ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

「うちら」階層の固定化が身に沁みる。

2013-08-12 08:59:01 | 日本文化

常にweb上の話題の後追いで、オンタイムに追いついていない。

まあいいか、アクティブな活動禁止期間中だから、ネットもそこそこしか見ない。facebookは禁いを守って自粛中です。

さてお題ですが、

今の日本の社会は「低学歴の世界」と「高学歴の世界」二つの階層が明確に別れていて

その階層の「ムーンリバー」を越えて両方を見て「こんなに違う世界があるなんて!」

と驚愕する人がいる、そんなブログやらなにやらがゴロゴロ出てきました。

私が最初に発見したのはこのブログの記事

★24時間残念営業

「うちらの世界」

 ***** そしてその次に読んで、納得したこのブログ

★ひきこもり女子いろいろえっち

「私のいる世界」

 

24時間残念営業(タイトルのセンス秀逸)の「うちらの世界」を読んで(な、長いよね、この人の記事、人のこといえないけど)

なんか聞いたことがある話・・・とおもってハッと。私の父のことだろ。

時代が戦争時代~戦後なので、全く状況が違いすぎて「父のこと」というには無理があるが、ある意味同じ。

父は9人兄弟の下から2番目、兄弟姉妹のなかで唯一大学に進学させてもらった。

その後の父の人生は、見事に他の兄弟から切り離されて、「○○ばかりいい思いをした」というある種「白い目」で見られていた風ですらある。幼い頃親戚の家に行ったこともあったが、母と私にとっては針のむしろだった思い出がある。

だから私は父方との親戚付き合いはない。おまけに母は父が高校~大学で初めて足を踏み入れた「ハイソな世界」の住人だったから、その感覚の落差は激しい。なにせ父の兄(私からみると叔父)のうち2人は、裏稼業の世界の人だから。

父方の祖父、祖母が亡くなった時父はまだ現役で仕事をしていたので

葬儀は「○○(父)氏の父(母)○○氏葬儀」だったし、会社関係者がわんさか列席した。我が家は両親&娘の私、皆人付き合いが苦手だったので、それはそれはビックリしたが、親戚の皆さんの居心地の悪そうなことも、不機嫌さもハンパ無かった。

+++

と、まあ私は父が大好きなので、父の話題ばかりやたらといつも多いのですが

そうか、父は「うちらの世界」と「高学歴の世界」両方を見た体感した人だったのか・・・

そう思うと、中学高校で落ちこぼれかけた私をただただ悲しげに見ていて、大学受験に見事失敗しても浪人を許してもらえ、その後のドロップアウトしがちな私を、

父は「なんとかしてこちら側に留まれ」と祈るように見ていたのだと思う。なにせ両方の世界を知っているのだから。

+++++

自分語りがまたまた長くなりました(反省)

この深い川を渡れる人が、極少数なのだという事実。渡れるかどうかは運次第。

そしてまた、渡った先全く違う世界の景色は、元居た世界よりいいのか、すら、自信が無い。

私の友人に少数だけれどこの川を渡った人が居る。彼らの行動は、「高学歴の世界」のみで生きて来た人には理解不能な部分もあるけれど、

両方知っている「強さ」を、ヒシヒシと感じることがある。

 

上記のブログ「ひきこもり女子いろいろえっち」の筆者が、短歌に出会ったことが記されてるのです。

この人の筆力は、きっと短歌に向いている。繊細な感性も、いろいろ考える思考も、

ブログを書くことで発散する、というなら書くことが大好きなはず、

20代だという彼女、新世代の歌詠みとして鮮烈に登場しないかと

同じく短歌で自己表現をしようとしている私は、心から期待しちゃうのです。

 

 


新井薬師へお祈願に

2012-10-20 07:15:14 | 日本文化

知人が、眼底出血で一時視力を失っているという知らせを聞きました。私はなんだか目の病気が怖いのです。「ものを見る」「美しいもの見る」ことに重きを置いた生活をしているからでしょうか、そもそも人間は五感のなかでも特に視力に頼っている動物ですね。

 

眼底出血ってどんな病気だろう?

