ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

スウィーツ業界のみなさん、ターゲット間違っていませんか?

2013-07-24 13:43:58 | おいしいもの

大学を卒業してからかなり経ち、同期先輩後輩、年齢的にみなさんそこそこ「激務」の中間管理職から脱して

時間的に余裕のある人が増えてきました。大学時代の友人、というのも「同じ釜のメシ」を喰った同志として、仕事とかステイタスとかから脱して気のおけない付き合いも出来るようです。

そんな最近「キルフェボンの会」という、あの有名タルトのフラッグショップで、みんなで集ってタルトを食べよう!

という可愛らしい会に参加しています。

この会に男性常連メンバーがいらっしゃいます。というか、男性メンバーのお二人の知識レベルの高さと言ったら!

スウィーツ情報はその方々に聞こう、という感じです。男性だけあって、研究熱心なんですよね。

 

その有名タルト店の「秋のタルト試食会」イベントはなんと「女性限定」なのでした。

えええーっ?なぜー?と落胆する男性メンバーの方々。ふと思いました、なぜ女性限定なんだろう?

菓子業界のメインターゲットは女性と子供というのが常識でした。でも、そうかなあ?

私の周りには、「コンビニスウィーツ、今や侮れないよね」という男性陣多し、「仕事の後においしいケーキを食べることに幸福を感じる」男性多し、はたまた、休日にケーキ焼いちゃう人もいます。

思い起こせば、私の父も普通のなんでもない日の会社帰りのお土産に、ケーキを買ってきてくれましたが

半分は自分が食べたくて買ってきていました。(確信)父は昭和9年生まれです。

 

少し前まで、「男がケーキ食べるなんてかっこわるい」というバイアスが、ありました。でも、多くの男性がお菓子好きだったんじゃないかと思うのです。「かっこわるい」世の中の目を気にして、堂々と食べられなかったような気がします。今の男性は、そんなバイアスから若干解き放たれて、おいしいケーキを食べて何が悪い!堂々と召し上がります、でもそれって女性にとっても一緒にケーキを味わえて、美味しさをわかってもらえるので、「かっこわるい」どころか大歓迎なんですよね。

 

女性はダイエットに励み、子供は少子化で減っていますし、アレルギーを持つ子供も多いので母親が神経質です。

お菓子業界のこれからの膨大な未開拓マーケットは、男性なんじゃないでしょうか?男性好みの雰囲気のお店や味や、男性向け健康志向

を追求すればいいのになあ。と思います。

ケーキ=女性 ステレオタイプの図式、時代に合ってませんよ!!!

 ちなみに最近和菓子も人気ですね、

今どきの和菓子作りをする若い男性職人さん、素敵な感性だったりします。

 


ローモデルを見つけたい。。。

2013-07-22 22:20:07 | 人間関係

ローモデルがみつからなくて、辛い時代。

私も、身近に「この人のようになりたい」と思える、ピッタリの人はあまり思いつかないのです。

あの人は素敵だけど、カッコいいけど、私はきっとそうはなれない憧れの人。この人のこんなところは素敵だけれど、相容れない部分がある、とか。

逆に「こういう風にだけはなりたくない」と思う人はたくさんいるのにな、と思います。

不思議だ、なぜだろう?

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ローモデルって何?・・・以下webのコトバンクより

具体的な行動技術や行動事例を模倣・学習する対象となる人材。
多くの人々は無意識のうちにロールモデルを選び、その影響を受けている。「○○のようになりたい」という憧れは誰しもが持った経験があるだろう。
リーダーシップ開発では、より意識的にロールモデルを選び、分析したうえで学ぶことが求められる。ロールモデルを漠然と観察するのではなく、リーダーシップに関する何らかのモデルに基づきながら観察・考察すると、学び取るポイントもより明確になる。

(グロービズのMBA経営辞書 より)

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私もきっとこれまで無意識にローモデルを選び影響を受けてきたはず。考えてみれば思い当たる節はいくつもあります。小説の中の人だったり、漫画の中の人だったり、も含めて。ちなみに、漫画の中の人だと、ぱっと思いつくのは「ブラックジャック」(手塚治虫)

 

今、この年齢になっても、人生の明日のことも、今日のことも、昨日のことも不安で、何一つ潔くは決められなくて、いつもじたばたしていて、いい加減苦しい。誰かお手本が欲しい。がんばればあんな人に成れるんだという、モチベーションと確信が欲しい。そんな思いです。

