ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

今年もカレンダーに苦しむ季節

2009-12-09 06:57:52 | WORKS
版画の会では、毎年12月の第一回の例会でカレンダーを完成させることになています。

毎年年の初めに抽選で担当月を決めて、14人で1月から次の年の2月までの14か月のカレンダーを完成させます。

画題はその月、季節。

私も参加してもう三回目、会としては12回目になるそうです、すごい12年も続いてるんですね~

毎年、10月頃から始めるのに、いつも直前になってバタバタ制作する羽目に…だから、出来上がるといつも完成度が低くて、落ち込むことに。
毎年成長しません…

今年は11月の担当でした。

なんだこりゃ?的な絵が出来上がりましたが、炭が起きているところ、のつもり。

版画の会の方々は優しくて、女性の方は「着眼点がいいわ~。いつもおもろいわ~」と慰めてくれます…男性陣は「これ、ビーフシチュー?」「なんだか美味しそうだね、イタリア料理?」となかなかシビアです。

このカレンダーが出来上がると、年賀状も刷らなくちゃと言うシーズンになったことを実感します…版画仲間には、版画の年賀状を送り合うのが不文律。

12月に入ると、あれもこれもやらなくちゃ~と思っていて、あっという間なんですよね。

工作 …ファブリックパネル

2009-11-15 21:16:51 | WORKS
ファブリックパネルを作りました。
とある商業施設に、納入します。
私の手作りです…

近江上布のプロモーションの一環と思っております。

誰かの目に、上布が触れて、この生地いいねと思ってもらえたら嬉しい。

でも…実際の作業をしてみると、素人ができることは限られているものです。
チャレンジし甲斐はあるのです、自分としては。

自分の手を動かしてモノを作ることは好きだし、意義も感じる。
営業よりも、このほうが本当は好きだと思う。

でも、商品はやはりプロフェッショナルな人が作らなければ駄目ですね。
モノづくりのプロは、それゆえの日々の努力や才能や工夫の詰まった毎日を送っているのだから、まねしようというのが恐れ多い。

私がどれほど一生懸命時間をかけて作っても、作品の出来が命です。商品は商品が語ることがすべてといってもいい。そこに、モノづくりのプロのプロたるゆえんがあるのです。

今回身にしみて感じたことはそういうこと。

ただ、作業は楽しかった。
学ぶことも多かった。
自分で、売るべきものを必死で作ってみる、ということも
私には有意義なことであるのです。
ただ、その中途半端な商品を、商品とすることに、かなり抵抗と後悔
を感じました。

私の制作行動は、もはや私一人ではなくなっています。
素材があり、素材を作っている職人さんがいて、商品をみる厳しい世の中の目がある。

そういう思いを心¥に留めつつ、これからも何かしらを作っていきます。

写真に捉まる

2009-08-25 18:57:14 | WORKS
平均律という老舗の珈琲屋さんで、写真に親しむキッカケを貰いました。
岡田邦明さんというフォトグラファーのご指導のもと、写真の豆本を
作りました。


私は元々映像好きです。学生時代は映画が好きで年間200本以上観たこともありました。映画を見るのも、映像を見ていました。ストーリーや俳優ではなく、画面の美しさばかりを観ていました。

京都芸大に入って、映像の授業はそれはそれはパラダイスでした。
だって短い映像作品を自由に(アートなので)作れるのです。
パソコンで編集も自由にでき(final cut pro とimovieを使いました)、すっかりハマり高いソフトを買いそうな自分を引きとめるのが大変でした。

写真もその延長線で、興味深々でしたが、ハマると夢中になりそうなので
自制して、コンパクトカメラではなかなか思うよう写らないフラストレーションを溜めつつ、遊んでいました。

私は絵を描く方が好きなのだ。
絵を描くのだから、写真にとらわれてはダメなんだ、
なんとなくそう思っていました。

でも違いました。

写真は絵とは根本的に違いますが、ところが絵を描くことと本質的に同じ部分がありました。
絵と写真は両立する、という思いと、自分の手で作り出せない被写体を切り取る作業の面白さ、に素直に身を任せることにしました。