と思って少し調べてみたら、高血圧と関係しているらしい、他の病気が目に現れている形なんですね。

闘病中の本人以外、実際病気の解決のためには何も出来ません。本人も静養するしか無いのだそうです。ご家族が心を支えるくらいですよね・・・

 

そんなわけで、東京の眼病平癒 といえばこのお寺

新井薬師 梅照院 にお参りしました。実は始めてです。

 

 

 

ご本尊は「薬師如来」と「如意輪観音」の二体一仏 、新田家代々の御護仏であったものが、この地で発見されて創建されたお寺だそうです。

徳川家二代将軍秀忠の第五子和子の方(東福門院)の患った眼病の折りに祈願して快癒したことから、「眼病快癒」の霊験あらたか、といういわれ。

私が行った日は、護摩祈願法要のある日で、境内に少し出店が出ていました。西武池袋線新井薬師駅から、参道のような商店街を歩いてそう遠くはないのですが、日曜日だったせいか、お店も閉まっていてちょっと寂しい。

東京は広いので、同じ都内と行ってもかなり土地土地で雰囲気が違います。

東京の染め屋さん(東京友禅染や染め小紋の染め屋さんが、中井~落合の中井川沿いに数件のこって、お着物を染めています)歩きでこの近辺を歩いたことがあるのですが、

下町っぽい人情感があり気取らない町、でも東側とはちょっとちがう静かな雰囲気です。

もうすっかり秋で、境内の大きな木も葉を落とし始めていて、少し物寂しさを感じます。

眼病平癒のお守りと「メグスリノキ」(お茶らしい)を買ってみました。


こんな下町の隙間のような町にも新築が

2012-10-02 09:03:54 | 日本文化

ここは、お江戸上野のお山のお膝元の下町です。

下町ですが、浅草とか上野のような繁華街、商売の地でもなく、元色町でもなく

なんとなく、隙間にすっぽりと落ちちゃったような町です。

一軒間口、二件間口の家族経営の小さな町工場とか、小さな卸問屋とかが多く

小さな材木屋さん、ガラス扱い会社、が多いのも特徴です。革製品、鞄、アクセサリー関係も多いですね、職人さんが多く住んでいます。

 

 

そんな忘れられたようなこの辺りは、ここ10年くらいの間に、古い建物が新しいマンションに数多く立て替えられています。私もそんなマンションの一つにすんでいますが、私がこして来てから10年、かなりマンションだらけになりました。

マンションもそれぞれの土地が小さいからか、中小規模のファミリー層、老人世帯向けや、単身世帯向けのような小さいマンションが多いです。

気になるのは、新しい建物の色、形です。

どうも、この町のおっとりした風景に違和感を発する新築のたてもの。

なぜ、白くて四角くて、ピカピカなんだろう?と思うのですが・・・設計された方に聞いてみたいなあ。

この辺でよく雑誌にも取り上げられる人気カフェナンバー2は

合羽橋珈琲 と iriyaplus cafe ですが、どちらも古民家再生リノベーションの建物で、これが落ち着くから人気なんじゃないかと思うのですが。

新築を建てる施主は、きれいでピカピカがいいのでしょうか。

森に生えている毒キノコ?里山に落ちている空のペットボトル?なんて言い過ぎかなあ。

 

見た目にも、もう少しいい感じの町にしたいものだと、思うのです。

 

 


同潤会上野下アパート 取り壊し

2012-07-20 10:25:06 | 日本文化

上野の駅近く、突然異次元に迷い込んだかのようなスポット「同潤会上野下アパート」 とうとう、取り壊しが決まったようです。

今は「表参道ヒルズ」となってしまった、「原宿同潤会アパート」。見る影もありません。

上野下アパートは、上野の裏手、という「取り残された感」いっぱいの場所に、されに「時間が逆転した?」かのような建ち方をしています。

広い通り(清洲橋通り)をちょっと入ると、そこは異空間。

 

 

 

 

取り壊しの後は、マンションが建つようです。

上野周辺も、古い建物が、すごい勢いでマンションに建てかえらています。

ぼろぼろのアパート、昔ながらの「蔵」まだありますが・・・消滅も時間の問題なんでしょうね。

なんとかリノベーションの再利用でもいいので、残ってくれた方が、町の景色は魅力的なのに、と私は思います。

この歴史的アパートは「都市徘徊blog」でも紹介されています。 http://blog.goo.ne.jp/asabata/e/e65ca7b78cd1598a08df4cad336052a7

 

◆朝日新聞デジタル 7月1日配信記事より

 

最後の「同潤会アパート」、解体へ 東京・上野下 関東大震災の復興時に東京や横浜で建てられた同潤会アパートで唯一現存する「上野下(した)アパート」(東京都台東区)が、来年にも解体されることになった。 1929年完成、2棟計76戸の鉄筋コンクリート4階建て。約20人の居住者がいるが、権利者間で今年4月末に解体の合意に至った。14階建てマン…