ひとり、ああこんな女性好きだな、と密かに思っている人がいます、料理家の栗原はるみさん。表に出るイメージの面しか知り得ないので、とても中途半端で、ローモデルと言えるかどうか。どこが好きかと言うと、職業、プロ意識、ノーメイクなところ、年齢の重ね方。

栗原さんを素敵だと思うようになってから、ファンデーションを止めました。ポイントメイクはするので完全なノーメイクではないです、私は栗原さんほど素地が美しくないので。私の世代学生時代からしっかりメイクすることに慣れていましたから、ファンデーションを塗らないことに最初は抵抗がありました。やってみれば、そう大したことではありません。人も、食品も、モノも、無理な加工は危うい感じがします。女優のようにテレビやスクリーンのレンズを通して見られるならともかく。

「おばさん」の雰囲気を醸し出しながら若いデザインのファッションを纏った人、見ていて悲しくなります。すっかりおしゃれに興味を失ってしまった感じの人も残念です(私自身が洋服好きなので)でも、じゃあ、自分は何を着ればいいのかすらよくわからなくて、いつも自信が無くて心はウロウロ。

栗原はるみさんの、ナチュラルなメイクやファッションは私に取ってローモデルになりますが、

それ以外のもっと雑多なことや、ドロドロしたことや、可愛くないことに対するローモデルがとても欲しいです。

 

 

 

 


街中に川のあるところが好き

2013-07-20 22:43:13 | 旅先&非日常

生まれ育った札幌に来ています。

札幌は石狩川という大きな川の下流に広がる平野を開墾した町です。

関東平野も同じですが、平野は川の河口したがって広がる土地ですね。石狩川は北海道で最も高い山

大雪山から流れている大河です。(日本の土地では)その支流の豊平川という川が札幌の街中を区切るように

流れています。けっこう大きい川。

        

そんなわけで、豊平川の支流が、街中のあちらこちらに流れているのです。私は普段は東京の下町に住んでいるので、川といえば「大川」=隅田川」なのですが、これは川というか、運河です。隅田川の風情も好きなのですが、河原がなく隅田親水公園というコンクリートの地面からいきなりその下は川面、そしてフェンスでしっかり柵をされて。なんとなくセーヌ川っぽくてそれはそれでかっこいいと思ったりもするのですが、子供のころに親しんだ、広い河原に木や雑草が生い茂り、花が咲き、桜も咲いて草むらに隠れてひっそりお花見もできるそんな川が、心に響きます。

 

日本は水の豊富な国。水資源からうまれた産業もたくさんある国。水辺の草木や生き物にも親しい。人生を川になぞらえて

流れゆくものは仕方ないと思う。

そうそう、日本の川で大事なのは、「流れの速さ」滔々と流れているのか淀んでいるのか?解らないのは日本川らしくくない、と勝手に思います。

街中に川や水の豊富なところ、好きです。今行ってみたいのはそんな町、郡上八幡とか。


マンション長屋の、着物つながり

2013-07-17 20:15:38 | 人間関係

恐れ入谷の鬼子母神 からほど近いこの地のマンションに引っ越してきて10余年。

お江戸下町のこの地でも、しょっちゅう着物を着て歩いていると、やはりそれなりに目立つようです。

浅草まで行くと、旦那衆のような方が、着流しで歩いていたり、公会堂で歌舞伎上演の際には着物のご婦人方が溢れるのでわかりますし、最近では何もイベントのない週末にも、おしゃれにきものを着こなした若い女性も見かけるようになってきました。

私はといえば、自宅のマンションを仕事で朝早くから着物で出かけたり夜遅く帰宅したり、疲れきってドロドロに着崩れたまま帰ってきたりするのを、何となく「ふーん」という目で見られているような感じを受けていました。そして時々お着物を粋に着こなして外出する70歳代の女性をお見かけしていました。

あちらも、よく着物で出かける私を気になってきたらしく、エレベーターに乗り合わせた時にご挨拶から「よくおきもの着ていらしているけど、お仕事なの?」と着物についてのお話をするようになりました。

そんなやり取りが繋がって、数年前に旦那様を亡くされてお一人暮らしという、その女性のお宅にお招きいただいてお薄を立てていただきながら、昔から着ておられるお着物を見せてただいたり、旦那様のお話や今のくらしや・・・そんなお話をしました。

