ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

幸せって一体なんだ?いまだにわからない。

2011-12-28 08:37:32 | 生活改善プロジェクト
もう12月28日になりました。
年末も押し詰まってきました。

仕事もあと一日、年賀状もだして、今年一年を総括したい気持ちになっています。

私個人的なことですが、
2011年は、ただただ「幸せ」だと感じた年だった、ことをコッソリ告白します。


東日本大震災があり、タイの洪水があり、ユーロ危機があり
日本全体がとても困難なこと続きの年でした。
そんな状況においても、私は「幸せ」を感じ続けた年だった、なんて
あまりにも自己中心的すぎて、言いにくいので、こっそりつぶやいておきます。

3月11日の大震災からしばらくは、精神的に動揺もしました。
見聞きすることすべてに、泣きたくなってばかりいたことを覚えています。

体調もしばしば持ち崩すことが多く、夏の暑さは体力的にきつかった、と思います。

夏からは、病院での検査続きでした。

経済的にも、緊縮財政を続けて、毎月家計簿と帳簿とにらめっこだったし
いつも心の片隅に「無駄遣いしちゃいけない、経済的に厳しいんだから」ということがこびりついていました。

私自身を取り巻いていたのは、そんなままならないことばかりの環境だったのに
いつも「なんだか幸せだな」「こんなに幸せだと思って生きていたことはないな」という思いがいつもありました。

「幸せ」の詳細は、よくわかりません。
なんとなく、いつも楽しかったのです。

ほんの日常のささやかなことがに幸せを感じることが多かったように思います。

今夜のご飯がおいしいって
仕事で素敵な女性に出会えたって
ちょっとした提案が採用されたって
身の回りの整理をしたらすごく気持ちがスッキリしたって
新しい料理に挑戦したら、おいしくできたって

そんなことあんなことが、すごくうれしかった、そのうれしさが私の気持ちを支配していたようです。

客観的にみれば、「幸せ」と表現しにくいだろう出来ごとの最中でも
「こんな体験は滅多に出来ないから、楽しもう」
という思いがありました。

時々、今が「幸せ」ならどういうことが起きたら私は「不幸せ」に陥るんだろう?
と考えました。
考え続けましたが、結局「私はなんて不幸せなんだろう」と思ったとたん「不幸せ」なんだ、ということしかわかりませんでした。
自分で自分を追い詰める悪循環のサイクルに陥ることが「不幸せ」なのだろう。

今年の私は、いろいろなことが次々起きる、人生を何とか切り抜け、迷い、思考錯誤していることが
自分の足で一歩一歩生きている感じがして、楽しいと思えたような気がします。

結局、「幸せ」と「不幸せ」は自分の見方、気持ち次第、だということを
一年を通して実感し続けたように思います。
自分の気持ち、脳内の動きの不可思議さをつくづく感じました。

これから、きっとまたいろいろな気持ちの変化の波が押し寄せてきて
波の高低で思うことがまた変わるのだと思います。

そんな自分の心の変化も、「面白い」と思える客観性を持ち続ければ、
きっと心穏やかに生きられるような気がしています。



自分に近づきすぎると、近視眼的にいろいろなものが見えなくなるのだと思います。
どんなことが起こった時も、少し自分から離れて、自分自身をクールに見る冷静さが、悲しいことも楽しいことも人生にはいつも公平にあることを
ちゃんと思い出させてくれるのです。

なるべく自分に近づき過ぎない、ことをこれからの目標にしようと思います。

居場所がある、それも幾つか。

2011-12-21 21:05:04 | 生活改善プロジェクト
私は、自営業で仕事をする傍ら、小さな会社にも属しています。
二足の草鞋、ですね。

それはそれで、時間が足りないとか、いろいろなことが中途半端になる、とか
自分で逃げ道を作ってしまう、とか、
いろいろと良くないな、と自分で思うこともあります。

暫くの間、どちらの仕事も休んでいたのですが、久しぶりに会社の方へ復帰しました。
小さな会社で、どう考えても大それた仕事をしているわけではない立場の私、
以前は、職場での自分の立場や職域や権限が小さい立場で働くなんて
働く意味があるのだろうか?くらいに思っていました。
それはそれで、ある意味向上心が旺盛だったとも言えるのですが
今にして思うと、足もとが見えていないことも、勘違いも、多々あったように思います。