 

強者どもが夢のあと・・・そんなところです。


『スマイルは0円』 は限界だ

2012-07-20 09:25:25 | 日本文化
最近気になっていることがある。

お店で買い物をすると、包装やショッピングバッグ(紙袋)に入れてくれるときに、セロテープを使う。
小洒落たお店なんかだと模様入りマスキングテープなんかで、ステキに貼ってくれる。

そのテープをベッタリと貼らずに先端をちょっと折り曲げて、はがすときの手掛かりを作ってくれる貼り方、をするところが、最近すごく増えた。
それって、いつからだろう?
少し前には、ベッタリと貼られたテープをはがすのにまずヒト苦労、包装紙を破きたくない主義の私はいつもイライラしていた。
かなり前、女性向けの雑誌なんかで、啓蒙?ビジネスマナー?のコラムなんかで、
「剥がすときの人のことを考えて、心配りしてテープが貼れる女性ってなんてステキ(もしくは仕事が出来る)」
ような記事を読んだ記憶がある。
その時は「ふーん、心配りって大事なのね」と思ったのだが、
今やそれは「気の利いた心配り」というより、接客業のマニュアルに近くなったのかもしれない。

そんなにオシャレでもなく、安いものを買って、こんな風に剥がし安く先を折り曲げたテープを貼ってもらうと
なんだかとっても申し訳ない気持ちになる。このお店に、この買い物に、この人に、そんなサービスをしてもらうのは
普通なことと受け取っていいのだろうか?それとも、このお店この人はステキだな、と感謝するべきなんだろうか。

家に帰って、幾重にも丁寧に包まれた綺麗な紙の包装紙を開けて、悩んだ挙句、結局その素敵な包装紙や紐をゴミ箱に捨てるときに感じる罪悪感に似ている。

…サービスが過剰。
今の日本のサービスは、病気の域に入ってる、という気がする。

美しい過剰包装、いらっしゃいませ、こんにちは+笑顔、割り箸、水、
そして行きついた「心遣い」というサービス。

とはいえ、数年前までは私自身「なんだこのサービスは、プロの仕事か?」と怒ってばかりいた。
接客の言葉遣いとか、たらいまわしの対応とか、品切れを把握していないとか、コールセンターに電話して待たされた時間が長すぎるとか…様々に

段々、そうかな?と思えてきた。
このサービスに従事している人は、一体いくらくらいのお給料なんだろう。
私の要求する「プロの仕事」をすることに見合ったお給料をもらっているのだろうか?イヤ、絶対に貰っていない。
それなのに、客のサービスへの要求はどんどん高くなり、雇い主は他社との競争に勝つための最終手段として「良いサービス」を投入しようとする、もう価格競争では疲れきっているから。
現場の一番声の小さい働き手は、対価に見合わない「心遣い」のサービスを、(無償の労働サービスとして)提供せざるを得なくなって、どんどん追いつめられる。

「気の利いた」「心遣い」は魔物だ。日本人なら誰でも持っているはずの美徳メンタリティーとして、社会的に認知されているものだ。出来なければ「日本人のくせに」「気が利かない」「無粋だ」と揶揄され、人間性にマイナスポイントをつけられる。
そうなったら、もうそれは人格問題だ。

そんなエスカレートが、もう行きつくところまで行きついて、サービスの現場の人がどんどん過労死したりしているのだと思う。


結論

もっと大らかに、ルーズになる努力をしよう。自分に対しても相手に対しても。日本社会全体が。

もしくは、日本人が得意とする「心遣い」を要求し、また提供する側もそれを武器にするなら、それ相応の対価を払おう。
日本人のメンタリティーや伝統としての「心遣い」は、それが出来る「余裕」があってこそ。
それが得意ならば、その対価を堂々と要求したい、世界に対して。

私個人的にはバランス主義なので、もう少し社会全体がルーズでいい加減を許容するようになり、いいサービスにはちゃんとした対価が支払われる社会、が好きだ。

電車やバスは、もうちょっと遅れても文句を言わないし、「いらっしゃいませ」に「こんにちは」と笑顔はついていなくてもかまわないし、テープはベッタリ貼ってもらって結構だと思う。

