男は、ふと、思い出したかのように話しかけてきた。
「私がここで商売ししているだろ?たいがいの人はさ、哀れみの目でちらとこっちみてね
、そして、急に急ぎだして前を通り過ぎて行くのさ」
男は、そういって、靴の磨き上げに入った。
男がぼろぼろの布で、さささっと擦ると、私の靴は艶を増して鈍く光りだしたのが
わかる。
男は、清潔とはいいがたい身なりで、歩道にちょこんと座り、小さないすを置いて
靴磨きをしていた。
来る日も来る日も、ここに座っていた。
いつから座っているのだろう。
去年はいなかったような気がする。
いや、一昨々年からいたような気もする。
気になっているようでも、路上の靴磨きなんて、私の日常の中で締める部分はそんなものだ。
年の頃は、50代くらいか?それとも30代くらい、いや、70歳を超しているのか?
日に焼けてしわが刻まれたその顔は、何歳と言われてもそうかと納得できるようでもある。
今日履いてきた靴は
特にお気に入りだった。
まだ若い靴職人の小さなアトリエで、足形を取り、オーダーしたものだった。
夏の間、もっぱらサンダルやミュールを履いて過ごしたが
今朝は久しぶりに少し涼しい風を感じ、この靴を履きたいと思った。
ファッションを靴に合わせて選んで、さあ靴を履こう
と思うと、意外にくたびれた姿をしていて
がっかりした。でも今日はこれを履かないと。
選んだファッションにも合わないし、今日はこれを履こうと思うことで
仕事に出かける気力を振り絞ったのだ。
しかし歩いていても、電車で座っても
靴のしょげた姿が、気になって仕方がない。
オフィスでも一日妙に落ち着かない気分で過ごしたのだ。
靴が目立たないように、デスクワークばかりをえらんでこなして、一日机に座っていたかった。
しかし、机に座っていても、仕事をする気分は盛り上がらなかった。
「今日やらなければイケナイこと」をなんとか終わらせて
定時の1時間後に、さっと机を立った。
帰り道、いつも通る道端で
男をふと見た。
うつむいていて、眠っているようだった。
この人、靴磨いてくれるんだよなあ。
ふとそう思って、一瞬立ち止まったとたんに、男が顔を上げて
目が合ってしまった。
男の顔が、少し歪んだように見えた。
私は思わず自分の靴に視線を落とした。
すると
「磨くんですか?」
明るくもないが、ぶっきらぼうでもない声で男が聞いてきた。
「はい、お願いします」
道行く人の視線を横顔に感じながら
かなりいたたまれない気分で、靴を任せていた。
男の手元を見ていると
次々と、ブラシやら、クリームやら、布切れやらを取り出して
さっきまでの身をまるめて眠り込んでいる姿からは
想像できないくらい、テキパキと靴を擦ったりつついたりしている。
「今年はなんたって暑かったから、靴もへばってますね。
お客さん、夏はだいぶ忙しかったみたいだね、ええ、足がね、そんな感じでね」
独り言にように、手元だけを見ながら、男はつぶやいていた。
仕上がった靴は、朝の靴とは別物のように
しゃん、としていた。
鈍く光を放って、自信たっぷりだった。
ああ、これがこの人の本当の姿なのか。
ふとそう思った。
翌朝、その道を通るのが、なんとなくはばかられた。
また男と目が合ったら、どんな顔をしたらいいのだろう。
わざと違う道を遠回りして出勤した。
帰りに通ったときは、その日起きた仕事のトラブルで頭がいっぱいで
気にも留めなかった。
翌朝、思い切って男が座る道を通ってみた。
「急に秋らしく、今朝も涼しくなりましたね。」
目が合ったら言おう。そう言葉も決めていた。
しかし、そこに男はいなかった。
次の日も、その次の日も。
もう、そこでその男を見ることはなかった。
「私がここで商売ししているだろ?たいがいの人はさ、哀れみの目でちらとこっちみてね
、そして、急に急ぎだして前を通り過ぎて行くのさ」
男は、そういって、靴の磨き上げに入った。
男がぼろぼろの布で、さささっと擦ると、私の靴は艶を増して鈍く光りだしたのが
わかる。
男は、清潔とはいいがたい身なりで、歩道にちょこんと座り、小さないすを置いて
靴磨きをしていた。
来る日も来る日も、ここに座っていた。
いつから座っているのだろう。
去年はいなかったような気がする。
いや、一昨々年からいたような気もする。
気になっているようでも、路上の靴磨きなんて、私の日常の中で締める部分はそんなものだ。
年の頃は、50代くらいか?それとも30代くらい、いや、70歳を超しているのか?
日に焼けてしわが刻まれたその顔は、何歳と言われてもそうかと納得できるようでもある。
今日履いてきた靴は
特にお気に入りだった。
まだ若い靴職人の小さなアトリエで、足形を取り、オーダーしたものだった。
夏の間、もっぱらサンダルやミュールを履いて過ごしたが
今朝は久しぶりに少し涼しい風を感じ、この靴を履きたいと思った。
ファッションを靴に合わせて選んで、さあ靴を履こう
と思うと、意外にくたびれた姿をしていて
がっかりした。でも今日はこれを履かないと。
選んだファッションにも合わないし、今日はこれを履こうと思うことで
仕事に出かける気力を振り絞ったのだ。
しかし歩いていても、電車で座っても
靴のしょげた姿が、気になって仕方がない。
オフィスでも一日妙に落ち着かない気分で過ごしたのだ。
靴が目立たないように、デスクワークばかりをえらんでこなして、一日机に座っていたかった。
しかし、机に座っていても、仕事をする気分は盛り上がらなかった。
「今日やらなければイケナイこと」をなんとか終わらせて
定時の1時間後に、さっと机を立った。
帰り道、いつも通る道端で
男をふと見た。
うつむいていて、眠っているようだった。
この人、靴磨いてくれるんだよなあ。
ふとそう思って、一瞬立ち止まったとたんに、男が顔を上げて
目が合ってしまった。
男の顔が、少し歪んだように見えた。
私は思わず自分の靴に視線を落とした。
すると
「磨くんですか?」
明るくもないが、ぶっきらぼうでもない声で男が聞いてきた。
「はい、お願いします」
道行く人の視線を横顔に感じながら
かなりいたたまれない気分で、靴を任せていた。
男の手元を見ていると
次々と、ブラシやら、クリームやら、布切れやらを取り出して
さっきまでの身をまるめて眠り込んでいる姿からは
想像できないくらい、テキパキと靴を擦ったりつついたりしている。
「今年はなんたって暑かったから、靴もへばってますね。
お客さん、夏はだいぶ忙しかったみたいだね、ええ、足がね、そんな感じでね」
独り言にように、手元だけを見ながら、男はつぶやいていた。
仕上がった靴は、朝の靴とは別物のように
しゃん、としていた。
鈍く光を放って、自信たっぷりだった。
ああ、これがこの人の本当の姿なのか。
ふとそう思った。
翌朝、その道を通るのが、なんとなくはばかられた。
また男と目が合ったら、どんな顔をしたらいいのだろう。
わざと違う道を遠回りして出勤した。
帰りに通ったときは、その日起きた仕事のトラブルで頭がいっぱいで
気にも留めなかった。
翌朝、思い切って男が座る道を通ってみた。
「急に秋らしく、今朝も涼しくなりましたね。」
目が合ったら言おう。そう言葉も決めていた。
しかし、そこに男はいなかった。
次の日も、その次の日も。
もう、そこでその男を見ることはなかった。