さて、その小さな職場の小さな仕事にひっそりと復帰したのです。
ところが、そのささやかな場所が、すっかり自分にとって必要なところで、
ある種の居心地の良ささえ感じさせてくれるところだったということに
気がついて、自分ながらビックリしました。

小さな仕事ですが、少しくらいは会社の仲間の役に立ってたのかしら?
誰かの指示を受けたり、誰かにお願いしたり、こうしたらいいんじゃないですか~?と小さな意見を言ってみたり
そんなことが、とても大切でした。

そして、自分の中で、自営の別のほうの仕事では使わない、頭や気持ちの部分を使っていたり
一人経営者の立場とは全く違った見方をしていたり
家庭の中で家事をしているときには、あまり意識しない思いがけない自分に出会ったり
そんなふうに、自分がいろいろな顔や頭や体を持ち合わせていて
引き出しがいろいろとあるんだということを、実感したのです。

こんな自分も、私なんだ…

人間は、一つの役割だけに固執せず、
いろいろな組織や、仲間や、社会に少しずつ足やら頭やら手やらを突っ込んで生きている
そういうほうがいいと思うのです。

人は、決して一面を観ただけではでは分からない、多面性を持っているものだから。
自分の良さを出来るだけ、多くの人に知ってもらったり、役に立ったりする場は
多いほうがいいと思うのです。
そういう場所は、思いがけないところに存在していて
自分で見つけて、自分で築き育てていくしかない、のが大原則なんです。

心の糸は、ある日突然

2011-12-18 10:56:23 | 生活改善プロジェクト
張っていた心の糸が、プツンと切れて、ふっとまた繋がりました。

思えば、私は夏から少しずつ緊張していたのだと思います。
グレーの検査結果が続いた夏から、病気の診断、手術が済むまで
ずっとハイテンションを保って生活してきました。

今年の春から、心のテンションは上がり調子
3.11の東日本大震災で、更に緊張度が跳ねあがり
そのある意味ショックが落ち着いて、今度は自分自身の体調でまた緊張が高まっていました。

心のテンションが高いというのは、私にとってはとても大事なことです。
体調の悪化よりも、心の調子の低下、無気力状態の陥ることが、私のとっては最大の恐怖です。

その点では、いろいろなことをハイテンションで通り抜けてこられたのは本当に幸せでした。
今年は、最高にいい年だといってもいいと思っています。

さて、退院して、両親の身の回りの世話を焼いたりや食事作りをしている間も
ずっと緊張は保ったまま過ごしていましたが

両親も帰り、さあ、ゆっくり病人しよう、と思ったとたん
心の糸がプツンと切れたようでした。
痛い、熱っぽい、疲れる、という思いがどっと押し寄せてきて
ああ、自分は病人なのにこんなにがんばっていた、と
そう思えば思うほど、痛みも疲れも増して行きました。
毎日、寝たり起きたり、ああいつ元気が出て元通りの生活になるんだろう、とぼんやりと考えながら

でも、術後2週間近く、そういつまでも日常生活に支障があるほど痛いはずはなく
増してや、そうそう痛み残る手術でもないはず、
痛みが少ない術式を選んだはず。術後はすぐ仕事復帰が出来ると、事前に医者から言われていたはず。


きのう、ふと、
痛いと思うから痛いんじゃないのか?
心の持ちようで、全然なんともないんじゃないのか?
心が、弱い方へ流れているだけなんじゃないのか?
そう思いました。