サービスへの過剰な要求と、社会全体の疲弊具合は比例しているのかもしれない。
時給850円の仕事に対して、1200円の見返りを求めることは、もう止めたいと思う、私自身も労働者の一人として。




夏越の祓いに茅の輪をくぐっていろいろ払い落したい…

2012-07-01 09:15:26 | 日本文化
今年も6月の晦日を迎えました。
夏越の祓い、茅野輪をくぐりに
毎年初もうでをしている近所の神社(小さいけれど古い神社のようです)矢先稲荷神社にを訪ねました。
思いのほかひっそり。
夕方5時から、払いの儀式があるようなので、その時間は人が来ているのでしょうか。

昨年も夏越の祓いに行きました。
去年は小野照先神社、こちらは富士塚があり(けっこう大きい)夏越の祓いに合わせて「山開き」が行われていました。
山開きの日だけ、富士塚登山が出来るのです。
それも一興でしたが、

今年は、ひっそりお参りしたかったので、よりこじんまりした矢先稲荷へ。





矢先稲荷神社

「寛永19(1642)年11月23日、時の三代将軍徳川家光公が国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立。
京都の三十三間堂にならって建立されたこの堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先にあたっていたので「矢先稲荷」と名づけられました。
ご祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと) を祀りります。ご神体は上野東叡山寛永寺の祖慈眼(じげん)大師(天海大僧正)によって寄進され、「御府内寺社備考」によると「木造で翁の型をして稲を荷い、7寸8分、弘法大師作」となっています。

創建以来、創業、学業、人徳の成就と武運長久の神徳に、武士、町人を問わずに尊信を篤くしました。
ところが約60年後の元禄11(1698)年9月6日、浅草を中心として大火で焼失してしまい、三十三間堂の方は深川に移転を命ぜられてしまいましたが、その鎮守である当社は信仰心の篤い町民の要望で当地の産土神として再建が許されました。
その後も関東大震災、東京大空襲などで幾多の困難に遭いましたが、いずれも難をくぐりぬけて現在に至っています。」
(浅草名所七福神 から抜粋)


昨年の夏越の祓いから、一年、世の中も私個人も周りでは様々なことが起こり過ぎて
いささか疲れました。
毎日毎日、現在進行形で増大している不安をニュースで煽っていますから、世の中のけっこう多くの人が疲れているのではないかと思います。

矢先稲荷神社は、ひっそりしていて、心落ち着きました。
梅雨の晴れ間、妙に暑くて夏がそこに居ることを感じることが出来ました。

茅の輪をくぐると、嫌な気分がスッキリ取り払われて、ひょっこり爽やかな夏が目の前に現れそうな気がしましたが
そうそう簡単なものでもないです。
ただ、茅の輪を三回行ったり来たりくぐっていると、なんだかそれは黄泉の国に向かる地下世界へ繋がっているような気がしました。

夏越の祓いには、「水無月」を食べないと。
そう思って、神社の周りの和菓子屋さんへ行っても、ない。
そうか…水無月を食べるのは、宮中の習わし。京都の風習だったのでした。
京都に住んでいた時、6月晦日に、仕事中に、同僚の女性が「今日はみんなで食べようと思って」といって水無月を買ってきてくれたことを思い出しました。京都人には当たり前の習慣だったのですね。

ここはお江戸の下町でした。水無月、下町の古い和菓子屋さんにはなかったのです。

裁判員制度は、木嶋裁判でひとつのハードルを越えたのか

2012-04-17 20:24:32 | 日本文化
注目の裁判の一審で判決が出ました。
東京・千葉・埼玉での殺人事件、木嶋佳苗被告者の裁判です。

私も個人的に、判決の行方に興味を持っていました。
死刑判決が出るかどうか、という点です。
結果的に死刑の判決が出たことに、私は違和感を持ちました。

この事件は発覚時から、センセーショナルに報道されてきましたし、
次々と暴かれる木嶋被告の私生活も好奇の目にさらされました。

この裁判が注目されたのは
その犯罪と被告個人への好奇心からだけではなく

裁判員裁判で死刑が求刑されることが確実視されていたこと
3つの殺人事件とその背景を解き明かす為に、100日という裁判員裁判としては異例に長い期間が設定されたこと
直接的物証が挙げられていないにもかかわらず、死刑かどうかの判断が裁判員に問われること
被告は3つの殺人容疑について、無罪を主張していること

