ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

築地は魚河岸と新聞と病院の町?

2012-01-15 13:21:11 | Weblog
思いもよらなかった病院通いというご縁で、築地という土地に日参しています。
いままでほとんど訪れたことのなかった土地ですが、なにしろ築地市場とう日本最大の魚河岸があり
大きな会社もたくさんあり、とても活気のある町なので、面白いと思うようになりました。

ちょっと散策してみたり、町の歴史を調べてみたり
築地に親しんでみようかと思い立ちました。

築地はお寺の町でもあります。
築地本願寺が、でーんとそびえ立ち、その関連のお寺がたくさんあります。
築地本願寺は正式には「浄土真宗本願寺派本願寺築地別院」です。
浄土真宗本願寺派 は京都にある西本願寺が本山です。

現在は、モダンなインド様式の建築物で、京都の西本願寺のお寺とはまた違った趣き、どことなくコミュニティースペースのようなオープンなイメージがします。
さまざまなイベントや有名人のお葬式も多く開催されているのでそんなこともイメージの理由かもしませんが。

築地本願寺に、新年初もうでをしていました。
本堂が修繕中なのが残念ですが、広い本堂にお線香の煙がたなびいて、信者の方が次々に拝んでいました。






築地と言えば、「築地市場」を思いうかべる方と「築地本願寺」を思いうかべる方が多いんじゃないかと思います。

私は個人的に、築地と言えば「電通」を思い出すのは
学生時代に、広告のアートディレクターのような職業に憧れていたせいです。
今では世界最大の広告代理店「大」電通は、築地を去ってしまったのですが
大新聞社の巨大なビルが2件、軒を連ねています。

芥川賞・直木賞の選考会場として有名な料亭「新喜楽」もたたずんでいますし
メディアの町、というのも築地のもうひとつの顔じゃないかと思います。

さて、築地と言えば魚河岸「築地市場」ですが
ここに魚河岸が出来たのは、大正12年 関東大震災の後、日本橋の北側にあった江戸の台所の魚河岸も焼け落ちてしまい
築地の地に移転してきました。

それまでの築地という町は
黒船来航によって開国を余儀なくされたあと、外国人居留区として開かれたのですが、その前は
荒れ果てた武家屋敷跡が放置された状態の、荒れた土地だったようです。

外国人居留区として、洋館や教会や西洋のホテルが立ち並ぶようになり、一気に文明開化最先端の街になって行きました。
築地と言えば、知る人ぞ知る有名病院「聖路加国際病院」もそのような歴史のもと、この地に出来ました。
聖路加国際病院は、キリスト教聖公会が母体となり設立されたという歴史の病院で、病院内に礼拝堂があることでも有名です。大規模病院で、全室個室、東京都災害拠点病院、エイズ治療拠点病院、地域がん治療拠点病院…と、まあ東京というか日本有数の総合病院ですね。


一方、海岸近くは埋め立てられて、浅野家の武家屋敷がりましたがその後、大砲を幕府に納めていた井上氏と鉄砲方として幕府に仕えていた稲富氏が、大砲や鉄砲の試射場として埋立地を使用していたことからこの一帯は「鉄砲州」と呼ばれてきました。その後日本海軍の拠点となっていきます。
その海軍施設の跡に、築地市場が出来たというわけです。
私が通う病院は、築地市場の隣にあり、上層階からは築地市の全貌が見渡せますが、とても広い施設ですね。
でももうここでは手狭だということで、豊洲移転が検討されて揉めている真っ最中です。

築地という地名の土地に、様々な顔があり、歴史があり、どれも個性的な面白い町です。
海があり、皇居や東京の中心部に近く、歴史的にも海運や商業の中心的な地理です。

まだまだ築地とのお付き合いは長そうなので、少しずつ深く探ってみたいと思います。

「幸せ」に潜む危険

2012-01-03 14:23:18 | 生活改善プロジェクト
昨年は、一年を通じて幸せを感じ続けた年でした。
年末に「今年は一年幸せだった」とコッソリ告白していました。
激動と困難な年だったのに、私個人は何に対して幸せだったのか?

きっと、自分を否定せず過ごせたからだろうと思います。

自分を取り巻く環境がいろいろに変化しても、変化する環境に喰らいついていこうという気持ちを持てたからだと思います。
喰らいつけたのは、自分は何をやってもダメだ、どうせ出来ない、出来ない自分は最低だ、と思わなかったからだと思います。

ただ、そういう自己肯定感というのは心の安定をもたらしてくれるという
素晴らしいものですが
安定に安住する心地よさ、を生んだりましますね。

自分はこれでいい、こんな自分でもいい
と思うことで、チャレンジも変化もしなくなることが危険だと思うのです。

自分はダメな奴だ、価値のない人間だ
と貶めるは、ただただ自分を追い詰め苦しめるだけで、何にもいいことはありません。

自分はこれでいいのだ、こんな情けない自分でもいいのだ
と自分を肯定していていいのは、進んでいるときです、走っているときです。
何かを手に入れて喜んでいるとき、疲れて休んでいるときに、自分をそれでいいと思っちゃ、ダメです。

去年を通して感じた幸福感に
ここに安住しようという気持ちはなかっただろうか?
常に前に進みながら、自分の方向を見据えて肯定していられただろうか?

もしかしたら、
私はこんなに困難な状況の中で、まあまあとりあえず生きているから、という後ろ向きな肯定感はなかっただろうか?

それは堕落です、甘えです。
今スグ、そのヌクヌクしたベッドの中から出てきなさい。
そこに居直っては駄目だ。

と自分を振り返りました。

人生の中で久しぶりに感じた「幸せ」な毎日、の感じ。
しっかり足場を固めて、次に出発するための、足場固めの幸福感でなければなりません。

生活が100%幸福であっては、人間、駄目です。
幸せが半分、渇望や不満ややるせなさが半分。
それが人生の黄金配分だと思います。

そう思い至ったので
今まで目を逸らしてきた苦手なことに取り組むことにしました。
新しいことにチャレンジすることは語学、
そして、本当にやるべきだと思うことの継続、です。

語学はとりあえず必要な情報を苦手意識なく得られるレベルにみにつけるべきだと思いました。
情報を入手する時に、英語が苦手だという意識が障害だと思うようになりました。

継続は、前々からの課題ですが、継続が苦手なのは自分の性質だと思って目を反らしてきました。

今年は「幸せ」に留まらずに生きます。
自分のダメなところを、あえてほじくってみようと思います。

「幸せだ」というセリフは、穏やかな眼ではなく
獲物を追う鷹ような研ぎ澄まされた眼をして言いたいと思います。