写真が身近な表現手段になった時、私の表現手段のライフワークに選んだ版画や文章はどう影響を受けるのか。
よく、映像的な文章とか、写真のような絵とか、たとえられますね。
きっと根底で何らかの影響を受けるのだと思います。

今、岡田さんのアドバイスで早速気づいたこと。
私は世界を色で見ている、らしい。色を消してモノクロームの世界でファインダーを覗いたら、世の中を切り取ったら、私の目が見ているものの形がもっと鮮明になる、はず。

期待しちゃいます。


目で見る レンズで見る

2009-08-19 22:14:26 | WORKS
お盆には、田舎に帰省しました。

山があり、田んぼがあり、川が流れている長閑な山奥です。
このところどこへ行くにもコンパクトカメラを持って出て
被写体を探す目で、モノを見ることが増えました。

今回もいつものようにカメラの充電をいっぱいにして、持っていきましたが
なぜか結局使わず…

撮りたいものはたくさんあったのに。

その代り、今回は小さなスケッチブックと濃いめの鉛筆を鞄の隅に入れました。


昼間は何せ暑い。外に出るととたんに熱中症になりそうな、湿気と気温。
古い木造の家は、山の中腹にあり、風が通り抜け、意外に涼しいのです。
家の中でゴロゴロ昼寝にも飽きたころ合い

スケッチをしてみました。

実際の風景やモノを見て鉛筆を走らすのは久しぶりです。
私はアカデミックにデッサンを習得した経験はないので
「絵を描ける」わけではありません。基礎もなくまぎれもなくへたくそです。

ただ、ちょこちょこと自己流でも描いていると
モノを見る目がそれなりに鍛えられるのを感じます。

久しぶりにスケッチをしてみて、
見慣れているはずの風景も全然ちゃんと見ていないものだらけだと気付かされました。

絵に写し取るには、一生懸命見なければならないのでした。

このところ写真ばかりでモノの見え方が変わって来ていたのです、写真は写真で
一生懸命見なければならない
ポイントがあると思うのですが、絵を描く時のポイントとは少し違うようです。


絵を描くことで見ていないものに気づき
写真で見るべきところにも気づけた気がしました。

ほんとうは…
モノを見るのは、目ではなく脳なのですね。
脳(心)の状態が見え方を決めますね。

「雑巾展」の圧巻

2009-03-30 21:36:56 | WORKS
せっせと楽しんで作った雑巾を、出品してきました。

雑巾展 アノニマスタジオ(蔵前)

天井からたくさんの色とりどりの雑巾がつり下がっているのは、ある種圧巻でさえあります。

二枚出品したので、他に片の作品が二枚いただけます。
選んできました。
素敵なのが多くて、迷っちゃいますね。
みなさん、発想が豊か、きれいにきちんと縫ってあるもの、編み物の雑巾なんかにもとても心ひかれて。

会期が終わったら、交換です。

自分の作品(って雑巾ですが)にも愛着が湧きます。

展示されているのを見ると、尚更です。

こういう交流っていいな、と思いました。
手作りの交換会。
手作りを介しての交流。

モノを作るのが好きな人、似ているところがあるのだと思います。

こんどは雑巾縫いに夢中

2009-03-29 21:48:21 | WORKS
朝6時に起きて出かけるまでに1枚
外出から帰ってきて、21時すぎから1枚

2枚の雑巾を縫いました。

きっかけは、「雑巾展」
参加型の雑巾の展示会です。
出品者は好きな雑巾と交換できます。

さまざまな工夫、デザイン、思い入れ、手法の雑巾がまさに百花繚乱で
楽しくなりました。
で、参加したくなりました。

縫物にそれほど抵抗はありませんが、手芸好きでもありません。
スカートやパンツのすそをまつるとか、ボタンつけをするとか、
そんな程度しか、針を持ちません。
おまけにミシンも持っていません。