様々な異例が揃った裁判だったからでした。

結局、第一審のさいたま地裁の判決は死刑、となりました。
木嶋被告は控訴しています。

私の、この裁判での死刑判決への違和感は
よく問題視されている一般市民から選ばれる裁判員が死刑を言い渡すことは重すぎる、ということではありません。

裁判員が死刑判決も言い渡す重圧は、今の日本社会に必要な責任分担ではないかと考えます。
法治国家として裁判で犯罪を裁くことで、犯罪を抑止している仕組みを持つ社会に暮らす以上
同じ人間同士で、裁く側裁かれる側になることは避けらないことです。
誰かが裁かなければならないのであれば、その誰かが自分かもしれない、という責任感と緊張感は誰もが持つべきだと思っています。

日本はこれだけ凶悪な犯罪が増えているのですから、誰かが取り締まってくれるはず、
誰かが社会を、自分を守ってくれるはず、という
なんとなくぼんやりとイメージする「お上」のような権力や権威をもった誰か?を想定する
今やもうそんなのんきな社会ではなくなっていると思います。

私が感じた違和感というのは…
直接的な物証がないにもかかわらず、市民が有罪と判断したことです。
裁判という正式な手続きと、法律に乗っ取った検証がされていたことには違いないのですが
どこか、魔女裁判のような、見えない社会からの空気の圧力のようなものに流されて出た判決のように感じたからです。

この判決は、本当に提出された証拠や証言だけに基づいて、導き出されただろうか?
裁判で争われた証拠は、裁判員が判断の材料とするものとして十分に積み上げられたものだったのだろうか?
疑わしきは被告人に利益に、と教科書で習った裁判の大原則は守られたのだろうか?
いかにも現代社会の歪みを顕わにしたようなこの事件の背景から導かれた犯罪、この種の犯罪を社会は許すまじ、
というとうに失われてしまった道徳規範をより強固に思い出させるための旗印の役目を負わされてはいないだろうか?

そんな疑問がぬぐえないのは、やはり裁判員裁判であったから、だと思うのです。

私も、木嶋被告が裁判で自ら語った生きざまや価値には憎悪を抱きました。
でもそのような感情は、法廷の外で繰り広げられていた下世話な報道や、木嶋被告の姿などから喚起されてることは否めません。

木嶋被告に嫌悪感を感じる、健全な市民である私。
健全な市民である、裁判員の出した、日本の善意のような判決。
もし私が裁判員であっても、この判決を選んだだろうか?この判決を選ぶ道しか用意されていなかったのではないか?

たまたま裁く側に立たされた裁判員の間で、真摯に知的で論理的な議論が交わされて
その結果の致しかたない死刑であり、その結果を出すことに善良な市民が傷ついている、という構図に

どことなく、作られた物語のような分かりやすさを感じます。

抽せんで選ばれることが大原則の裁判員というものは、善良で、知的で、人を裁くことに真剣に向き合う人ばかりなのだろうか?
そんなに、現実の日本社会は健全なのでしょうか?

この裁判に臨んだ裁判員の方々には全く悪感情は持っていません。

ですが、結果を見ると、巧妙に仕組まれた構図が見えるような、誰かが書いた設計図通りに導かれた結果のような
薄気味悪さがじわじわと湧きあがるのをを禁じ得ません。
そんな気味悪さは、どこまで行ってもグレーでしかないことがどこで黒と線引きされたのか、その過程が隠されているからだと思うのです。
市民が判断するという新しい裁判は、そこを暗黙の了解にできない仕組みになりました。
それは社会全体としての市民の成熟度を求められてると思うのですが、今回はその答えが出ていないと感じます。

木嶋被告は控訴したので、控訴審が開かれます。
その際には、捜査で得られた状況証拠のみをどのように判断することで、殺人の立証となり得たのか。
殺人しかあり得ないという判断の論拠は、殺人とは別の被告の素行悪行から類推することによって正解を導き出しているのか。
第一審ではブラックボックスになっている部分を、明快に説明してほしいと思います。

裁判は人が人を裁いているのですから、見えざる手によって操作されているかもしれないという
気味悪さを持っていてはいけないと思います。

できれば、その作業は一般市民である裁判員にしてほしかった、少し残念に思います。



アマチュア・オケを聴く…アマチュアの意味って。

2012-03-17 18:22:18 | 日本文化
※写真はベルリンフィルデジタルコンサートホール サイトから借用しました。
3.11の早稲田大学交響楽団の演奏の写真

