ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

ファウンデーション

2009-04-30 04:17:10 | 生活改善プロジェクト
基盤、というより、メイクのこと。

ずっと二十歳くらいから、しっかりメイク派だった。

下地、ファウンデーション、パウダー、眉、アイメイク、チーク、リップ
朝、メイクの時間は20分くらいかかる。いや、もっとかかったかも。


ファウンデーションを完全にやめて五か月くらいがたつ。

やめた理由は、

どうしても疲れてしまうと、メイクをしたまま寝てしまうから。
肌に最悪なことは、翌日起きたとき、よーく実感する。

また、世の中の女性を見ていると 若い女性のしっかりメイクは、きちんとした感じ、清潔感が漂うのに、ある程度の年齢にあると、しっかりメイクが、暑苦しく清潔感の逆を醸し出すと思ったから。

ノーメイク派の友人の肌がきれいだったから。

でも一番のきっかけは、「会社」という場所に行かなくてよくなったからだろう。
ある日突然「会社」にファウンデーション無しで行くのは、とっても勇気がいる。


しかし、もうそろそろ、私のフルメイク時代は終わってもいいと思う。

今まで、顔も心も会社や周囲の人や、世の中の常識に合わせて仮面をかぶってきた。自分の素肌の上にファウンデーションという皮膜をかぶって、その皮膜で
どこまで作るか、そこまで自分の素を見せるか、そのバランスを取りかねていた。

上手に、綺麗に歳をとることは、自然体を体現することだと思う。
ガチガチに緊張して肩肘張っていた若い頃、から、だんだん力が抜けて自然体の自分を出しても受け入れられる自分になる、のが理想。
自然体でも、単なる自我を剥き出しに押し出すだけでは、やはり美しい大人じゃない。社会の一員としてどこまで自分を出して、どこまでは飲み込むか、自覚をわきまえた自然体。

だから、これからはメイクも薄く、必要最低限のマナーの範囲で。
過剰な仮面を脱ぎ棄てて、自分自身で世の中に対峙できるよう。
必要最低限な、ポイントメイクは軽くナチュラルに。

結局それが、自分自身の素顔のコンディションを整えて、自分でもきれいな素肌でいよようと、自然体でも、自然体だからこそなるべく美しくあろうと努力するのだと思う。中身を美しくあることに、注力できる。

メディアや、企業の宣伝に踊らされず、何が本当に美しいかを自分で探せる人になりたい。その第一歩が、脱ファウンデーションかな。

谷中琵琶STYLE@本郷求道會舘

2009-04-29 23:53:47 | art
去年は千駄木安田邸で行われた
「谷中琵琶STYLE」女性琵琶奏者の二人の演奏ユニットです。

去年、初めて古いお屋敷のお座敷でのライブを聴いて、とてもよかったの
で今年も参加しました。
今年で5回目、テーマは~巡る~
曲目は
平家物語(平曲)から
敦盛
壇ノ浦

創作曲
琵琶二重
古典の和音階、リズムを壊そうとする斬新な試み。
邦楽の、現代曲。
不思議にインドや東南アジアの音楽のようなハーモニー
西洋現代曲?の変拍子のようなリズム
ちょっとガムランに似ているところも。

錦木
能にある曲だそうです。
謡だとどのようなのか、内容はとても哀しい恋愛悲話
秋田の民話から

啄木に寄せて
子守うた

石川啄木の日記や書簡の朗読をはさんで、啄木の死までのストーリー
寂しい音質の琵琶によく合う。

琵琶は、大きな音が出ます。
ですが、その音色は、絶対に哀しい。
琵琶はもともと平家物語という栄枯必衰の悲話をつづった音色。
明るく楽しいわけがないです。
軍記物だから、激しい表現もできます。


混んでいました。
予想を超える申し込みがあったということで
三人がけの席に四人座って、満席。


せっかくなので着物を着ました。
やはり同じことを考える人は少なからずいて
着物姿も多かったです。
その中でひときわしっとりと美しかったご婦人がいました。
淡い藤色の色無地かうっすらとした柄の小紋
同じく藤色の染め帯
黒髪をシックに結って。