着なくなったキャミソールと、シミがついてしまった布巾で
ちくちく縫いました。
デザインを考えながら、運針をいていると、かなり集中できます。
もうやめなきゃ、と思っても、面白くって縫い終わるまで止められません。

で、二つできました。

コンセプトは、リサイクル。掃除が楽しくなる。

ぞうきんがけもやってみればスッキリするもの。

家事嫌いと胸を張らずに、好きになる工夫をしようかな。
そんな殊勝なことをちょっと考えました。
家事は生きていく上で、避けて通れないこと。生活していれば掃除はしなくては
汚いし、健康的に生きようと思えば、食事は作るし。
仕事だとか、義務だとか考えなければ、楽しくしようという気持もわくものかも。

でもやっぱり、掃除自体より雑巾創作のほうが、好きなのは、しょうがないです。

版画展は夢のように過ぎて行き

2009-03-15 09:13:34 | WORKS
一週間の会期の版画展が終わりました。

30人くらいの大所帯のグループ展で、作品点数も50点を越え、賑やかな会場になりました。
会期中のお客様は、430人だったそうです。出展している会員の知人友人が主ですが、みなさんに見ていただけて、幸せです。
私自身は、モノを作ることが好きなので、これまで色々製作してきましたが、展覧会という形で何らかの作品を人にお見せするのは、はじめての体験でした。

気恥ずかしくもあり、嬉しい気持ちもありました。

せっかく展示するのだから、もう少しレベルの高いものを作りたかった、というのが一番正直な気持ちです。ですが、一週間、会場に展示されていた、自分の作品を壁から外す時、「あれ?なんだか変わった」と、感じました。
なんとなく(ありえないことですが)人の目にさらされた作品が、なんだか少し自信を持って成長したように感じたのです。
展示をするときには、「こんな作品を出展していいのかなあ・・・」と、自信無い気持ちでいっぱいでした。他の人の作品が、立派に見えて、自分の作品は貧相に思えました。

ですが、外すときには、堂々とある種の風格を感じました。

それは、私自身が、自分はこれが自分だから、いいのだ、と私の今の姿を晒したことが、なんだか少し力になったのです。それで作品が変わったように思えたのでしょう。いろいろな人に、いろいろな感想を伺いました。それも、嬉しいことでしたし、自分の普段人に見せない面を、あえて晒してみて、それについていろいろな人が私という人間について、なにかを感じてもらえた。それが、私自身の成長や励みや新たなエネルギーになりました。

人は人の中で、変化し成長して行くものなのだ。ひとりぼっちでは、人は変われないのだ、と改めて自分の作品を展示するという体験を通じて実感できました。

展覧会で共同作業をしたことで、会員のみなさんともより親しくなれたことも、嬉しいことでした。

最終日、撤去の後の飲み会は、それは楽しい時間でした。

版画展前夜

2009-03-06 20:54:37 | WORKS
版画の同好会のギャラリー搬入を明日に控え、やっと出来上がりました。

大1点小1点の二枚組です。

時間は半年以上もあったのにも関わらず、ギリギリにならないとエンジンがかからない性格です。まったく、いつもそうです。
直前二週間で、ほぼ仕上げました。
大は7版、小は4版 彫って摺りました。

版分けに悩み、摺りに入ってから色に悩み、思ったようなイメージが再現できないことのもどかしさに、悶々と考え続けました。
結局、出来上がりは搬入前日夜。

もう少し、前からじっくり取り組めば、もっといい作品が出来たかもしれない。
もっといろいろ検討して、彫りも摺りももっと精度が上がったかもしれない。
でも、こういう風にしか出来ないのが私の現実ですから、まさに実力というところでしょう。

この版画の作業の間、徐々に楽しくなってきました。
始めは、彫りの力仕事に、肩こりと筋肉痛にうんざりし、だんだん時間との闘いに、焦りはじめて。

家事や食事の支度を、何度放棄しようと悩んだことか。いろいろ手は抜きましたが
。ただ、こういう日々に雑事の制約の中で、作品を制作するというのも、鍛錬かもしれません。
日本画家の巨匠、小倉遊亀は、女流画家で、夫の世話や家事の合間にあの素晴らしく精密で繊細な作品を生み出したのです。まさに明治の女の面目躍如ですね。時代や考え方は変わっても、根底に流れる作歌魂、人間としての生き様は、大いに尊敬します。

