閻魔堂の脇を抜け裏の墓地へ行くと、堂の直ぐ後ろに説明板の立っている立派な墓があった。 中央の墓石の両側に、多くの古い墓石が並んでいた。 説明板には「志誠の墓 (市指定 史跡)」と書かれていた。 日付を見ると、平成十一年三月となっていて、比較的新しい。 そのためか、「散歩」には記述がない。 説明板によると、志誠(本名内田善右ヱ門)は、喜多院境内に天明二年(1782)より五百羅漢を建てはじめ、四十体程造ったが病に冒され、寛政十二年(1800)に六十六歳で世を去っている。 ・「五百羅漢」