そう、今は藤の花が咲く季節。
今藤色を纏う。
ああ、こういうセンスが美しい和美人を生むのだな。
着物はセンスです。
生活の中のセンス。季節感とか、空気感とか、素材とか色とか。

私のように、何かを作りたい人間は、常に創造的なアウトプットを求められるので
好きな世界、未知の世界、新しい発見、日常からの発見
そういうインプットの努力が必ず必要。

いろいろなインプットができました。

あとは自分の中でガタゴトと化学反応を起こして、ぐつぐつ煮込んで
アウトプットへつなげましょう。

創造的作業のスタイル

2009-04-25 22:55:21 | 独立起業
小説に挑戦しています。

文章を書くことは好きでエッセイは時々書きますが、小説にまともに取り組むのは初めてです。

NHK銀の雫文芸賞 に応募するためです。

原稿用紙400×30枚以内。

やってみると、この時数に収めるのは、結構難しいです。

私はいつもそうですが、
これをしてみよう、と思い立ったら、とりかかるのは早いです、おまけになぜか早く形になります。とりかかったら一気に片付けるほうです。(精神的に正常な時の場合)一点集中型ですね。

ただ、問題はその先です。

取り掛かり、形にするのが早い反面、完成度が低いのです。

いったん完成の形を、早く見たいがあまり、詰めが甘い傾向にあります。
 
この小説も、書き出してから一旦出来上がるまでは早いのですが、その段階ではかなり独りよがりです(自分ではいい出来のつもりでも)

なので、数値管理とか、入力とか、計算とかという、綿密さを一発で出さなければならない作業は、非常に苦手です。

いったん、完成すると、人に見せたくなります。
そこで、いろいろな意見を貰うことになります。

その意見は、自分でも気づいていたけれど、まあいいやと甘くしてしまたことや
まさか、というようなミス、気づかなかった視点から見た問題点などを結構鋭く指摘されます。
鋭く言われなくても、もともと人の心や発言の希微に敏感なたちなので、
見せたものが良かったのか、悪かったのか、わかってしまいます。

そこで、また修正を加えます。
いろいろな指摘を受けて、今度は本気で練ります。
要するに、たたき台をたたいてもらわないと、前進できない、ということです。


このやり方は、私の様々なクリエイティブな作業に共通しているようです。

仕事は、それがどのような仕事でも、私としてはクリエイティブな作業なので
この法則があてはまります。


気づいたのは、私のとって大事なのは、人の意見だということ。
違う視点、客観的批判、評価、が私にとってはとても重要で
それを貰う以前の形は、まったくただのたたき台なのです。

はたして、こういう二段ロケット方式が、効率的なのか、甚だ疑問ですが
性格なので仕方ありません。
一発で完成度を出せる人から見ると、このやり方しかできないという私はある意味無能でまだるっこしいのです。

利点は、いろいろな意見をまとめあげた総合力で勝負できることです。

そのためには、私は、いろいろな人の意見を、受け入れる柔軟さ素直さを見失わないことなのです。

人生の棚卸

2009-04-22 17:41:33 | 独立起業
一人で働くことが、何となく見えてきてから
身辺整理を、徐々に行っています。きっかけがないと、できないものですが
しないでいると、ヘドロのようにいろいろなものが溜まっていきます。
棚卸をしてみて、はじめて気づきました。

生活の様々なことの棚卸

・食生活…きちんと三食、できるだけ手作りのものを食べる。基本は和食、ご飯と     お味噌汁
     健康の基本は、やはり食事

・生活リズム…朝起きる時間、仕事をする時間、食事の時間、家事をする時間
       自分のプライベートの確保、家族との過ごし方。
       私にとっては、これが難しいです。
       最勝のリズムはできても、仕事とプライベートと家事、家族と過ご       す時間と自分のことをする時間
 それらについて自分を律するのは、多くの人が悩むことなのかも知れないですね。
サラリーマンでも、ワークライフバランスをとるのは、意識してやっても、かなり難しい。「ワーク」や「生活」だけではなく、周囲との人間関係や、お金が絡んでくるからなのですね。
自分ひとりだとさらにルーズになりがち。
今後の重大な課題です。