仕事も、年末の大掃除も、年賀状も、やらねばならないことを普通どおりに
やってみればきっとちゃんと普通にできちゃうんだ、
そんな気がしました。

そう思ったとたん、痛みは去って行きました。
あれれ?と自分でもびっくりするくらい、リハビリの体操をして創部を動かしてみると
更に痛みは軽減するようでした。
そうか、痛いと思ってじっと寝ているから余計痛かったのか!
そして、ふっと心の糸が繋がって、また張り出しました。

人間の心は本当に弱くて
ちょっと甘やかすと心身共にどんどん弱くなっていき
ふと気がついて背筋を伸ばすと、
心も体も元気になる

当たり前のようなことですが
何事も心持ち次第
自分を甘やかせば、際限なく堕ちて行くのです。

もう、すっかり元気になりました。

病棟雑事

2011-12-14 09:03:08 | 生活改善プロジェクト
病気の話題ばかりになっていますが、入院時見聞きし感じたことを少し。

なにせ私にとってははじめての入院と手術の経験なので、見聞きすること体験すること、すべて初めてでモノ珍しく
面白いと感じることばかりです。

特に面白いと思ったことは
食事が予想を反して美味しくて、毎回メニューも豊富で楽しかったこと。
当たり前といえばそうなのですが、
3食1900kcalに計算されていて
食材も野菜がふんだんに使われていて、味付けも出汁が濃く塩味は薄めで、とっても女性好み?なヘルシーメニューです。
ほぼ毎回フルーツも付きますし、朝は牛乳パックが付きます。時々パンになったりもします。
長く入院する人もいますから、飽きないよう、そして食事が毎日の生活の張りやモチベーションになる、ということをよく考えて作られてるんですね。
食べることは、本当に生きることへのモチベーションになることを、しみじみ実感しました。
この痛い検査や治療が終わったら、美味しいものを食べよう、と思って自分を励ますとか
一日経つと、今日もゴハンが美味しくてハッピーだった、と思えるものなのです。

そしてもう一つ面白かったのは、毎朝担当の医師の先生方が偉い先生から若手の先生まで揃って
ぞろぞろと回診に来ること。
その時の行動や言葉にそれぞれの先生のポジションとかそれぞれの関係性とかが垣間見られて、
医者の世界もいろいろ大変だな、ととっても面白くて
毎朝回診時には、うっかり主治医の顔を見て笑っちゃわないように我慢して、神妙に患者らしくしているのが大変でした。


私が手術を終えて、手術管理病棟から元居た一般病棟に戻った時
病室には、若い女性の患者さんが新しく入っていました。

私が入院したのは癌専門病院だったので、入院患者はすべからく癌の患者さんです。
病気の性質上、若い人は少なくて50代から上の方が圧倒的に多いのですが
ちらほら、若い患者さんも見かけます。

病室に新たに入っていたのは、20代くらいと2、30代の若い女性でした。
20代と思われる一番若い女性は、漏れ聞こえてくるご家族の会話から、まだ生まれたばかりのお子さんがいるようです。
彼女は、お母さんと旦那さんに付き添われて入院してきました。
家族の前では、明るく元気に振舞っていたのに、みんな帰ってしまって、ベットに一人になってからは
カーテンを閉め切った中からずっと鼻水をすする音がが聞こえて来ました。

とても気になったので夕食時にカーテンを開けて食事を取っているときに、思い切って声をかけてみました。
私自身も、手術を終えてずいぶんと自分自身に余裕が出ていたのかもしれません。
手術後に使うテープ剥がし?の余ったのを使ってね、と声をかけて、大丈夫?と聞くと
一人になったら急に心細くなって号泣しちゃいました、とニッコリ答えてくれました。
やっぱり…と思って、あっという間に終わっちゃうよ、麻酔で気持ちよく眠れるから、
術後もそんなに痛くないから大丈夫、と話すと、ちょっとホッとしましたと笑顔で答えてくれました。

