ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

珈琲時間

2007-11-29 13:04:10 | WORKS
朝起きると、まず珈琲を入れる。

コーヒー豆をゴリゴリとていねいに挽く。
やかんのお湯が沸くと、ぽたぽたと少しづつ挽いた豆にお湯を落とす。
ゆっくり、ゆっくり。
少しづつ、時間をかけて。
美味しい珈琲が出ますように。
そう念じながら、珈琲をたてる。

ゆっくり、ゆっくり。
そんな朝の時間だ。

ゆっくり珈琲を入れられるようになったのは、4年前からだろうか。

4年前までは、彼が起きてくるのにあわせてお茶を入れていた。
朝起きるとまずお茶、という人だった。
私は、彼が起きるまでのわずかな時間で、
慌てて自分ひとり分の珈琲を入れて飲んでいた。
豆を挽くのは電動ミルで、ガーっと3秒くらいだ。
お湯は、ザアーっと一気に注いだ。
そんな焦った珈琲は、やはりがさつな味だった。
それでも、朝の珈琲を飲まずに居られなかった。
珈琲の淡い香りを嗅いで、今日もあわただしい一日が始まるのだ、と気合いを入れた。

考えれば、私の朝の珈琲は
高校生のときから始まったのだった。
ある日、父といっしょに珈琲サイフォンと手回しの珈琲ミルを買った。
サイフォンとミルをマンションの台所に置くと、
妙にクラッシックな空気が漂って、父と私は顔を見合わせてにっこりした。
それからというもの、
週末の朝は、必ず父がゴリゴリとコーヒー豆を挽き
アルコールランプに火をともして、珈琲を入れた。
サイフォンは、休日の朝の時間に、ポコポコとのんびりした音を響かせた。

高校を出ると、行きつけの喫茶店が出来た。
あめ色のカウンターが一つ。
白いひげのマスターが、無言で珈琲を入れていた。
そこでは、粟茶色に使い込んだネルでドリップしていた。
狭いお店の片隅に、大きな焙煎機があって、
時々音を立てていい香りを漂わせていた。
私はいつも一番奥の隅に座り、マスターの手と、赤い鳥の形の砂糖壷を眺めて
長い時間黙って過ごしていた。心地いい沈黙の時間だった。

そんな時代から、長い時間が経った。
いまでは一人分の湯を沸かしたやかんの重さがが辛くなってきた。

今、ペーパードリップでゆっくりゆっくり入れる私の珈琲は
濃密で苦い味がする。
私はこの苦味が好きだ。
一人で過ごす部屋が珈琲の香りで満ちてくる。

彼が起きてくることはもうない。
朝のお茶もいつの間にか入れなくなった。
「今日は寒いな・・・」おはようのまえにそんな言葉を交わしていた
当たり前の毎日は、ふっと途切れたままだ。

もう急がなくていいのだ。

それにしても、どうして今までもっとゆっくり珈琲を入れてこなかったのか。
珈琲くらいゆっくり入れても10分と違わないのに。
無言の彼に空でおはようと言って、
あなたも飲む?
と声に出してみた。

「ああ、砂糖は一個ね」
無言の声が聞こえた。
たまには朝から珈琲もいいでしょ?
立ちのぼる湯気にむかってそう答えた。
湯気はするすると天に向かって、珈琲を運んで行った。

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夫はちゃんと毎日「お茶」と言って起きてきます。
私があと20年生きたなら、朝の風景はこんな風だろう
そう思って書いてみました。

今年ももう酉の市の季節

2007-11-25 16:18:03 | 日本文化
浅草は、何かと行事が多いところです。
昔からの庶民の町だからでしょうか。
テレビもネットもない昔は、
いろいろなイベントで盛り上がって楽しんだんでしょうね。

ここ数日、急に身にしみる寒さがやってきました。
今日は、鷲神社の酉の市。二の酉。

米俵や金貨や鶴松、松竹梅、おかめ・・・
縁起物を満載した熊手を売る市です。

夕方から出かけました。
家から言問い通りを歩いて、国際通りを北千住方面に上がっていくと
徒歩10分ぐらいで着くのですが
・・・大混雑。まるでいつもの通勤山手線状態。

一時間以上、立ち往生、のろのろ牛歩です。
警察官が、街頭車に立ちスピーカーでタクシーは止まらないで、
とか、車道に出ないで、とか、叫んでいます。

気温は寒かったのですが、あまりのギュウギュウ詰めで、あたたかい。
それにしても、日本人は大人しいと言うか、我慢強いと言うか、
こんな寒空に牛歩1時間でも、誰も文句は言いません。
整然と、列も乱さずのろのろ止まったり歩いたりしています。
他国なら、こうはいか無いんじゃいの?