・人間関係…整理するのは難しいけど、私は社交性が低いので、逆にどう広げるか、広げたことでストレスをためないか、のほうが課題。
その辺は、ひとそれぞれでしょうけれど。
ヤヤコシイ関係は、整理します。余計なエネルギーの消耗だから。
家族との関係も、この際見直してみたりしています。家族いえども他人、付き合い方を間違うと、えらい目にあうこと必至。

・お金…今、私の資産はいくらなのか?
    どんなレベルで毎日お金を出し入れしているのか。  
    消費と収入のバランスは適正なのか。
 
それで、家計簿をつけ始めました。もちろん、ビジネス経費の管理も兼ねて。
WEB上の家計簿、使えます。
CSVに落して、エクセルで保存できるのも便利。エクセルでいろいろ分析も可能だし。
なんといってもフリーなのが◎

貯金の棚卸もしました。意外なところで、変な預金のマイナスを発見。また、満期になったままの定額貯金を整理して、利子を貰ったり。

生活にいくら使えるのか、ビジネスにはいくらまで持ち出すのか。

結構、頭使います。。。私はお金関係は、すごく苦手。でも避けては通れませんからやらねばなりません。

物理的整理…いらないものは捨て、整理整頓して、まず、ワークスペースを作りました。

パソコンも改めて整備。WinとMacの両方を稼働させるようにして、セキュリティも整えました。
一人ビジネスの必須ツール、ネット環境が快適に。
それだけでも、かなりスッキリしました。

棚卸の結果、いらないものを持ちすぎていることを、猛反省。

ごちゃごちゃだった思考回路も、少しは整理されたと思います。

蒙昧な世界も、だんだんクリアになりつつ、さらにクリアにしていかないといけないです。

健康を死守、健康のために何をするかも、新たな発想として。



会社員時代は、考えなくても生活が回りましたが、こうなってみて、自分をコントロールしようと思うと、よりクリエイティブになれる気がしました。
不況の、恩恵と思うことにします。







水の麻布 近江上布

2009-04-18 21:58:24 | 職人芸
琵琶湖のほとり、滋賀県近江地方に近江上布の織元の職人さんを訪ねてきました。

大西新之助さん
http://www.shinno-suke.com/index.html

近江上布は、長い歴史と伝統のある織物ですが、いまや知る人は多くありません。

小さな工房をお弟子さんと二人で守っていらっしゃいました。
糸の処理から、染色、柄つけ、織、検反 を、全工程をお一人でこなします。

驚いたのは、織るまでの、織ることのできる糸にする作業が手間のかかかかること。

柄つけ、また糸の状態に戻して、そしてやっと織り機にかかります。

そこまでの工程は、緻密で論理的で膨大な作業です。

ですから、最後の織る工程で、傷が入れば、それまでの膨大な作業が水の泡です。
しかし、織る作業は、神経を使い、体を使い、毎日毎日同じ柄を見つめて。
「こんな仕事はあほにしかできへん」
そうおっしゃいました。
いえいえ、こんな緻密で忍耐力のいる仕事は、そうそうできません。

ですが、この職人さんは、大胆を絵にかいたような方でした。
もちろん、お仕事は綿密かつ繊細。
でも、お仕事に対するスタンスは、大胆で、やってみなければわからないから何事にも飛び込んでみる、とういう信念でした。

織りあがった反物が、着物になろうが、洋服になろうが、小物になろうが、ふんどしになろうが(!)、かまへん。
消費者に届くことが大事。
この織物のよさを、どんな形でも、知ってもらうのが大事。


手織りの織物は、織り手の個性が如実に表れます。

ピシッと寸分たがわず、の仕事をすれば、ピシッとした織物ができますが、
遊びがない。機械織りと変わらなくなってしまう。
余裕と遊びがある仕事をすれば、手織りの風合いのあるなんともふんわりとした織物ができます。
しかしそれは、長年の経験と、人生の蓄積がなければ、一朝一夕にして出来るものではありません。

職人仕事は、一生修行だ
すぐれた職人さんは、皆そうおっしゃいます。
まさにそうです。

近江上布を知ってもらうために、途絶えさせないために、
こんな田舎にじっとしていては、どんなにいいものを作っても誰にも知られることがない。それでは仕方がないから、外へ、消費者の顔が見えるところへ、出ていきます。リスクをしよってでも。


手織りの渾身の織物は、それはそれは美しく癒されるものでした。
それを身にまとえば、日本の衣服のよさを肌を以て知ることができるでしょう。

多くの人に、まだ近江上布を知らない人に、纏ってもらいたい。
こんな素敵なものだと、肌で知ってもらいたい。

私も、私なりの方法で、近江上布を皆さんへ届けることができるよう
努めていきます。






セルフマネジメントはどうする?