マンションは本当に人のつながりが希薄で、建った当時に購入した私も同じマンション内でお話をするような方は極僅か、ほとんどがご挨拶程度です。

きものを着ていたことで、声をかけてもらえたご縁。世代が違っても共通の話題があり、ずっと共働きでお子さんの居られないその女性を、人生の先輩に思えたし、これからの私の人生に起こるかも知れないことを、少しずつ教授してもらえたらいいな、と思ったのです。

 

人生の先、いつかは、一人になるのです、多分。一人になったらどういう覚悟で、どんな風に腹を据えて高齢の自分を生きればいいのか。着物の粋な着こなしとともに、教えていただけたら嬉しいなー、と思ったのでした。

 

 

 

 


臨床美術と、行間を読む、こと。

2013-07-16 12:10:30 | 人間関係

**相変わらず、人とのコミュニケーションへの不安が深くなり、今更青臭いなーと思いつつ、混迷の模中。

 

来ました。

今年も「平成25年度 NHK全国短歌大会」 募集要項と大会のパンフレット

昨年、ビギナーズラックで1首入選しました。今年は春先から無謀に忙しくしてしまったため

短歌を詠む余裕もなく、しばらく離れていました。また、詠もうとしていますがカンが取り戻せないというか、

さらっと詠めません。

実は、詠めなくなった理由があります。それは、臨床美術に触れて考えたことにちょっと起因します。

++臨床美術協会サイトより 「臨床美術とは(一部抜粋)」

脳の活性化には、視覚的、直感的な作業や芸術活動が効果的だということも知られています。しかし、ただ絵を描けば脳が活性化するわけではありません。
偉大な美術家の中には「創作する際に普段とはちがうものの見方をする」と言う人がいます。これを脳科学を用いて理論付けたのがBetty Edwards(米)の研究です。
Betty Edwardsは、「ほとんどの人は左脳を使って絵を描いている」「右脳を使って描かせることにより才能とは関係なく、急速に絵が描ける」と説明しています。
臨床美術はこの理論を取り入れ、さらに五感を刺激し、感じる事によって美術表現が可能になることを実践しています。

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友人が、臨床美術の簡単なWSをやってくれました。まず、人が絵を描く時に、表現がいかにそれまで学習してきた知識を集約した「記号」として、絵を描くものであるか。

を体験させてくれました。

「太陽」「家」とか単語を聞いて5秒以内に描く、ことをちょっとやってみて

絵はひとにイメージを伝えるための記号であること

しっかりと伝わりやすい記号の絵は「左脳」で処理され描かれているものであること。

逆に、自分のなかのイメージだけを表現して他者との情報共有を意図していないように描かれた絵は、「子供の絵」と同じであり「右脳」で描かれた絵だということ。

そんな説明を受けたのでした。

<記号と左脳>、<自己のイメージ表現と右脳>、<コミュニケーション>についてその時考えたこと

左脳で適切に処理された記号を正確に使うことで、ミスの少ないコミュニケーションが可能だろう。逆に右脳で生成したイメージをそのまま「ぽんっ」と相手に手渡せば、間違った意図が伝わったり、何も伝わらす相手を困惑させるだけなのではないかと。

そのWSで作った「はにわ」

何かを伝える意図が全くない物体になっていますが隠喩を込めたつもりではあるのです。でも全く伝わらないですね。このときは「右脳でつくってね」という目的だったので、ある種「右脳全開」でよかったのですが。

 

話を短歌に戻します。私の短歌は、発想のオリジナリティーの強烈さを指摘されます。

イメージから発想する「言葉」、「言葉」から起草して切り取ってくる「風景」「イメージ」が、一般的な記号に合致しないのです。私が普通に考えるとそうなってしまう部分もあり、敢えてそう言う発想の訓練を自分に課しているところもあります。

私はますますコミュニケーション困難な域へ、自分が行ってしまうのではないかと、不安になったのです。

論理的に説明すること、は相手に正確に伝えることを目的とするので、そこに行間や揺れやカラー不明なものは正確な伝達の邪魔です。それはとても素敵な伝達方法で、そうしたいといつも思うのですが、文学や芸術はそうではないようです。自分が発する意味不明な曖昧な表現を、相手の捉え方を既定しないこと、を含めて、表現になる。

**** でも気づきました。

それでも、誰かに観てもらったり読んでもらったりすること、そしてそれによって相手にいい影響を与えること、を究極の目的とするなら、

言い換えるなら、自己表現が全くの一方通行やマスターベーションではイヤだと思うのであれば

解りにくい「ワタシ」というものを何らかの形で伝える「武器」=(技術) を持たなければならないのだろうということ。結局のところ、何かを表現したい欲求=誰かに何かを伝えたい に違いはないのです。