その夜はやっぱり一晩中すすり泣いているらしい声が聞こえました。

まだ20代の若さで、お子さんも小さくて、きっと今後の不安で一杯だろう。
この病気は、転移や再発という不安も付きまとうので尚更いろいろ考えてしまうのだろう。

翌朝、手術に向かった彼女を「がんばってね~」と見送ったあと
今度は、一人で残ってベッドの後始末をしていた、それまで呑気そうに笑いながら彼女と頓珍漢な会話を得いていたお母さんが、
嗚咽し始めました。

お母さんの心配も、いか程だろう。

その姿をみて、手術の時に心細そうに私を見送った両親の心中は、やっぱりこのお母さんと同じだろうな、と思い
両親を面倒くさいと思っていたのに、なんだか私も泣きたくなりました。

同じ癌という病気だという、なんとなく緩やかな連帯感らしいものが、入院患者同志の間に流れているのを感じましたが

癌といっても病気の個所も、程度もそれぞれで
私のように早期で手術も軽く、能天気にしていられるヒトもいれば
何度も再発を繰り返し、手術も出来ないような人もいるのです。
それぞれ、年齢も違えば環境も違う、みんな事情はそれぞれ…そう考えれば、同じ病気といっても、本当に神様は不公平です。

でも不思議と病室や病院全体に、重たく暗い空気、よりは
病気の人がこんなにも大勢いて、みんな痛かったり苦しかったりするのに
平然とした顔をして頑張ってるんだな、という明るいものを感じます。

ヒトは意外と強い。
本当にそう感じました。






手術後に変わったこと

2011-12-08 12:32:23 | 生活改善プロジェクト
手術が、あっけなく終わりました。
手術中は全身麻酔がかかっているのでもちろん、術後酸素マスクと点滴に繋がれてしんどかった時間も
過ぎてみれば一時のこと。
起きられて、動けるようになると、もう遥かかなたの出来ごとになりつつあります。
のど元過ぎれば熱さを忘れる、の典型ですかね?

麻酔から目が覚めた時にまず湧きあがってきた感覚は
「ああ、久しぶりにぐっすりよく眠ったなあ」
という、爽快感でした。

その後、麻酔が覚めるに従って痛みが襲ってきましたが…

手術に入る前、手術台に移されて、いろいろな装置を取りつけられている最中に考えていたことは
「執刀医の先生って、偉そうなモノだなあ」
という不謹慎なことでした。
麻酔医や看護師さんが忙しく術前の準備をしている最中に、時々指示をしながら悠然と待っていた
執刀する外科医の人たちの姿が、とても面白く感じたのです。

その後はあっという間に麻酔がかかってしまいましたので、残念ながら知りませんが、出来れば彼らの動きをずっと見ていたいと思いました。


さて、手術が終わって、

体の一部分が摘出されて、なにか欠落感が湧くのか?
多くの人の手で、自分の命が救われたことに、深い感謝の気持ちが湧くのだろうか?
生き延びた自分自身や、これからの人生に新たな決意や愛おしさが湧くのか?

そんなことを考えていましたが、

本当のところは、残念ながらそんな殊勝な心持には一切なりませんでした。

唯一感じ入ったことは、
「人間の体というのは、本当に精緻にできた精密機械なんだな」という実感でした。
いろいろな機材や、人工呼吸器や、酸素マスクの大きな機械に繋がれているのに、その機械が補っているのは
人体の機能のほんの一部分でしかなく
この人体がいかに素晴らしい機能で構築されたものなのだ、という驚異の感覚を持ちました。

そして、この程度の手術を受けた程度では、自分の中身は変わらないものだ
ということを発見したのでした。
ヒトの思考や価値観は、そう簡単には変わらないものなのだ、という
若干予感していた結果が待っていました。