色をこうしたらいいのかな?とか、ココはこう変えようとか
明日た起きたらやってみよう、と思うと久々に夜布団に入る時、明日の朝が待ち遠しい思いも味わいました。

なにか形あるモノを創作することは、とても精神衛生上いいと思います。
心を病んで悩める方々へ、お勧めします。

明日は搬入です。やっとほっとできます。

思うように行かない・・・難航中

2009-02-22 20:15:38 | WORKS
木版画展覧会のための作品制作も、佳境に入ってきています。

と、いっても、まだあと3版は彫らなくてはならないことが、判明しました。
今回は、最初から構想や版分け(下絵を、何版で摺るか、何色を使うか、とか)
を計画的に構築せずに、作業を進行しながら、いろいろ考えながら進めています。
なので、4版彫って摺ってみてから、あと3版必要だということを決める訳です。
あまり伝統的浮世絵のやり方とは相容れませんが、浮世絵を作っている訳ではないし、自由に気の向くまま作ったらどうなるかな?と考えて、そんな行き当たりばったりな制作方法をとっています。

頭の中に、出来上がりのイメージはあるのですが、それを木版画という具象物に落とし込んでみると、いろいろ思ったようには行かないことばかりで、
現実に目の前に刷り上がってくる試作品は、頭の中のものとは程遠いもので、悔しいやら、なんとも歯がゆい思いです。

大学のデザインの課題を作成している時も、同じことを何度も何度も経験しました。
イメージを具体化するのは大変なことなのです。
構想力も技術も気力も体力もフル回転しなければできません。そして自分の中のイメージは、追っても追っても逃げて行くようなものです。
高いお金と時間をかけて大学で学んだ最大のことは、そう言うことだったのかも知れません。
そしてまた、木版画をはじめて、同じ思いを痛感しています。

でも、仕事と同じく、これにも時間的制限があるので、どこかで妥協せざる得ないのでしょう。
ただ、まだまだそこまでのレベルではなく、もう一山二山越えなければならないようです。

これは、ほんとうにいいリハビリです。毎日作品をどうしようか、と考えていることは、私にとって楽しいことなのでしょう。夜寝るときに翌朝が楽しみな気持ちになったりします。

ただ・・・筋肉痛と腰痛が。こちらは、かなーり症状が重くなってきました。

黒糖ほうじ茶ラテ

2009-02-12 16:57:56 | WORKS
根詰めています。根詰めるのは、私の性格です。
摺りの作業中だったりまします。
ギリギリまでぐずぐずしているくせに、直前猛ダッシュをかけます。
いつもそうです。昨年末の和紙研講演会の準備も、ほぼそんな状態でした。
完成するのは、大抵前日です。しかし、今回はそうはいきません。額装しなければならないので、その時間も見なきゃ。。。
家に籠って、集中しています。
おかげで、あちこち筋肉痛だし、腰は痛くなるし、体がギシギシです。そういえば
摺りの師匠は、定期的に週一回整体に通っていたなあ。気持ち分ります。

今日も籠って版分け作業をしていました。
頭が疲れたので、黒糖ほうじ茶ラテで、休憩します。
このカップは、近所の小洒落たアンティークの店合羽橋soiで買いました。
厨房用品専門店街の合羽橋商店街が近所なのです。
このカップ達はアンティークではなく、作家ものでした。作家名は忘れましたが
すごく使い勝手がいいのです。意匠も気にいっています。用の美を感じます。
用の美といえば、アートアンドクラフツ、民芸はあまり好みではないけれど、そういう意匠は好きです。
黒糖ほうじ茶ラテは、優しい飲み物、という感じが好きです。
厨房用品の専門店ばかりある、変なところ(有名らしい)にあります。