのまま午前7時頃、会社に「今日は休みます」と連絡する。髭がボウボウで、加齢臭が漂っているから、髭を剃ってシャワーに入るため、妻と一旦交代して我が家へ向かう。自宅に着いた瞬間に妻から電話がある。父の呼吸がかなり弱り、いつ逝くか分からないとの事。すぐに病院へ戻って父を見ると、下顎呼吸をしていたから、もうこれでおしまいだとすぐに分かりました。それから30分ほど経った8:05静かに息を引き取りました。

さて、ここから予想外の事が私の中で起こった。
もちろん当たり前だが、現実の父の死に直面した悲しみもあるが、どこから出て来たんだい“あんた”は・・・ってな、ものすごい充実感が溢れてきたんです。その理由は、父を失った悲しみと共にすぐに分かりました。約2年間、父母の通院や父の入院、介護、そして冬は実家の雪かき等々と、私のキャパとして出来る限りの事をした充実感でした。もちろん、私は小さな人間だから、父の介護を100%の愛情でやっていません。
時に介護の気持ち51で49が面倒臭いって事もあったが、取りあえず一度もサボらず、ほぼパーフェクトに看たって事は胸を張れる。これが充実感の正体でありました。しかし、それとは別に、自らの面倒臭いと思った51:49だったり80:20だったりした負の部分の気持ちは、父を見るたび自分の卑しい部分を見る鏡でもありました。

さて、その後の葬儀ですが、事前相談で身内だけの小さなお葬式をお願いしていた通り、葬儀屋さんがキッチリと素晴らしい仕事をしてくれて無事に終了しました。

偶然かも知れないが、父の命日と祖父の命日が同じ日でした。そして、この二年間、私の有給や休日を父の為に使って休み感がなかったが、父の亡くなる2日前の25日(土)の私が取った有給休暇と、亡くなった27日(月)からの忌引休暇は6日。GWの休日は含まれないから、合計なんと13連休となる。これは父が最後に残してくれた、ご苦労さん休暇として有難く頂戴しようと思いました。

そして本日30日(木)は、死亡に伴う各種届を行った。まずは、八雲町へ除籍謄本やらを取に行ったが、函館なら戸籍の申請用紙に住所を書くものですが、そこは八雲町です。窓口も空いてるし整理券なんかありません。名前を書いただけでOK。しかし、届出が早すぎたようで、書類が函館から届いてないって事で郵送になってしまった。GW明けでなければ手続きが出来なくなったが、あとは書くだけだから良いでしょう。


帰り道、ハーベスター八雲に寄り道してみたが、父や私にとってここは八雲町じゃありません。


八雲町は永遠に、野山と牛と遊楽部川です。
コメント (14)
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