2009-04-11 22:48:49 | 独立起業
自分の身一つで、働こうと考え出してから、ずっと考えています。

自分自身のマネジメントについてです。
私はリーダータイプではないので、人の先頭に立つことを好みません。
独立独歩、マイペース、を身上とします。
ですから、スタッフを抱えることは考えていません。

ただ、自分というスタッフをどうマネジメントするか。
これは大問題です。

私が働く上で、今までもおそらく今後も、最大の関門は「ライフワークバランスをどうとるか」ということです。
私は、一点集中型の思考回路を持っているらしく、さまざまなことにまんべんなく気を配り、並行して推し進めることが比較的苦手だと、これまでの職業経験からそう思っています。優先順位をつけて一つ一つ集中して片づけていくほうが、私にとってはやりやすい方法です。

しかし、どこにも組織に属さず、一人で働くということは、並行してカバーすべき守備範囲が飛躍的に大きくなることは、想像に難くないです。

その時、自分のペースを守りつつ、どう仕事と向き合うか。
プライベートと仕事の切り替えはどうつけるべきか。
仕事のほかに、なすべきこと(家事、趣味、個人的な人間関係etc.)
をどう位置づけるか。

心身の健康管理(すごく重要と思われる)

情報のインプット

仕事の中で、創造的な部分と、事務的ルーティンな部分をどう成り立たせ、頭を切り替えるか。

ざっと考えるだけで、これらのバランスをとり自分自身のマネジメントをしていくのは、重要かつ難しい。。。

しかし、もしかしたら、事業計画よりも、仕事のアイディアよりも、まず最初に解決すべき問題のように思います。

漠然と思っていることや不安な点、わからない点を、図式化してビジュアルにしてみよう。…要するに、ノートにまとめる、というアナログな作業がこの問題には適していそうです。

これから一カ月くらい、優先的に、強制的に実行して見ようと思います。

マイバッグってどうなの?

2009-04-05 19:38:39 | 生活改善プロジェクト
最近、買い物をすると、紙袋などの代わりにマイバッグ(エコバッグ、という言い方が好きではないので)に入れてくれるところが増えました。

そういうショップは、おそらくナチュラル志向の服ややスローフードや手作りの品物などを扱う、そういう感覚の強い客層がいるところなのでしょう。

大手では、バッグのgentenがかなりいい品物の生成の手提げに買ったバッグを入れてくれます。

おそらく紙袋とか包装紙と同じコストでできるのでしょう。
コスト高では商売成り立ちませんから。

これらの(だいたいがキナリ無地)マイバッグが結構たまっていきます。
私も最近買い物が減りましたが、ナチュラル志向になったのか、いただいたマイバッグがかさんできました。
まあ、布ですがら、先般の雑巾を縫ってもよいし、小物を作ってもよいわけです。
そう無駄に感じることもありませんでした。
でも、日々のお買いものにマイバッグを持っていくことはしていませんでした。
その理由は
我が家では、少人数家族なので、レジ袋がちょうどいいゴミ袋になるので、どうしても必要。
マイバッグを持ってる歩くと、ただでさえ荷物の多い私はかさばって面倒。
マイバッグ、ってもってるといかにも流行りものみたいで嫌。

そんな理由です。

でも最近近所のスーパーでマイバッグ率が15%程度だと知りました。
また、周りを見回しても、みんなレジ袋を持っていて、マイバックを持っている人を見かけません。

そうか。流行ってないんだなこの地域では。

地域性もあると思います。もっ環境意識や生活意識の高い(レベルの高い)地域では、マイバック率も高いのかの知れません。
でもここは下町ど真ん中、高齢世帯や外国人も多く環境意識を高くもつような世余裕のある世帯は少ないのかもしれません。