先日3月11日に、早稲田大学交響楽団のベルリンフィルハーモニーでのライブ演奏を、
ベルリンフィルのデジタルサイトから生中継で聴きました。

早稲田大学交響楽団は、2012年ヨーロッパツアーの最中で、この日程でのベルリン公演もデジタルライブ配信も、恐らく
数年前から、東日本大震災前から決まっていたことと思われます。
偶然にも、大震災の一年後だったため、追悼公演と冠されました。

顔も知らない後輩たちですが、ベルリンフィルとの関係、ヨーロッパツアー、選曲されているプログラムなど
私が所属していた時代から、さらに遡って数十年からの脈々と続く伝統を見せつけられたことに半ば恐ろしい感じすら持ちつつ
今大学生の彼らは、どんな演奏をするのかな?と緊張しながら配信を観ました。

若者らしく溌剌として好感が持てたし、このコンサートに向けて練り込んで臨んだな…と感じ
何より、彼らの演奏が自信に充ち溢れていたことに、ちょっと感動しました。
演奏後の会場のスタンディングオ―ベーションと、それに向かい合う団員達の顔は希望に満ちていたように感じました。

大学生の部活としてのオーケストラ活動は、いろいろなことが大変です。
音楽大学ではないので、全員の楽器の技量が高いわけでは決してありません。
まあ毎年素晴らしく技量の高い学生たちは一定数いるのですが(なぜ音大に行かない?みたいな)、その逆で、大学に入ってから楽器に触る初心者も少なくありません。

学生の部活ですから、4年間しか存在できず、また先輩後輩という縛りもちゃんとあります。

本業は自分の学部の学業なので、授業や研究などの学業と、部活とのバランスのとり方もそれぞれ違います。
音楽に対する温度差も違います。
学生の部活にしては、高額な費用がかかります。団員にも苦学生も多いのです。学費と同じくらいかかる費用をアルバイトで捻出しなければなりません、一方費用は親が工面してくれる裕福な家庭の学生もいます。
みんないろいろな自分自身の思いを犠牲にしたり反発したり、世の中の不公平に傷ついたり、若者らしく苦悩したりしています。

そんないろいろ面倒なことを乗り越えて、なんとかこのステージにたどり付いていることを
楽団員だったら、思い出すのもちょっと苦々しいほど、わかっています。

だから、ソロパートをやり遂げた奏者や演奏後の晴れがましい表情をみて、

ああよかった、この経験をして、これから胸を張って社会に出て、泥水をかぶりながらも
この斜陽の日本を担っていってくれ。がんばれ、君たちなら出来るよ、と思わずに居られませんでした。
日本をこんな風にしてしまった、なんとも情けない、先輩からのはなむけですが。


今日、3月17日 この早稲田大学交響楽団時代の同期の友達に招待してもらって
ソニーフィルハーモニック オーケストラ の演奏会を聴きました。
ソニーの社員で構成されているアマチュアオケです。

同期の友人と、1年後輩がコンサートマスターとして出演していました。

堂々とした立派な演奏でした。
帰り道に、ブラームスの交響曲1番の4楽章のメロディーを鼻歌で歌いたくなるくらい、楽しい気持ちになりました。
早稲田大学交響楽団の演奏との印象の違い…大人の音だな、というところでしょうか。

会社員のオケですから、これまたいろいろ大変だろう、と想像できます。
何といっても会社員は、まず仕事をしなければならないし、ソニーという会社なら仕事はそれなりにハードでしょうし、
アマチュアオケとして会社内にあるということは、そんなにお気楽に楽器を練習しているとはちょっと思えないからです。
会社員として、家庭人として、様々な事情や思いを持ち寄っての活動だろうと思うと、ちょっと溜息が出ました。

早稲田大学交響楽団で、いろいろ悩みつつ弾いていた仲間が、いま会社のオケでやっぱり弾いている。
こんな日本を職業人として歯を食いしばって何とか支えつつ、やっぱり今でも楽器を弾くんだな。

会社員として忙しい時間を割いてでも楽器を弾いてオケのハーモニーを作る活動が、きっと仕事にもフィードバックされるんだろうな、と想像します。

やっぱり人間は、社会に対して多面的につながりを持たなければいけないんでしょう。
仕事オンリー、家庭オンリー、ではやっぱり足りない。

今や、アマチュア・オーケストラは物凄くたくさんあります。
多くの音大以外の大学にオーケストラがありますし、(早稲田は大きなオケが2つもあります…)
社会人オケ、オーケストラほどの大きな団体ではなくアンサンブルや室内楽として活動しているアマチュアは本当に多い。
よくもこんなにたくさんの人が、楽器に親しんでいるものだ、とちょっと不思議に思うほどです。
私の子供のころ、ヴァイオリンを習っている、というとちょっと奇異な目でみられた気がしたのですが(小中高通じて学校でヴァイオリンを習っている子を知りません)
まあ、実はこんなにいたのか…それも、こんなに音楽に対する情熱と技術の高い人がたくさん。

