世の中にたえて桜のなかりせば
春の景色はのどけからまし
―在原業平
世の中に、桜の花というものが全くなかったなら、春に桜は今か今かと待ち望むこともなく
心安らかに春を迎えられるであろうに…(私の意訳です)
平安時代、いえそれ以前から、日本の人は、春の桜を楽しみにしていました。
桜は日本人にとって、特別な花なのです。
私も、やはり満開の桜を見るとその美しさに心震える思いをします。
こんな大災害に見舞われた日本列島にも、桜前線はいつもの年と同じように
北上しています。
今は関東が開花し、もう少ししたら、東北にも桜が咲くでしょう。
自然は、人間社会がどうあろうと、そんなこととは関係なく淡々と自分の命を引き継いでいくのです。
だからこそ、人間は自然を求めるのではないかと思います。
そうして、お花見シーズンが関東にもやってきました。
私は元々アウトドアの宴会が好きではありませんので、
夜、自家発電機を持ち込んで、大勢で(本当は寒さに震えつつ)桜の下で酒を呑み、
歌い騒ぐのが
どうなのかなあ~といつも思っていました。
桜なんか見ちゃいないだろう?と冷ややかに見ていました。
そんな私の毎年のお花見は、昼間の公園や霊園の桜の木の下で、手作りのお弁当を広げて
缶ビールと日本酒を少しのんでほろ酔いで桜の木を眺める
という、地味で少しさびし気なお花見でした。
でも、満開の桜の下で、お弁当を広げる心楽しさを、毎年楽しみにしています。
考えてみれば、夜桜の下の大宴会の人も、毎年それを楽しみにしているという点では
同じですね。
お花見は、年中行事です。
一種の祭りみたいなものです。
今年は、悲惨な大災害が起こったばかり、原発もどうなるかわからない不安の中にいます。
これから、日本は本当に大変な苦難の道のりが待っているのでしょう。
被災された方は、飢えや寒さや、トイレさえ我慢するという究極の状況にいます。
でも、桜は咲くんです。
桜を見て楽しい気持ちになることは、マイナスでも悪でもないはず。
今年の桜は、被災された方、福島で奮闘している原発の方を思いながら、
これからどうやって復興しようか?という話をしながら、前向きに楽しく酒を呑みたいなと思います。
春の景色はのどけからまし
―在原業平
世の中に、桜の花というものが全くなかったなら、春に桜は今か今かと待ち望むこともなく
心安らかに春を迎えられるであろうに…(私の意訳です)
平安時代、いえそれ以前から、日本の人は、春の桜を楽しみにしていました。
桜は日本人にとって、特別な花なのです。
私も、やはり満開の桜を見るとその美しさに心震える思いをします。
こんな大災害に見舞われた日本列島にも、桜前線はいつもの年と同じように
北上しています。
今は関東が開花し、もう少ししたら、東北にも桜が咲くでしょう。
自然は、人間社会がどうあろうと、そんなこととは関係なく淡々と自分の命を引き継いでいくのです。
だからこそ、人間は自然を求めるのではないかと思います。
そうして、お花見シーズンが関東にもやってきました。
私は元々アウトドアの宴会が好きではありませんので、
夜、自家発電機を持ち込んで、大勢で(本当は寒さに震えつつ)桜の下で酒を呑み、
歌い騒ぐのが
どうなのかなあ~といつも思っていました。
桜なんか見ちゃいないだろう?と冷ややかに見ていました。
そんな私の毎年のお花見は、昼間の公園や霊園の桜の木の下で、手作りのお弁当を広げて
缶ビールと日本酒を少しのんでほろ酔いで桜の木を眺める
という、地味で少しさびし気なお花見でした。
でも、満開の桜の下で、お弁当を広げる心楽しさを、毎年楽しみにしています。
考えてみれば、夜桜の下の大宴会の人も、毎年それを楽しみにしているという点では
同じですね。
お花見は、年中行事です。
一種の祭りみたいなものです。
今年は、悲惨な大災害が起こったばかり、原発もどうなるかわからない不安の中にいます。
これから、日本は本当に大変な苦難の道のりが待っているのでしょう。
被災された方は、飢えや寒さや、トイレさえ我慢するという究極の状況にいます。
でも、桜は咲くんです。
桜を見て楽しい気持ちになることは、マイナスでも悪でもないはず。
今年の桜は、被災された方、福島で奮闘している原発の方を思いながら、
これからどうやって復興しようか?という話をしながら、前向きに楽しく酒を呑みたいなと思います。