流行ってないとわかると、やってみたくなる、天の邪鬼な私。

ここ一カ月使ってみました。

案外便利です。
肩にしょえるし(手が長いから)
破れないし、雑に扱っても中身の心配がありません。
レジ袋も、毎日買い物をすれば、必要以上にたまるのです。
必要な時だけ、レジ袋をもらおう。とゆるやかに考えることにしました。

一番は、レジ袋を持っているより、少しだけおしゃれです。生活臭さが払しょくされるような…これは自分で思っているだけかも。

遅いマイバッグデヴューでしたが、マイバックをただでくれるショップのおかげで
始めることができました。

エコエコ言うのは、好きじゃないですが、便利でかっこいいことはいいことだ。
これぞ「用の美」だと思っています。

糸屋さんで考えたこれからの「消費の形」

2009-04-03 07:40:10 | 独立起業
デパートに久しぶりに入って、本当に久しぶりだと気付きました。
最近、デパートに行く用事が無いのです。

洋服は、路面店か、セレクトショップか、普段着は無印で買うようになりました。
化粧品は、通販で買うようになりました。
プレゼントなんかも、伊東屋とか、専門店とか、谷中の小さいショップで買ったりすることが多くなりました。
以前はデパートで買っていた、パンやお茶やコーヒーも、小さいお気に入りの専門店で買っています。

デパートで買う必要がなくなりました。

このところ、デパートをはじめ、大手流小売店業界は年々売り上げが落ち、衰退しているのがはっきりわかります。
多くの人が、私と似たような理由で、デパートで買う動機がなくなってきているのでしょう。

デパートとはそもそもなんなのか、考えてみました。
何でもそろっているようで、マニアックなものは無いところです。万人に支持されているものを無難にそろえているという印象があります。
基本的には高級品を揃えていますが、そのくせ粗悪なバーゲン品もあり、テナントが多く入っている、なんとも品揃えのコンセプトが不明なところです。

私が最近、洋服や雑貨を買うセレクトショップや雑貨店も基本的には、店主の好みでいろいろな物を買い付けてそろえているところは、デパートの小さい型とも言えますが、店主の好みやコンセプトが品揃えに色濃く反映されていて、その個性に合わないお客さんは来なくていい、といったとよい意志が感じられます。
その強気が、いいのか悪いのかは、支持されるのかされないかは、店主の時代感覚しだいですね。
デパートは、大きくなりすぎたゆえ、多くの人の支持を得たいとするばかりに売り手の意志や個性が埋没してしまった、存在意味不明なところになってしまっているようです。

売り手のコンセプトがはっきりしている、小さいセレクトショップだけに時代は向いているのでしょうか。

最近、お花は花屋さんで、お茶はお茶屋さんで、缶詰は干物屋さんで、ボタンはボタン屋さんで買うことの、メリットを感じます。お店が、商材の知識が豊富で、アドバイスという+αがあるからです。
そして、自分の欲しいものが一般的ではなくなって、ピンポイントでこの特殊なものが欲しい、という買いたい要求が増えているのです。
専門店はそんな特殊な要求にも応えてくれるし、また応えてくれようとする努力のある専門店しか指示されません。専門店は小さい規模のところが多いので、そういう努力をするししなければ他の店や大型店に負けるのでしょう。

これまでの、大規模で広くたくさんの人に支持される大型店の時代は終焉に近づき、個人に密接にかかわって売る、小規模な専門店がこれからは必要とされるような気がします。

売り手と買い手のお互いが顔を突き合わせる、オーダーメイドや手作りのもの、自分で作るワークショップなどがだんだん盛んになっていること、それもこれからの買い手の意識の方向性でしょう。

小さいお店はもっと自信を持って、そしてお客さんとの心地よいコミュニケーションを大切にしてほしいと思います。
買い手の顔が見える強み、マスでなく個人とかかわれる強みを生かせば、これから小売店で最も必要なのは、小さいお店になると思います。

大手小売店が巨大な力を持ち、作り手を圧倒する、そんな図式の歪みが、大規模店が身職ないものになっていった原因ではないでしょうか。作り手も買い手もよく見なくなった、ということでしょう。

これからは「小さいこと」が強みになり、魅力になる、消費はそういう方向になるように思います。