手術後、病棟のベットで、今度はしきりに今後の仕事のことばかり
あれもこれもやっていない、こんなことをしよう、今後の方針はこうしよう
そんなことばかりが浮かんできました。
早速感覚はすっかり現実世界に戻っているようです。

そして、手術前より、自分自身はなるべく人の手を借りずに
自立してしっかり生きて行こうという思いが更に強くなりました。

結局、何が起こっても、最後は自分自身次第なのだ、
そういうことを確認した経験だったような気がします。

ただ、病気の治療についてはこれからのほうが大変なのかもしれません。
放射線や化学療法、投薬と検査が、長い期間続くのです。
その過程でまた何か思うことがあるのかもしれません。



築地に避寒するという贅沢

2011-12-04 18:40:23 | 生活改善プロジェクト
築地市場一望できる、高層階の一般病棟に入りました。
築地市場の全貌やレインボーブリッジが眼下にひろがる眺望です。

このところ例年より寒い冬らしい日が続きましたが、ここは21.5℃に管理されて、パジャマでも暖かく
とても快適です。

毎日規則正しく寝て起きて、ご飯を食べて…いったいどうやってすごすんだろう?
退屈で死にそうになるんじゃないかと、思っていましたが、意外にも楽しく過ごせてい、、ます。

まず、若干中毒気味のウェブを絶って、情報を遮断しようと思いPCを持ち込みませんでした。
その決心ももう崩れて、病室備え付けのネットサービスを使って、これを書いている始末です…。
情報絶ちを決めたのでテレビもほとんど見ませんし、人への連絡も失礼しています。

両親と毎日会い、読もうと思って全く読めず溜まっていた本を持ち込み、編みかけの靴下と毛糸だまを
持ってきて、ほぼそれらのことだけで毎日を過ごします。
不思議なくらいに仕事のことは考えません。
きっと暇な時間は仕事のプランで頭がいっぱいになる、予定だったのにすっかり拍子抜けです。
心穏やかです。

ただ、棟全体がとても静かな環境で、あまりの静けさに消灯すると恐ろしくなります。
いつも聞こえていたテレビも車の車輪の音も全く聞こえません、ときどき廊下を歩く看護師さんの足早な
音がかすかに聞こえるくらいです。
このPCのキーをたたく音が異様に響くので、いい加減にしようと思います。
静かな時間帯は、なに聞こえず目をつぶるとまるで深い穴に落ちたような、閉塞感感じて怖くなります。
雑音は現在人のトランキライザーだと言った人がいましたが、本当にそうです。

もうひとつの発見は、意外にもこの平穏すぎる生活が楽しくて、これから起きるさまざまなことへの不安が沸かないことです。
自分自身が意外にも現状保持ができることに驚いています。
自分について、常に変化を望んでいるつもりでいまいしたが
案外そういう認識が違うのかもしれません。

明日の手術が終わり、何事もなかったかのように
この夢のようにふんわりとした穏やかが日が終わりを告げて、
あっと言う間に現実のあわただしさが始まるような気がしてなりません。

洋服は20年着るよ?

2011-11-05 22:35:47 | 生活改善プロジェクト
かなり遅い時期だけど、衣替えをした。

セーターやジャケットなどを引っ張り出して、いつも使うたんすに収める。

ここ何年も着るチャンスがなかった洋服が、今年は着たい気分になっていたり、
世の中の流行がまた戻ったりして、着やすくなっていたりする。

私は買った洋服はほぼ10年は着続ける。
理由のひとつは、その時流行のデザインを買わないから。
もうひとつは、高級品とまではいかないけれど、そこそこに高品質の洋服を買うから、だと思う。
だから、いつも量をたくさんは買わない。気に入ったものを選んで買う、予算が許さないから。