でも、やっぱりアマチュアは、アマチュアなのです。
たまには、アマチュアからプロに転向した人もいましたが稀です。
アマチュアは、自分の限界を知っています、そしてプロの世界が遥か遠くであることも、プロの人たちはどれだけ演奏に命と生活をかけているのかも。そしてアマチュアの自分はそんなことは出来ないことも。

だから、アマチュアは存在するべきなのだと思います。
技術的に高度高品質な音楽に接するためなら、プロの演奏の方がいいに決まっています。
遥かな高い世界があることを知りつつも、自分の出来る範囲で頑張る自己満足の世界かもしれません。
自分の技術や知識がアマチュアだからこそ、プロの才能や努力の凄さがわかるのです。
そして、自分自身も、音楽ではアマチュアかもしれないが、プロだと胸を張れる分野があることを
再認識している、自分自身をなんらかのプロであれ!と鼓舞しているの姿なのだと思います。

プロフェッショナルには心から敬意を表したい。
その技術や品質を保ち、向上させる果てしない努力に。
その分野で誰かを必ず唸らせたり、感動させたり、幸せにすることに。

そんなプロフェッショナルへの思い心に秘めつつ、自分自身と向き合うアマチュアの熱意に賞賛を送ります。

プロフェッショナルとアマチュアについての連投です。
最近は、プロってなんだ?アマチュアってなんでこんなに跋扈してるんだ?という思いがしばしば湧くのです。







今年だから、家族の絆を温めるんじゃなくて、むしろ見知らぬ人と繋がりたい。

2011-12-29 18:47:01 | 日本文化
今年の仕事も終えて、年末恒例の大掃除をしています。

台所の油汚れを、ゴシゴシ拭き、居間の家具や床拭き、溜めこんだ書類の整理、窓ふき…
とひたすら手と体を動かしますが、
あまり考える作業でもないので、考え事をするのにとてもいいのです。

今この時期に考えること、といえば

今年一年を振り返ること。

いろいろな事を思い出しましたが
今年一番大きな出来事は、やはり私にとっても多くの人と同じように
東日本大震災でした。

地震当日の混乱のこと
テレビやネットで何回も見て、その度に心潰れる思いのする、津波が押し寄せる様子
原発が爆発したこと
首都圏からも水やモノが無くなったこと

震災のこと、と一言で括りきれない、様々な困難が次々と起きて
そのたびに動揺し右往左往し、腹をくくろうとおう心境にたどりつきました。

でも、東京に住む私自身は、直接の大きな被害があったわけでもなく
徐々に普段の生活に戻り
震災の恐怖は、遠い東北での出来事、になっていくのです。

そんなふうに、この大震災への心の距離が段々とフェードアウトしていくことに
違和感を感じるのです。
だって、被災した人たちはまだまだ困難な生活の真っただ中にいて、亡くなった家族への思いも整理できずに
悲しみの中で今日も生きているのです。

何よりの違和感は
震災の被災地が、今回は東北で東京ではないことが単に神のみぞ知る偶然だということで
私自身が何もかも失う被災者ではない、ということが単なるたまたまで、
たまたま被害のなかったワタシ、たまたま被災者になった東北の人
その「たまたま」に対する不条理だという思いです。
その思いは、たまたま被害のなかった私ではなく、被災した人のほうがもっと強く思っているだろうということ。

だから私はこの震災を他人事のように忘れて行ってはいけないのだと思うのです。

被災した人の悲しみと苦難を忘れないために、
同じ被災国に生きる同邦人として出来ること何か、ずっと考えてきました。
何年も忘れずに、自分の身に起こったこととして感じて行けることを、行動としてしていきたい
と思います。

何か、行動として長い時間継続できることをしたいと思いますが

もうひとつ、手段が見つかりました。

寄付という、ある意味安直な手段ではありますが

岩手県の「いわて学びの希望基金」への寄付を10年続けようと思いました。
http://www.pref.iwate.jp/view.rbz?cd=33420


私が、両親に一番感謝していること
それは、大して勉強をしていたわけでもないのに、高校、大学へと進学させてくれたことです。
おまけに大学は、高校生の時あまりに勉強をしなかったので、一年浪人までさせてもらっています。