 

心に響く歌は、「スコーン!」と思いもよらず心を突き抜ける言葉を、見せてくれたりするのですよねー。

 表現するというのは、本当に自分を切り刻むようなものなんだな、と今更ながらに思いつつ、

今年も「全国短歌大会」へ応募します。果たして自己表現への「迷い」は吹っ切れるのか。

 

 

 


わかり合えないことを乗り越えること(世界報道写真展2013)

2013-07-14 10:27:51 | 生活改善プロジェクト

しばらく、放ったらかしにしておいたこちらのブログ

ブログやらSNSやら、twitterやら発信ツールが多すぎて、それぞれをどう「棲み分け」すればいいのかな。

とりあえず、ここは一応「匿名」なので、いいたいことを吐露する場にすることにしました。

匿名とはいえ、簡単に辿れちゃうので「完全匿名」にはなり得ないことは承知の上。web上での発言は、調べれば大抵出所は割れるので、完全匿名なんて存在しないのだと思います。

「方丈記」にしよう。ブログ名、後ほど変えます。

 

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東京都写真美術館で開催中の「世界報道写真展2013」を観ました。https://syabi.com/contents/exhibition/index-1862.html

毎年チャンスがある限り観るようにしています。こういう報道写真は、普通に生活していると目に出来ないからです。規制にひっかかるものが多いのでしょう。でも、こういうことも事実としてあること、そしてそれを単に芸術作品としてみてしまう自分がいること、いろいろなことを感じます。

今回は友人に付き合ってもらいました。

友人の感想

・西側(反イスラムのバイアスを感じる)

・展示の仕方のルール?が意味不明でよくわからない

・なぜいいのか、何がいいたいのか、さっぱりわからない作品が何点もある

 

若干機嫌を損ねてしまいました(笑)

私はどの作品が気になったのかと聞かれて

「女性が虐げられている作品が気になった」「イスラムの女性の?」

「それよりも、貧困から来る女性の置かれた状況の写真が気になった」「オランダでは売春は貧困層の仕事ではないよね?」

むーん。私はそこで黙ってしまったのです。

女性が虐げられているテーマの作品は何点かありました。イスラムの女性の差別を物語るもの、移民としてアフリカからヨーロッパへ渡り草むらで売春生活で生活する女性たちの写真、夫に劇薬を浴びせられ顔が崩れたまま生きている母娘の写真、売春が合法であるオランダで一人娘を育てているシングルマザーの写真

特に売春に付いては男性とは意見が食い違いますね、仕方ないかもしれません、男性は「買う」方です。私も、ここでこれ以上私がなぜこの人たちが貧困故にこういう生活をするのか、心の中ではどう感じているのか、を主張したところで、実際そういう女性を買う側の彼が、私の主張を納得はしないだろうと思い口をつぐみました。

経済的に普通かそれ以上、そして教育や環境が整っていれば、体を売って生計を立てる生き方はハイリスクなので自ら進んでは選ばないはずです。そして夫からの暴力も多くは男女ともに生育歴も含め貧困に原因があることが多い、ハイソサイアティの男性でDVの人もいますが。

男性に抗えないことは、多くの場合、経済的な貧しさが女性の側の事情でしょう。

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そんなことを話せなかったのです。わかり合えないことを確認するだけの結果を見るのが怖かったからです。

最近、おなじような経験をよくします。ああ、これ以上言っても、わかってもらえないから黙ってしまおう。

男女どちらのの友人でもあります。所詮人のことなんかわからないものだから、と思って生きて行けば、ある程度楽なのかもしれないけれど、そうやって厚い仮面の下に自分を隠して生きて行くことは、自分の人生においてだけではなく、社会を形成するという意味でも、果たして意味ある行為なんだろうか?

もっと、わかり合えないけれども自説を述べ合う方がいいのではないか。しかし自分にその勇気も、戦う気力も、そんな好戦的な生き方を生け入れる社会的土壌もないです。

どちらがいいのか、まだわかりません。

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「世界報道写真展2013」 東京都写真美術館 8/4まで 

私も「西側バイアス」を感じました。そして、展示方法にも主催者の意図的な偏向のようなものを少し感じました。作者の意図を曲げていないか?と感じる展示が何点かあったように思います。

ですが、「(日本以外の世界の)西側から見た世界」を知るには、いいチャンスだと思います。

日本にいると、本当に世界は平和なんじゃないか、と錯覚しさえ起こしかねません・・・