10年着続けるので、洋服は減らない、どころか、それでも毎年毎シーズン何かしら目新しいものが欲しくなって、買い足すので、洋服は増える一方。
でも、昔の洋服も着るので、捨てられない。
いつも、衣替えのたびに、こんなに洋服があっても、仕方がないじゃないか!と自分を戒めてみる。
困ったことではある。

もう20年以上気に入って着続けている洋服がけっこうある。
そのなかでも、特に毎年お気に入りで着ている数着がある。
とてもシンプルでベーシックなものもかるけれど
とてもデザイン性が高いのに、毎年毎年着られる、という優秀な服がある。

そのうちの一つが、20年前のY’Sとコムデギャルソンというブランドの洋服だ。
とても個性が強いブランドで、当時の流行ともまた違った独自路線のデザインだった。
未だに、今日はお洒落するんだ、というときに着たくなる、強力な味方の洋服だ。

これだけ長い間着続けられたのは、モノとしての品質がいいのだろうと思う。
長年の使用に耐えているわけだから。
洋服だから、皺になったりこすれたりするし、何より洗濯に耐えられる生地と作りでなければ、着続けられない。
そしてデザインが、普遍的、もしくは本質的に私の好みに合っているのだろう。

20年も着続けたくなる洋服、はもはや洋服の範疇を超えて、私の生活、人生に溶け込んでいるモノだと思う。そういうものをライフスタイルというのだろう。

私は、ずっと同じものを何年でも愛用し続けて暮らすスタイルがいい、と思っているのだろう。
だから、流行にはあまりなびかない。
なびかないけれど、無意識にその時の気分が流行に乗せられていて、意図しなくても流行っているモノを手にとっていることはよくある。

そういうものでも、流行は繰り返す、法則で、15年くらいのサイクルで
また流行が巡ってきて、出番があったりする。
モノは長く使える方が、やはり合理的だ、と思ってしまう。


東京スカイツリーの中で働く人の制服が発表になった。
ミナ・ぺルホネン のデザインだった。
写真で見て、ああ、いかにもミナらしいデザインだな、と思っていた。
ツイッターで「ここまでレトロじゃなくてもいいのに、大阪万博みたいだ」というつぶやきをみて
そうか、と思った。

今一番売れているデザイン、ある意味では日本の最先端デザインのミナ・ぺルホネンは、
昭和レトロなデザインなのだ。
いま日本で一番先端のデザインは、レトロだったのだ。
今の時代の気分が昭和回帰なのは、デザインだけではないだろう。

流行は繰り返す。
政治にも経済にも、思想にも、ライフスタイルにも流行はある。
そしてそれは、流行である限り繰り返す宿命がある。

何十年も心をつかみ続けて、これが私のライフスタイルなのか、と思い知った
ワイズやコムデギャルソンの旧いデザインのような、本質に出会うことは幸せなのだと思う。
そして、自分の本質は、あたりまえだけど、自分の中にしかないものだと思い知った。

それでも生きたいか、どうか。

2011-10-26 10:17:54 | 生活改善プロジェクト
のんびりと暮していた毎日に、小さな変化が始まりました。
癌の診断を受けました。(まあ、実は今年二度目ですが今回のほうがより深刻らしい)

今の段階では、まだ初期で、大きな痛み不調は特になく
「へ~、そう?」というくらいの平穏さです。

ただ、そうはいっても、やはり病気は病気なので、
病院の選択や入院の準備や、手術をいつ受けるのか、休んでいる間の仕事はどうするのか、
などなど、日常ではないことを考えなければならないようになります。

今年は本当に精神的に高揚している状態が続いていて、いくつかまとまった仕事もこなしましたし
札幌へ行ったり、関西へ行ったり、新しい友人に出会ったり、私にしてはよく動くことが出来ました。
そんな状態の自分を、どこかで別の自分が冷静に見ていて