今年の混雑は特別です、
二の酉で終わりだし、今日は祝日だったし、お天気はよかったし。
景気が悪いと酉の市が繁盛すると聞きました。
景気悪いのね。(私のお財布の景気も悪いので)

やっと境内に入って

あらら、仕事で知っている会社の特大熊手発見。
ちなみにチョコレートメーカーです。

去年も見た、石原家(都知事の家です)ご一同様も。

渡辺大臣とか。

政治家も縁起担ぎ。


お買い上げになると、売り子さん総出で景気付けの三三七拍子。
熊手は値切るものなんです。
でも、値切った後、その分は「はいご祝儀」といって返すのが
決まり事。

狭い境内、熊手で溢れて、活気に満ちていました。
年末、冬が来たなあー
と実感する日。
明日からちょっと気分も新たに。気持に区切りをつけて、
さっぱりと冬の気分になろう。

秋は紅葉 龍田姫

2007-11-11 14:11:51 | 日本文化
この辺では、紅葉はまだみたいです。
もう11月も半ば。そろそろ冬支度?の気分だというのに。
台東区は町並みに緑が少ないせいかな。
紅葉は見ないけれど、落ち葉は多い気がするなあ。

秋の風情を味わいに
お能を観てきました。
千駄ヶ谷の国立能楽堂。
ひっそりとしつつも、趣のある堂々としたたたずまい。
門をくぐると、そこからは幽玄の世界へ。

狂言とお能が一曲ずつの普及公演。
今はネットでチケットが買えるので、予約も楽です。
上演時間も短く、比較的お手軽です。
お能に親しむのにいいですね。
狂言の上演の前に、歌人馬場あき子さんの解説がありました。
お能「龍田」のテーマになっている和歌の解説。龍田神社の成り立ちや意味。

龍田川といえば、伝統的図柄に紅葉が川いっぱいに流れる図としてよく描かれます。
江戸千代紙でも、龍田川という版がありました。
桜は吉野、紅葉は龍田。

お能は、
いざ上演がはじめると、いつものごとく心地よい睡魔が・・・(笑)
前半の半分くらいはうとうとしました。
後半は何故か目が覚めて、
後シテの龍田の神様 龍田姫が舞う姿を堪能しました。
山吹色と朱の袴の装束がとても美しかった。

私が眠くなる理由の一つに
お能独特の囃子があります。
あれが好きなんですけど、波長が合うのかすーっと眠りを誘うのですね。
今日のお囃子の、大鼓の澄んだ音色が大変美しく、今日のお囃子はスゴイなあと思っていました。
あとでパンフレットを見たら
「需要無形文化財保持者」安福建雄さんでした。

この音色を効きながら眠るとすごくスッキリ。
睡眠障害の友人を連れてきて寝かせてあげたいくらいです。
リラックスの周波が出ているのでしょうね。

魂が浄化されたごとく、凹んでいた心が少し元気になりました。

観音崎と横須賀美術館

2007-11-03 17:09:23 | art
観音崎まで、品川から京浜急行で1時間弱。
またバスに乗り継いで、観音崎海岸へ。

潮の香り、波の音、海の手触りが、心の澱を洗ってくれました。

台風が去った後の高気圧で、夏のような日差し。
大きな自然を前にした爽快感を味わいました。

横須賀美術館
青い海と空と、山を背に硝子と白の建物
どなたの設計なのでしょう?とても素敵。



展示は「澁澤龍彦 幻想美術館」
ここで澁澤龍彦に出会うとは、不意をつかれました。
事前に企画を調べずに行っちゃいました。



澁澤の足跡を、たどる展示です。
没後20年の記念企画。巌谷國士氏が監修しています。

戦時中から終戦時に10代を過ごしたことが、
そのマニエリズムからシュルレアリズムへの志向
に影響したのだろうなあ、と感じさせる幼少期からの時系列の展示。

澁澤の思考の変遷がよくわかりました。

まず入口はサド侯爵の翻訳、裁判の記録から。その時代には、かなり衝撃的だったのでしょうね。
サド侯爵の直筆の手紙(澁澤所蔵のもの)があり、魅入っちゃいました。
私が10代の頃衝撃を受けて、美術に入り込むきっかけとなった
ルドンや、デューラー、ゴヤ、マックス クリンガー、マックス エルンストの版画が並び
こういう美術が入口だったから、私は澁澤の世界にも違和感なく
入り込めるのだな、と改めて実感。

澁澤の交遊に
中西夏之や、加山又造、横尾忠則を発見して、才能はこうやってコミュネケーとするのかと驚きました。

かなりのボリュームで、澁澤の生涯、昭和の時代の裏道
を駆け抜けた気分に。

併設のレストランのテラス席でランチ。
潮風が心地よくて、気分良くキールなんぞを飲んじゃいました。

館内の表示(ピクトグラム)が愛らしいくてクスリ。