川越雑記帳2(川越見て歩き)

25-8 藤間流発祥の地

 「熊野公園から150㍍ほど南進、川越街道254号の脇、新井家の庭に「藤間流発祥の地」の記念碑がある。」



 この「散歩」の記述に従って、公園から先へ行ってみたが、どこにもそれらしいものがなかった。
あきらめて、川越街道を戻ると、信号のある交差点の手前右下に石塔が見えた。



 街道より低い所に庭があり、五層の石塔が並んでいた。
その間に石碑があり、「藤間流発祥地」と刻まれていた。
熊野公園からだと、「散歩」の記述とは逆に、来た道を戻った方向にあった。
 「これは昭和42年5月藤間流発祥顕彰会によって建てられたものだ。藤間流はいうまでもなく、日本舞踊の有名な家元の一つである。初代の藤間勘兵衛は、本名を新井勘兵衛と称し、江戸時代の初期、山城国嵯峨からこの藤間へ移住し、一角丸という子どものカンの薬の製造販売をしていた。のちに医薬のほうは分家へ譲って宝永年間(1704―11)に江戸に出て、志加山流の始祖中村伝次郎について舞踊を修め、西川千蔵(西川流始祖)の推挙で芝居の振付師となった。故郷の藤間をとって姓とすると共に、流派を藤間流とした。碑の脇には武者小路実篤の「武蔵野に生きている藤間の里」という直筆の碑も建っている。」

今回のコースは、ここで終わる。

 ・藤間勘兵衛

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