「この高揚感が長く続くとは思えない、どこかで体のブレーキがかかるだろう」

と思っていました。

今年は元気に動けるなあ、という自覚の出てきた1月ごろから、並行してもしかすると癌かもしれない
という疑いを自分自身で持ち始めていました。

ちょっとした、些細な体の違和感を感じていました。
本当に些細なことだったので、まあ気のせいだろう、と受け流していたのですが
やはり些細なことが気になり続けて、思い切って検査を受けることにしたのが夏でした。

それから、かれこれ2カ月掛かりましたが、やっと感じ続けていた違和感の結論が出た、という感じです。

さあ、これから手術だの治療だの、ということになるのですが
不謹慎なことに、ちょっとワクワクしている自分を感じています。

もちろん体の苦痛はとても苦手だし嫌ですが
初期の難しくない手術とはいえ、まあ生まれてはじめて手術台に上るわけです。
なにがあるかわからないので、そのまま帰ってこられないことになってもいいような
心と環境の準備はしておこうと思ってるのです。

私は自分が生きることに、執着が薄いと思っています。
仕方なく生きているので、どうせ生きているんなら何なしないとね、と思っていろいろなことをしている
と思っています。
せっかく何かするのなら、自分の興味がもてて、自分の好きなこと、好きな人の役に立てることがしたい
と思って活動しています。何かに手を出すのなら、あまり無責任なことはしたくない、と思ってはいますが。

そんな程度にしか「生きたい」と思っていないのですが、もし「もう生きられない」ということを現実に突きつけられてもまだ、自分は執着なくいられるのか、それとも物凄い執着心がわくのか、それを知りたいと思っています。

その時初めて「自分が何者なのか?」がわかるのではないか
自分は本当はどうしたいのか、周りにどうしてほしいのか
自分でもなかなかわからない本当の自分の声が聞けるのだ
と思うと、ちょっとワクワクするのです。

それから、人生の棚卸が出来るなあ、というのも少し楽しいことです。
私の周りにある無駄なもの、無駄なこと、を整理するきっかけがもてた、と思います。
「どうして私はこんなにいろいろなものを持ってるんだ?」とため息が出るほど
たくさんのモノに囲まれて(埋もれて?)暮らしている自覚はあるのに、なかなか整理・捨てることができません。
それはモノだけではないのです。
棚卸をしなさい、と声なき声に指摘されたのだと思います。


そんなわけで、いろいろなことを考えるチャンスをもらったこれからの1~2ヶ月間。
自分の変化をじっくり観察しようと思います。



朝歩く

2011-10-20 09:21:36 | 生活改善プロジェクト
秋がだんだん深まっています。
私は、お天気・季節にとても影響を受けやすい体質です。

夏と暑さは得意なのですが、冬の寒さはとても苦手です。
秋から冬にかけて寒くなっていく気配や景色は好きなんですが、体は冬を受け付けないようなのです。

日の長さが、急に短くなったように思えるこのところ、
お天気も曇りがちな日が多くて、肌寒さも増してきました。

冬季鬱、という病気があります。
冬になって日が短くなり、日光に当たる時間が短くなることで、鬱の症状が出る。

確かに、病気じゃなくてもお日さまに当たらないと、元気が出ないんじゃないでしょうか。


自宅のマンションが9月から大規模修繕工事に入って、今年いっぱい全面をシートで覆って
工事中です。
ベランダや窓のすぐ外で、職人さんが工事作業をするので、レースカーテンを閉めっぱなし。
ビックリするくらい暗い!日光がほとんど入りません。
晴れた日の昼間でも、薄暗くて部屋の照明をつけたくなるくらい。

そんな状態を1カ月過ごしてきて、心身の不調が出始めました。

朝起きられない、だるい、やる気が出ない…
心身の不活性状態に陥りかけています。

これからどんどん寒くなって行き、日が短かく弱くなっていくのに、今からこれではヤバいと感じ始めました。

朝、何とか早めに起きられた日には、外に出て30分以上歩くことにしました。

久しぶりの朝の外の様子。発見がいろいろある。

もう朝の空気はひんやりして、マフラーを巻きたくなるくらい。手袋が欲しい日もあります。

7時前に外に出ても、もう出勤や通学のの人もちらほら
ここは下町で町工場がたくさんあるのですが、もうお仕事をしているオウチが結構あるんですね、職人さんは早起きなんだなあ!

