ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

Happy Birthday! gallery園二周年

2011-11-14 12:47:26 | 独立起業
今年ずいぶんとお世話になった、大塚のgallery園さんが、開廊2周年目になります。
昨年の秋にOPENしてから、もう1年経ったなんて信じられないくらいあっという間です。

廊主のゆき子さんとは、商工会議所の起業ゼミを通じてのお付き合いです。
バイタリティーあふれる素敵な女性、という最初の印象は今も変わりません。
バイタリティだけではなく、とても女性的なたおやかな側面を、今年はたくさん知りました。

そのひとつは、お料理がとてもお上手なこと。
展覧会の会期中、何度もご飯をご馳走になりました。
畳にみんなで座って、おいしいご飯とお料理とお味噌汁をいただくのは幸せな時間です。
そんな楽しい時間の演出を自然にされるところが、素敵です。

さて、この2周年の会は、関係者が集まった内輪の会でした。



みなさんが食べ物をそれぞれ持ち寄り、ゆき子さんのケークサレやお料理&お菓子つくりの閑古鳥さんのサラダと、華やかな食卓になりました。

私は、午前中にがんばってミートパイを作って持参しました。

スパークリングワインで、乾杯の後

次々に参加者が登場するたびに、また乾杯。

皆さんが揃ったところで、ゆき子さんが応援する薩摩琵琶奏者 榎本百香さんが「祇園精舎」を演奏してくださいました。祝演です。



お昼から始まった宴は、スパークリングから、赤白ワインへと盛り上がっていき
gallery園さんを介して知り合った人たちのアートや食べ物や、お酒(ゆき子さんは、食いしん坊の日本酒好きでもあります)の話も尽きず、夜までわいわい楽しく続きました。

gallery園さんの来年のプランやもう始まっている計画のお話を聞いて、がんばってるなあ・・・
来年の園さんの新たな展開が楽しみ、私もご一緒に何か出来るかどうか、とてもワクワクします。

最後に、ゆき子さんのお友達から、先月お誕生日だったゆき子さんへ、サプライズケーキ、が登場。

幸せな気持ちと、私もがんばろう!という気持ちを、ホカホカと家まで持ち帰りました。

火に祈る 鎮火祭 秋葉神社

2011-11-06 18:34:02 | Weblog
秋葉神社は、秋葉原の地名の由来である由緒ある、でもとても小さな神社です。
秋葉原から、入谷の地に遷座して100年以上、普段はひっそりとたたずんでいます。

私の大のお気に入りは、桜の季節、境内のおおきな桜が咲くと、小さな神社が桜で一杯になるかのよう。でも訪れる人はほとんどいないので、桜の一人占めが出来ます。
今年の春も、ひっそり静かに咲く桜の精気を全身に浴びました。

小雨が降ったり止んだりの、秋晴れとはいかなかったお天気の中
16時から鎮火祭は始まりました。
見物人はまばらです。年配の男性がちらほら。

境内には、火を渡る人たちが集まってきて、神主が祝詞を捧げる儀式が、社殿で始まり

社殿の前では火起こす準備が始まります。



カンナくずのような(きっと鉋くず)ものを盛り上げて、薪をくべます。



火が点けられると、勢いよく炎が上がり、少し肌寒い小雨の中をずっと待っていた人たちは
一気に火の熱さを感じることに。顔が焼けそうに熱い。一層暗くなってきた中、朱色の大きな炎が目にも痛いほど。
そういえば、こんなに大きな炎を見る機会は普段はありません。
火事でも起きない限り、こんなに身近に炎を感じることはないので、改めて火の恐ろしさををちょっと感じました。

気がつくと、いつの間にか火の回りには人の輪が出来ていて4、50人くらいになったでしょうか、子供の泣き声もします。子供にはやはり退屈かな~、儀式ですから厳かに進みます。

真白い装束の神官が炎に祝詞を捧げ、火打ち石や、手刀でお祓いを何度も何度もします。



火の勢いが弱まってきたところで、竹の長い棒で火を打って炎を納めて行きます。
人が渡る道を作っているんですね。





火が収まって、炎はもう上がらない、くすぶっている中の道を、神職がお清めの塩をまきながら通ります。


赤々と火がくすぶる中を、踏みしめて、人が火によって清められるのでしょうか
それとも火を人が踏みしめて支配するのでしょうか。



火を操るようになった人の世界。
人が火を自由自在にコントロールできると思ったら大間違い。

すぐ近くに燃え盛る火を感じながら、驕ってはいけない、という思いが湧いてきました。


洋服は20年着るよ?