特に大学では、それまでの人生では想像がつかないほど深い知の世界が存在していること
知の世界への扉はすべての人に開かれていて、自分自身が叩けばいつでも誰でも踏み入れることが出来るということ
そして
その世界がとてもワクワクする楽しい世界だということを
教えてくれたところなのです。

自分の知らない世界がたくさん存在していて、どの世界も恐ろしく奥の深い迷宮だということ
そのことを垣間見たことが、私の人生をとても面白くしてくれたと思っています。

なので、進学をさせてくれた両親に本当に感謝しています。

おまけに私の母校は、個性的な人が平然と存在する雑多なところだったので
高校までは自分がちょっと変わった性格と嗜好の高校生だったことに居心地の悪さを感じていたので
この雑多なところに放りこまれたことで、やっと自分の居場所を見つけたように思いました。

この大震災で、心ならずも進学を断念せざるを得ない多くの子供たちがいることを残念に思います。
私の出来る寄付はとても微力で、どれだけの役に立てるのか?とは思いますが
学びたい、進学したい、と望んでいる子供の希望をかなえるお手伝いをしたい
と思います。

そんな形で、自らの意思で子供を持たなかった私の、社会的責任を、ちょっとだけ
果たせれば…と思います。

pending(考え中)

2011-10-28 11:01:17 | 日本文化
毎日、いろいろなことを、pendingにして生きています。

東日本大震災から、福島第一原発の事故。もう忘れられつつある感もありますが、現在進行中でまだ終息していない大事故です。

このことをきっかけに、原子力発電は必要か不要か、世の中でも盛んに議論されていますが
私自身の態度をどう取るべきか、考えています、が、未だ結論は出ません。

TPPへの参加も、切羽詰まった問題ですが、農業のこと、日本の外貨獲得の手段であり主力産業の製造業工業のこと、世界情勢のこと、いろいろな視点から見ると玉虫色にみえて、やっぱり結論が出ません。

私の仕事である伝統的工芸品のことも、産業として、経済として、従事する人の生活の糧として、今後はどうあるべきなのか、どう発展、保存、していくべきなのか、やはり難しいです。

プライベートな問題も、自分自身のこと、仕事のこと、両親のこと、様々なことに問題があって
でもそう簡単に決断も結論も出せずにいます。


もう、あれもこれも、たくさんのことを棚上げしたまま、毎日が過ぎて行きます。

でも、それでもいい、それでいいと思っています。

少し前までは、pendingは、悪いことだと思っていました。
すぐに決断できること、自分の結論や態度をいつも明確にしておくべきだと思っていました。

…ビジネス本の影響を受け過ぎだったかもしれません。ビジネスの場では確かにpendingはよくない結果を産むことが多いと思います。
忙しい仕事の中では、決断して前に進まなければならない場面にいつも遭遇し、
結論を早く、決断は今スグに、というビジネス思考が知らず知らずに身に付いていたのだと思います。

でも、人生の大きな流れのなかで、そんなに急ぐ必要があるのだろうか。
結論を出すことが、そんなに重要だろうか。

そんな疑問が湧いてきました。

原発の問題も、TPPの問題も、いろいろな社会問題は社会全体の流れに乗って
いつまでも保留にしておくわけにはいかないかもしれません。
のんびりしていると、世界から置いて行かれるかも知れません。

でも、思考を休んでいるわけではないのです。
毎日人生の経験値を積み重ねながら、考えていることが重要なのだと思います。
経験値が増えれば、その都度出せる結論は変化してくるでしょうから
だから、結論が出ないのです。
決断を迫られれば、今出せる結論でするしかありません。

でも、今出せる結論を、人生の結論とする必要はなく
毎日違った結論を出していてもいいと思うのです。
それでも毎日、考え続けることが、一番大事なのではないかと。

結論が出ないから、考えることを止めてしまっては駄目です。
考え続けているから、pendingなのであって、止めてしまっては思考停止、死んだも同じです。

だから、いろいろなことに対してpendingだと胸を張って言いたいと思います。
今現在の結論ならある、でも明日は変わるかもしれない。だからpending。

人生は長いし、人は日々変わっていくものだし、それは前進、更新でありたいと思います。