お寺では、奥さんと思しき人が道路の掃き掃除をしていたり、お花に水をやっている人がいたり
町のお豆腐やさんやパンやさんは7時過ぎるともう営業してるんだ。

という、当たり前の朝の風景を、朝はほとんど家に閉じこもっていた私にはとても新鮮な刺激になって
ちょっと元気が出て来ました。

朝活が流行って大分経ちますが、やっぱりお日さまの動きに合わせて活動する方が
人間は自然な状態でいられるんじゃないかと、
夜暗くなったら寝て、朝日が出たら起きる
リズムにしたいなあ…なかなか現代では出来ないけれど…と思うのです。

朝歩きは、この冬は続けようと思います。


ご近所コンサートで浦川宜也さんのバイオリンを聴く

2011-09-27 09:28:56 | 生活改善プロジェクト
とってもローカルなんですが、台東区の施設 生涯学習センターが10周年を迎えました。

私が今の家に引っ越して10年、同じ時に出来たこの施設

台東区立図書館が入っています。
かなり立派な図書館で、社会人向け学習スペースも、パソコンルームもあり
ビデオやCDも貸し出していて、近所にあるのはとっても便利。
雑誌も新聞も読み放題、図書館っていいですね。

小さなトレーニングジムもあり、小さいながらマシンも揃っているし
インストラクターも常駐して、レッスンもあり、2時間200円。
シャワーもあり、なんてステキ。

貸出している会議室や工作室、和室(炉も切ってあってお茶事もできます)
もあります。
私は毎週和室で行っているヨガに参加。和室のヨガ、すっごく快適。

箱モノ行政にはネガティブな意見を持っていますが
これだけ便利だと思っていると、「公共施設」の恩恵に預かってるんだな~と自覚せざるを得ません。

さて、その「台東区立生涯学習センター」の10周年記念
ふれあいコンサート ヴァイオリンとピアノの夕べ

施設内のコンサートホール(まである!)ミレニアムホール

ヴァイオリンは、浦川宜也氏
ピアノは、田中美千子氏

さすが東京芸大を区内に擁する台東区だけあって、大御所がこんなにこじんまりとしたコンサートに出演してもらえるんですね。

会場は500人くらいの収容の小さなシューボックス型のホール。

お客さんは、年配の女性が多かったですが、ご夫婦もちらほら。
いいですね、ご夫婦でコンサート。

クラッシックコンサート、といえば、私にはサントリーホールの華やかな印象が強烈に。

なんといってもバブル期に連日満員のサントリーホールでバイトをしていた身としては
ドイツの世界的オケ、世界的マエストロ、2000人の観客はきらびやかで
休憩時間にロビーではワインが楽しめて…

コンサート帰りには六本木でご飯を食べて…

そんな時代もあったんです。

私自身の年齢も生活も変わっていって、仕事帰りに自転車でご近所の区立の施設で
ヴァイオリンのコンサート。1000円で聴く。

私もそんな落ち着いた生活になったんだなあ、
とともに、こういう日常的で身近なコンサートの楽しみ方って、
ヨーロッパ的なんだろうな、と思いました。
豪華で高価、きらびやかなコンサートだけではないっていうことは、音楽文化の成熟ではないかしらん。

浦川氏の演奏は、なかなか熱の入ったいい演奏でした。
すっかりヴァイオリンの和声を堪能できました。
アンコールをン弾き終わって、ニッコリほほ笑んだ姿が、ああいい演奏会だったな
という思いを増してくれました。

★画像は浦川宜也氏HPより拝借。