2011-11-05 22:35:47 | 生活改善プロジェクト
かなり遅い時期だけど、衣替えをした。

セーターやジャケットなどを引っ張り出して、いつも使うたんすに収める。

ここ何年も着るチャンスがなかった洋服が、今年は着たい気分になっていたり、
世の中の流行がまた戻ったりして、着やすくなっていたりする。

私は買った洋服はほぼ10年は着続ける。
理由のひとつは、その時流行のデザインを買わないから。
もうひとつは、高級品とまではいかないけれど、そこそこに高品質の洋服を買うから、だと思う。
だから、いつも量をたくさんは買わない。気に入ったものを選んで買う、予算が許さないから。

10年着続けるので、洋服は減らない、どころか、それでも毎年毎シーズン何かしら目新しいものが欲しくなって、買い足すので、洋服は増える一方。
でも、昔の洋服も着るので、捨てられない。
いつも、衣替えのたびに、こんなに洋服があっても、仕方がないじゃないか!と自分を戒めてみる。
困ったことではある。

もう20年以上気に入って着続けている洋服がけっこうある。
そのなかでも、特に毎年お気に入りで着ている数着がある。
とてもシンプルでベーシックなものもかるけれど
とてもデザイン性が高いのに、毎年毎年着られる、という優秀な服がある。

そのうちの一つが、20年前のY’Sとコムデギャルソンというブランドの洋服だ。
とても個性が強いブランドで、当時の流行ともまた違った独自路線のデザインだった。
未だに、今日はお洒落するんだ、というときに着たくなる、強力な味方の洋服だ。

これだけ長い間着続けられたのは、モノとしての品質がいいのだろうと思う。
長年の使用に耐えているわけだから。
洋服だから、皺になったりこすれたりするし、何より洗濯に耐えられる生地と作りでなければ、着続けられない。
そしてデザインが、普遍的、もしくは本質的に私の好みに合っているのだろう。

20年も着続けたくなる洋服、はもはや洋服の範疇を超えて、私の生活、人生に溶け込んでいるモノだと思う。そういうものをライフスタイルというのだろう。

私は、ずっと同じものを何年でも愛用し続けて暮らすスタイルがいい、と思っているのだろう。
だから、流行にはあまりなびかない。
なびかないけれど、無意識にその時の気分が流行に乗せられていて、意図しなくても流行っているモノを手にとっていることはよくある。

そういうものでも、流行は繰り返す、法則で、15年くらいのサイクルで
また流行が巡ってきて、出番があったりする。
モノは長く使える方が、やはり合理的だ、と思ってしまう。


東京スカイツリーの中で働く人の制服が発表になった。
ミナ・ぺルホネン のデザインだった。
写真で見て、ああ、いかにもミナらしいデザインだな、と思っていた。
ツイッターで「ここまでレトロじゃなくてもいいのに、大阪万博みたいだ」というつぶやきをみて
そうか、と思った。

今一番売れているデザイン、ある意味では日本の最先端デザインのミナ・ぺルホネンは、
昭和レトロなデザインなのだ。
いま日本で一番先端のデザインは、レトロだったのだ。
今の時代の気分が昭和回帰なのは、デザインだけではないだろう。

流行は繰り返す。
政治にも経済にも、思想にも、ライフスタイルにも流行はある。
そしてそれは、流行である限り繰り返す宿命がある。

何十年も心をつかみ続けて、これが私のライフスタイルなのか、と思い知った
ワイズやコムデギャルソンの旧いデザインのような、本質に出会うことは幸せなのだと思う。
そして、自分の本質は、あたりまえだけど、自分の中にしかないものだと思い知った。